※この記事は2017年05月30日にBLOGOSで公開されたものです

放送禁止の指定を受けたヒット曲、実はたくさんあることをご存知でしょうか。

1960年代から70年代中盤にかけてだと、ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』が有名です。発売禁止にまで至ったのはどこかしらの政治のチカラが関与したのでは?なんてことが囁かれました。


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ほかにも高田渡さんの『自衛隊に入ろう』が自衛隊に対して、なぎら健壱さんの『悲惨な戦い』は日本相撲協会とNHKをおちょくったカドで放送禁止処分になったといわれています。あの高倉健さんの『網走番外地』は歌詞が反社会的な組織の隠語が出ているという理由でオンエアできなくなってしまいました。


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当時の深夜のラジオパーソナリティーは「この曲も放送禁止!かけらんないっ!」とリスナーに伝え、それが学生運動盛んな頃のナウなヤングたちが抱えている権力への反発心を煽り、上からのお達しに反して歌は支持され、若者たちは歌い、夜は更けて…。 歌のチカラや歌を支持するチカラもまた強い、パワフルな時代だったのです。

時代が下った1970年代中盤以降。反戦運動も下火になって、世の中は反体制ではウケない時代に移り変わります。

放送禁止歌はエロ狩りへ

そんな時代でも放送禁止の歌は次々に生み出されていきました。この頃、ターゲットは『わいせつ』『差別』。つぼイノリオさんの『金太の大冒険』の場合、歌詞カード上は全く問題ないんですが、「金太、負けるな!」の句読点をズラして歌うと大問題ということで、コドモにはウケましたが、オトナからは怒られました。

それから日活ロマンポルノの主題歌になった畑中葉子さんの『後ろから前から』、黒沢年雄さんの『時には娼婦のように』、笑福亭鶴光さんの『うぐいすだにミュージックホール』も放送する時間帯に注意してと但し書きが付けられる羽目に。


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エロが取り締まられる一方で、憂歌団の『おそうじオバチャン』と美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』は、職業蔑視にあたるとしてオンエアにのせられない楽曲になってしまいました。


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ここまでで放送できなくなった楽曲をいくつか紹介してきましたが、ではオンエアするしないを決めるのは一体どこなのか。

「放送禁止曲リスト」という裏文書

放送業界には、民放各局で構成された日本民間放送連盟(略して民放連)という団体があります。その民放連が1959年に『要注意歌謡曲指定制度』というシステムを作り上げました。

それは毎月発売される沢山の新曲の中から歌詞や内容に問題があると考えられる楽曲を民放連がリストアップ、そのリストをもとに各放送局が独自に放送するしないを判断するというものです。

ところがそのシステムは放送の現場に入ると『放送禁止曲リスト』という形に変化してしまいました。

つまり、どこからかの圧力があっての放送禁止というよりも、放送局による放送自粛という判断が各局横並びでなされて、たくさんの歌が世の中から封印されたわけです。

今では要注意歌謡曲指定制度はなくなり、解禁されたものがある一方で、未だに自粛が続く楽曲や、近年では放送禁止用語が入っていることで自動的に放送自粛扱いとなった楽曲もあります。

では、放送局はなぜ自粛するのでしょうか。

表現の自由は憲法で保障されているはずです、なのに。

抗議と圧力に屈した放送局

放送局には頻繁に抗議の電話がかかってきます。ほとんどは貴重なご意見、ご指摘ですが、中にはお怒りが収まらず、電話では収拾つかないこともあります。

そういう抗議がこじれると、どうなるか。

ずいぶん前の話ですが、とある番組で、とあるホンモノの団体を冗談でからかったことがありました。放送終了後、その団体関係者から放送局に抗議の電話が入り、この時は許して頂けないパターンで、プロデューサーとチーフディレクターが直接謝罪に伺うことになりました。

その団体関係の道場にお邪魔すると、リングサイドの椅子を勧められ、ドスドスッと肉と肉がぶつかり合うスパーリングを長い間見せられた挙句「やります?」と誘われたりする合間もずーっと謝り倒して、震えながら帰ってくる…なんてこともありました。

またある時は、言葉の認識不足を指摘されて、研修という形で呼び出され、丸一日講義を受けたこともありました。

そういうことを繰り返していくうちに、放送局は分厚い放送禁止用語集を自前で作り、そこに載る単語を反射的に削除して、自衛の道を進むことになったのです。

でも怒られないようにすることで、果たしてそれで問題を解決していることになるんでしょうか。呼び出されて局員が怖い思いをしているのですから、放送禁止の用語集を作ったところで局員を守ることすらできていないわけです。

メディアは寝た子を起こすなと、差別用語を使わないことで差別されるひとを守ろうとしていますが、実際は差別される側ではなく、差別する方、それを傍観している側に問題があるはずです。

タブーで蓋をするよりも、タブーとしていた過去もまるごと開示して、アンタッチャブルだった事柄に対してどう向き合っていくのか。ニッポンの民度を上げていく方向に歩き出しても、そろそろいい時期ではないでしょうか。その助けになるのが放送局であるはずです。

まずは局内の『要注意歌謡曲指定制度』の掲示をはがして、独自にタブーを作らない。表現の自由が怪しくなりつつある昨今だからこそ、放送局側には勇気と覚悟を持って変えていってほしいと切に願います。