平等とは1対1のことではない - 赤木智弘
※この記事は2017年07月09日にBLOGOSで公開されたものです
横浜市のマクドナルドで、店内唯一のトイレが一時的に女性専用になっており、男性はそのビルの共用トイレを使ってほしいと張り紙をしていたことが、ツイッターユーザーによって「男性差別」として投稿され、賛同する人がたくさんいるという。(*1)
極めて単純な話、これのどこが男性差別なんだろうか?
ビルの共用トイレをマック側が無断で客に利用させているわけではないし、またそのトイレは歩いて30秒ほどのところにあるということなので、遠すぎると言うこともない。
さらに、記事の書き方やツイッターユーザーの「実質営業時間の殆どの時間、男性が店内のトイレを利用出来ない」という大げさな主張のせいでわかりにくいが、ビルの共用トイレが使えない深夜の時間帯は、店内のトイレが共用トイレとして使えるようになっていた。つまり、男性のトイレ利用には、さしたる不便はなかったのである。
男性用トイレと女性用トイレを必ず1対1で用意しなければ、それは少ない方に対する差別なのだろうか?
例えばコミケなどの来場客数の多いイベントでは、男性トイレの一部が、当日限定の女性トイレとして使用されることがある。理由は単純で女性の方がトイレの利用時間が長いからだ。
男性は小だけならズボンのチャックを下ろしてパンツのゴムを下ろすだけで用が足せるが、女性は小でも大でもお尻を出す必要がある。そしてそもそも身につけているアウターやインナーも違う。男性はズボンとパンツだけなのがほとんどだが、女性の場合はその他にストッキングを付けていたりする。また、スカートなどの裾が床に付きやすい服を着ていることもあるので、そうしたことに対する注意も、女性のトイレ時間が伸びる要因の1つである。さらに生理などがあれば、ナプキンの付替えなどで時間がかかる。
こうしたことは、すべて女性の身体的な特徴であり、また、面倒な服装も、女性に対して社会的に求められているものである。そうした差異に対して女性用トイレを増やすことでテナント側が配慮をするのは、差別どころか当然のことであるといえる。
ところがネットではこうした、差異の存在を認識しながら「だからどうした」と突き放すような言動が人気を得る事がある。社会的な差異に対する配慮を「逆差別」として糾弾する人達がいる。
彼らは「平等」というものを大きく勘違いしているのだろう。平等とは全ての人に同じ条件を与えて後は自己責任として放置することではなく、その結果を出来る限り平らにすることである。
平等を巡っては「機会平等」と「結果平等」の間で論争が起きたりするが、機会平等派はナンセンスと言う他はない。そもそも人が全て違う個体である以上、身体的な差異はもちろん、社会的な立場もひとりひとり違うのだから、機会の平等などどう考えても保証できるものではないのである。
今回のトイレの件も同じである。体のメカニズムの違い、おしっこの出る場所や、生理の有無で、トイレにかける平均時間が男女間で違う。これに対してトイレを1対1で用意したとして「機会は平等なんだから平等です」などと言い張ることができるはずもないのである。
トイレの数で言えば、男性1に対して女性2以上を用意して、初めて平等であると言っていいだろう。
最後に、これは個人的な主張であるが、男性は便座があるなら、たとえ小でも座ってしてほしい。
僕は一人暮らしでトイレ掃除も自分でやるから分かるのだが、立って小便をすると壁に飛沫がついてしまう。自分の家なら頑張って掃除をすればいいが、共用のトイレであれば、なるべく汚さずに済む手段を講じてほしい。
今回の記事の中で「店内のトイレについては、『清潔さ』などを求める女性が比較的多いのではないかというニーズ」というマクドナルドPR側の説明に対して「男性が不潔だというのは偏見だ!」という主張をしている人をネット上で見かけたが、便座に座らずに小をする男性がいる以上、男性のトイレ利用が不潔であるというのは、決して偏見では片付けられない、根拠のある話である。
つまらない被害者意識を持つ前に、まずは自分の生活様式から考え直してはどうだろうか。
*1:マック店舗の「女性優遇トイレ」 これって「男性差別」?再検討へ (J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170705-00000007-jct-soci