ゼロ・トレランスではなく、寛容さをもって子供を守ろう - 赤木智弘
※この記事は2016年09月10日にBLOGOSで公開されたものです
認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ(以下、HRN)が「日本・児童ポルノの実情と課題 子どもたちを守るために何が求められているのか~疑わしさの壁を越えて」が公開された。(*1)HRNの事務局長である伊藤和子弁護士は、以前から「秋葉原に児童ポルノがあふれている」旨の発言を繰り返しており、多くの人たちから「いったいどこにあふれているのか。根拠を示せ」という批判を受けてきた。そのたびに伊藤弁護士は「報告書を出すから待って欲しい」と回答してきた。そしてその結果がこの報告書である。
報告書が出る前から多くの人たちが「秋葉原には幾度となく行っているけど、児童ポルノがあふれている場面なんて見たことがない」という指摘をしている。僕自身も秋葉原にはよく言っているが、実際にそのような現場に遭遇したことがない。また、昨今の観光地化した秋葉原の姿を考えれば、児童ポルノがあふれていれば、多くの来日外国人がそれを発見し、世界的な問題になっているはずなのである。
もちろん、そうした違法なものを取り扱う業者は裏に隠れているから、普通の人たちが知らないのも無理はない。本当にそうしたビデオを扱う店が秋葉原にあるのかもしれない。弁護士だし、そこまで自信を持っていうからには、実際に裏業者が本当に17歳以下の子供が出演させられているアダルトビデオがあるのだろう。
まさか秋葉原にも店舗を構えるラムタラなどのセルビデオ販売店に売られている「本物!小●生」みたいな疑似ロリものを持ち出して「これが児童ポルノだ!!」などとは、まさかやらないだろうと。絶対それだけはやるなよ?やるなよ?と考えていた。
で、報告書はありていにいえば「子供の遊び」のような代物だった。
ハッキリ言えば「女優の年齢関係なしに、子供っぽいものは全部ダメ」という、人権もへったくれもない横暴としかいいようのない内容である。
「やっぱり単なるセルビデオかよ」と思うのと同時に、HRNが18歳以上の女優が出演する疑似ロリ物と、直接的な性的なシーンや性器や乳首の露出はないものの、17歳以下の子供が、水着などの姿でカメラに煽情的なポーズをする「着エロ」とも呼ばれる作品類をごちゃ混ぜにしていることにあきれ果てた。
18歳以上の女優を出演させて、「小●生のセックス!」などと、子供との性交をあおり立てるような表現物を製作すること。それと実際に17歳以下の子供に性的なポーズなどをさせることは、包有する問題は全く別である。前者は「子供とのセックスを想起させること」が問題であり、後者は「実際の子供が性的な目的のために利用されていること」が問題であるといえる。
ざっくりと「児童ポルノ」としてひとくくりにされている中には、以下のような問題があると考える。
未成年者がAVに出演させられる問題
未成年者がAVなどに出演しようとしてしまう問題
親が子供を出演させる問題
未成年者であるような煽り文句の問題
未成年に見える成人が女優として出演する問題
他にもあるかもしれないが、これらは全部バラバラな問題であり、それぞれに論点と異なる解決法が存在する。これらをひっくるめて「児童ポルノ問題」などと称することは、問題を無駄に複雑にし、解決から遠ざけるだけのことである。
他にもさまざまな批判があるが、多くの人が多方面から批判を寄せているので調べてもらうことにして、僕としてはこの報告書の最後「提言」に対する批判をしておきたい。特にこの提言の中に記されている「ゼロ・トレランス」という言葉についてである。
報告書の「提言」の項に、政府や関連機関への提言として、
「児童ポルノについて、「着エロ」、イメージ・ビデオの如何を問わず、一切これを許さない「ゼロ・トレランス」の姿勢を明確にし、関連するすべての産業に周知徹底すること。」と書かれている。
ゼロ・トレランスを日本語に直すと「寛容さなし」という意味になる。元々は犯罪を割れた窓を放置してはいけないという「割れ窓論理」とともに知られるようになった言葉で、小さな非行や乱れに対して寛容さなしであたることにより、子供が犯罪者になったり、街が犯罪者のターゲットになるということを避けられるという考え方である。
しかし実際にはゼロ・トレランスを実施したところでも、犯罪が減ったとは明確には言いがたく、その一方で「子供が食事用のプラスチックのナイフを持っていただけで、停学になったり裁判沙汰になる」というような、何の被害も産みそうにない、きわめて小さな罪を「割れ窓発見!退治せよ!!」とむやみに拡大解釈したような悪癖ばかりが目立つのが、ゼロ・トレランスの現実である。
ゼロトレランスが適用される場合、規制を実施する側がみだりにその権限を乱用すれば、社会は混乱に陥ることになる。だからこそ、これを適用する際にはきわめて明白な論理性と明確な根拠が必要になるのである。
では、HRNにはゼロ・トレランスを他者に対して適用しようとする資格があると言えるのだろうか?
その観点からHRNの報告書をみるに、とてもではないがHRNにゼロ・トレランスを迫るだけの資格はないと考えられる。
報告書の中で最も間が抜けていたのは「医師による所見」の項である。
中でも
「⑦ 「■■ちゃんは 139cm の小○生」 → 18 歳未満と考えられる。顔つき、身体の発育状況から断定が困難であるが、小学校高学年である可能性もある。」という部分はあまりに間抜けであった。
このAVを検索すると、ある単体女優の名前が出てくるが、その女優の生年月日は公表されており、少なくともDVD販売時の2013年5月には18歳以上であることは分かる。
もちろん、公表されたデータに嘘がある可能性もなくはないが、多くの作品に出演する以上、それらのメーカーすべてが年齢確認をしないということはあり得ない。確実ではないがほぼ100%の確率で児童ポルノではないと言っていい。
医師が顔つきや筋肉や脂肪の付き方などを外から見て、年齢に検討を付ける方法を「タナー法」というが、この方法はあくまでも確率的に「だいたいこのくらいの年齢であろう」としか言えない方法である。話として参考にはなっても、正確に年齢を割り出すことはできない。「18歳以上なら合法、17歳以下なら違法」という厳密な測定にはそぐわない。
また「疑似ロリ」に出演するような女優は、元々「年齢平均から外れた体型」であるからこそ、ロリ物に出演しているのである。平均から外れていることが前提になっているジャンルの女優を、平均的な観点からみることにいったい何の意味があるのか、僕には全く理解できない。
もう一つ、平均的な観点から見ることの問題を述べておくと、18歳以上の女性を子供と判別してしまうことがあるということは、同時に、17歳以下の子供を18歳以上であると認識してしまうことがあるということでもある。医師による所見では「大人びた15歳の子供」を助けることはできないのである。
医師による児童ポルノ判断では、大変な冤罪未遂事件も発生している。アダルトDVDを購入した男性がプエルトリコで児童ポルノ所持の疑いで逮捕された。男性の拘束は2ヶ月に及び、医師は「DVDに映った女性は18歳未満であることは間違いない」と証言していた。しかし、それを知った出演女優がプエルトリコに駆けつけ、裁判で成人である旨の身分証明を行い、男性は疑いを晴らすことができたという話だ。(*2)
もし、無実が証明されなければ、男性は最高で懲役20年にもなる可能性があったということだから恐ろしい。
HRNはゼロ・トレランスを迫る割に、児童ポルノ認定の論理はあまりに緩い。HRNの訴えが受け入れられれば、日本でもプエルトリコのような悪夢が再現されるかもしれない。
HRNはそうした批判に対してFAQを示している。(*3)
「Q 報告書は、医師の見解により、「児童ポルノ」と断定しているのか。「100%ではないから「疑われる」と記している」という主張である。
A 当団体では、今回報告書で取り上げたいずれの作品についても、刑事事件で有罪立証がされたのでないことから、いずれについても児童ポルノであるとの断定はせず、「疑われる」等の表記としています。
当団体では、児童か否かについて経験を積んだ小児科医の見解をいただき、報告書にも記載していますが、医師の見解によって 100%児童か否かが判断できるわけではないという認識でおり、年齢確認のメカニズムが必要と考えています。」
「児童ポルノにはゼロ・トレランスであたるべき」と、大口叩きながら、自分たちの児童ポルノ認定は「疑われる程度の表現でもいいじゃないか」と寛容そのもの。ハッキリしなくてもとにかく排除だけはしていこうという高圧的な姿勢は無責任であると断じるしかない。
法律の適用においてすら「疑わしきは罰せず」は原則である。ゼロトレランスを主張するのであればなおのこと「疑われる」という表記で、根拠の提示から逃れるようなことはしてはならないのである。
この報告書には「子どもたちを守るために、何が求められているのか ~「疑わしさ」の壁を越えて~」と記されている。しかしながら、僕はこの報告書からは「とにかく児童ポルノっぽいものを排除しよう」という意図は見えても「子供たちを守ろう」とか「疑わしさの壁を越えよう」という意味合いはほとんど感じることができなかった。
そもそも、ゼロ・トレランスは子供たちを守らないし、壁も越えない。ゼロ・トレランスの監視対象とされた人たちは、ただ理不尽な裁定におびえて、堅く自分たちを守るしかできなくなってしまう。
子供たちを守るために必要なのは寛容さだ。それは決して子供にだけ向けるものではなく、AV業界に対してその商売を闇雲に批判しないという寛容さを見せる必要がある。
AV業界だって、何も「違法なことをしたい」と思っているわけではない。ただ顧客ニーズを踏まえて「子供っぽい18歳以上の女性」を出演させているだけのことである。逆に言えば子供っぽい18歳以上の女性だと思ったら、実は17歳以下で、警察が会社にやってくるような事態は避けたいのだから「17歳以下の子供から性的搾取したくない」という部分については、実は利害が一致するのである。AVメーカーとは共闘ができるのである。
それとは別なのが、いわゆる「ジュニアアイドル」「着エロ」を配給するメーカーである。そうしたメーカーの中には明確に子供を性的搾取の対象にしているメーカーもある。そのようなメーカーは排除されてしかるべきだし、少なくとも、子供にマイクロビキニを着せたり、股間をアップにするような表現手法は批判されるべきである。ただし、こうしたメーカーに子供を売り込むのは、その親であることが多く、メーカーだけを排除しても子供が性的に搾取される問題が解決されたとは言えないので注意が必要だ。
HRNを批判する人の多くは、18歳以上の女優が出演する疑似ロリ物と、17歳以下の子供が出演する物を区別することをHRNに求めている。それはそこを明確に区別し、別の問題として考えることでしか、実際の子供を救うことができないということをよく理解しているからだ。ただイデオロギー的に「児童ポルノを排除しろ」では、問題は複雑化するばかりで、誰一人として救えないことをよく分かっているからだ。HRNへの批判は子供たちを守るためにされているのである。
この問題で壁を越えていないのはHRNである。
児童ポルノという複雑な問題を雑に扱い、メディア露出狙いでしかない報告書などを出したところで、子供は一切救えない。
HRNこそがまずは、子供たちを守るという大きな目標のために、イデオロギーという壁を大きく飛び越えるべきなのである。
*1:日本・児童ポルノ規制の実情と課題(ヒューマンライツ・ナウ)
*2:出演女性が「若く見えたため…」児童ポルノ所持で男性逮捕、海外から駆けつけたポルノ女優が証明し禁固20年から救う(らばQ)
*3:FAQ(ヒューマンライツ・ナウ)