現代の「日本のコンスティテューション」とはなにか ~宇野重規×山本一郎対談(2) - BLOGOS編集部
※この記事は2016年07月29日にBLOGOSで公開されたものです
『保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)』の著者で政治学者の宇野重規氏とブロガーの山本一郎氏の対談。前回に続いて、今回は過去の日本政治にあって、今の日本政治には欠けているものは何か、そしてこれからの「保守主義」はどのようにして見いだすことができるのか、語り合ってもらった。【大谷広太、村上隆則(編集部)】・「保守」「リベラル」で思考停止するのはもうやめよう~宇野重規×山本一郎対談(1)
■どこに向かって進歩するのか分からなくなったリベラル
山本一郎氏(以下、山本):「保守」の定義が曖昧になっている一方で、対する「リベラル」の劣化も指摘されています。社会学者の北田暁大さん(東京大学教授)をはじめとした学者のみなさんが、頑張ってリベラル再興のための議論をされています(「リベラル懇話会」)が、やはり進歩主義のかすみ具合は激しく、対する保守主義も立ち位置が見えなくなってきてしまいました。
進歩主義に対して、きちんと内容を吟味し「ちょっと待てよ」というのが保守主義のポジションです。大きなエンジンと大きなブレーキがお互い機能しあうことで社会を発展させるという意味では、かつては進歩主義も保守主義も明確に存在していましたが、それが両方とも小さくなってしまうと、なかなか社会が良くならないし、相互に良い影響を与え合うようなオルタナティブも発生しない。それでは社会が前進していかないんじゃないかと、ジレンマを感じます。
宇野重規氏(以下、宇野):仰るとおりです。保守よりも先に、進歩主義とかリベラルの方が、まずダメになりましたね。彼ら自身、自分がどこに向かっているんだか、さっぱりわからなくなっています。
山本:進歩の話でいうと、昔はテンポとしてもそんなに早くなく、たとえば企業も30年ぐらいかけて大企業になっていく世界でした。今それが、3分の1ぐらいのタイムスパンで企業も急に大きくなり、新しい技術があっという間に世界を席巻したりとなると、社会が技術や思想、概念を咀嚼する前に、次々に新しい状況が生まれてくる。スマホだ、IOTだ、クラウドだって(笑)。そんな社会になると、刹那的にならざるをえない面も若干あるのかなと。
宇野:保守の側も、フランス革命を批判する、社会主義を批判する、大きな政府を批判するといったように、敵が明確な時は良かったんですが、そうでない時代になると、一体何を保守しようとしているのか、よくわからなくなってくる。
山本:左翼系知識人と言われてきた人達が、いかに扇動的であり、いかに根拠なく社会をコントロールしようとしてきたかは、ネットの時代になって欺瞞が暴かれ始めると一気に輝きを失ってしまいました。彼らも別に悪気に満ちていたわけではないと思いますが、根拠なき啓蒙主義が結果的に「日本人を間違った方へ進ませていたに違いない」という理解に繋がり、コモンセンスになってしまい、推進力を失ってしまいました。
宇野:昔の革命主義者って、多分本当に信じていたんですよ。でも、今のいわゆる左翼とかリベラルと称する人達が、どこまで自分自身を信じているのか。何か建前を言っているのではないか、というのが透けて見えてしまうようになってしまいました。それが思想に対する信頼を失わせてしまうっていうのがありますよね。
山本:昔は日本の進むべき社会の発展型を明確に示そうというピュアな思いがあったと思うんですよ。だからこそ、革新し、問題を解決していくための課題設定や政策を主張していたことそのものは、悪くなかったと思うのです。
■守るべきコミュニティを持たなくなった保守
宇野:逆に保守の側も、昔だったら自分達が守るべきコミュニティがはっきりしていた。例えば田中角栄は「新潟の生活を良くしたい」と。だから保守政治家は田舎を背負って、東京に来て、橋を作ったり、道路を作ったり。今から考えれば、どうしようもない利権政治だと思うかもしれないけど、彼らにしてみれば、守りたいコミュニティがはっきりしていたということでもあると思います。
それが今や、保守政治家とされる人達はそのほとんどが東京生まれ東京育ち。自分の選挙区ともほとんど繋がりがなくて、その地域を守りたいと心から思っているのか、疑問に思うことがあります。「なんだか知らないけど、この地域を守ってくれているんだ。共同体を守っているんだ」と思える人がいなくなっていますよね。
ただ、そういう生活感覚って、まだ残っていると思うんですよ。私は岩手県の釜石との付き合いがあるのですが、若い人たちが入ってきて、釜石を変えようとしてる。彼らは地域の価値や風景、暮らしを”保守すべきもの”として再発見し、守っていく人間になりたいと感じている。僕はそういうタイプの”保守”に希望があるように思います。そういう人たちを、民進党がすくい取れるならいいんですが。
政治家にも新たなラベリングが必要ですね。日本なりに「保守」の意味を再定義することを通じて、今までの「保守」「リベラル」とは違う形の新しいラベリングが生まれてくるんじゃないでしょうか。■かつての政治家にあった「知恵」と「ユーモア」
宇野:自分たちが寄って立つべき思想みたいなものをどう再発見するかというときに、やっぱり江戸時代の遺産って大きいと思うんです。藩校もそれぞれ学風が違う。中国から輸入した思想に対して、京都や大阪のような商人の思想も出てくる。それらを各地域でミックスし直して、地域の課題と向き合ってきたのが日本の良き伝統でした。
戦後もそうで、大平正芳(1910~1980)は香川の貧しい農家の生まれですけど、トマス・アクィナスやイギリスの社会主義、農業社会主義などを通じて、地域コミュニティを考えた。それに対して、同じ首相でも、吉田茂(1878~1967)は全くの都会っ子。こういうのが凝縮しているのが、日本政治の面白さだったと思うんですよね。
山本:昔の日本政治を見てみると、保守を自認している人たちには一つの知恵があったと思います。例えば自民党の人達は、野党だった社会党の人達との対話を非常に重視して、国会対策を通じて合意形成をしていくのが非常にうまかった時期がありましたね。
そこで出てきたものが結果的に良かったのかどうかは別として、あれは古き良き日本の政治の伝統だという人達もいます。今、それが失われて、自民党と民進党との対立だけの構造はどうなんだと思います。お互いに対する敬意が乏しいようにどうしても見えてしまうんですよね。
宇野:『保守主義とは何か』の中でも触れたことですが、政治の場には本来ユーモアが必要です。議会で乱闘してもいいんですよ。でも、「自分達がやっていること、おかしいよね」と心のどこかで笑うことができる感覚。自分のことを含めて笑い飛ばすことができて、決して現実は変わらないんだけど、みんなの気持ちが少し軽くなる雰囲気づくり。そういう、ほっこりするぐらいのユーモアが、日本の保守政治にもあったと思うんですよね。今の日本には、人を下げたり、引きずり下ろすような笑いが多いんですけど…。
山本:私はそういう笑いも大好きですけどね(笑)。
宇野:昔の自民党と社会党って、ケンカを派手にやりながら、裏では調整もして。一歩間違えれば談合かもしれませんが、良く言えば、一つ上からの視点があったように思います。最近の政治家たちからは、そういうユーモアの感覚がなくなった気がします。
山本:今、みんな必死なんですよね。
宇野:でも、歴代の自民党の指導者って、大体、社会党の指導者たちとも個人的には繋がっていたわけです。だから自社さ連立政権なんかも出来たわけで。主張は違うけど、どこかユーモアで繋がろうみたいな感じがあったはずです。
山本:55年体制では高度成長して「みんな豊かになっていくぞ」という夢があったかもしれないですが、政治の風土に意外と遊びがあって。その中で「ここはお前にくれてやるから、ここは吊るしにさせてくれよ」みたいな話が出来る間柄が、そこかしこにあったと思うんです。それが今の自民党と民進党との間にあるかと言えば、ほぼない。
宇野:党内ですら、そういう議論が出来ていませんね。それどころか、党内でいかに足をひっぱるか、まさに日本社会の縮図になってしまっているんですよね。これは、バーク的な政党ではありません。
それから、人を育てていく文化がないとダメですよ。今回の参院選では今井絵理子さんが出てきました。今井さんが本当に沖縄のことを勉強して、持論が出てきて大成すれば、それはそれで良いと思うんですよ。だけど今は、「沖縄のことを知らないのか?」と批判するか、ただの「元アイドル」としてしか持ち上げない。
山本:結果、テレビでワンフレーズ・ポリティクスを叫んだ人達が票を集めるという状態になってしまいました。もしかすると、日本ではずっとご都合主義が蔓延って、政治哲学や政治思想をきちんと培って来なかったからなんじゃないかと、今になってようやく気づき出したわけですね。
今回、東京都知事選に立候補している増田寛也さんや小池百合子さんの思想ってなんだ?と分析しようとしても、恐らくは何の思想も無いのだろうなと。無いとなると、どのように社会を前進させるのかが、全く見えないんです。現実と理想の狭間をうまく埋めるためのものが何もないとなると、政策での優先順位も決められなくなってしまいます。
民進党も党全体としてはリベラルを標榜してはいるんですけど、中には右派の議員さんもいらっしゃるわけです。その中から、ちゃんとした保守主義思想を持っている人が1人でも出てきたら、ガラッと変わるんじゃないかなって思ったりもします。
リベラルなんだけど、ちゃんと保守についての理解もあって、オルタナティブの中心になれる理論家が出てくれば、いままでとは全然違う政党政治が出てくるんじゃないかなっていう期待感もあるんです。
宇野:バークも、割と早い時期に政権側を経験するんですよね。その経験があるので、野党になっても「この国をどうやって維持していくか」という発想ができたし、現政権に対してもオルタナティブを示すことができたんだと思います。そう考えると、政権交代にも意味があると思います。
■「日本のコンスティテューション」とは何なのか議論すべき
宇野:海外に目を向けると、今、アメリカではトランプが出てきていますが、アメリカの保守主義に健全な点があるとすれば、政府に頼らないで、荒野の中、一人で生きてきたと。そして、その時に心の支えとなった神やキリストを大切にするということ。どれだけ頑迷であるにせよ、一つの哲学ですよね。
イギリスの場合も、今度のBREXITをバカバカしいと思う反面、やっぱり「ヨーロッパだけど、ヨーロッパじゃない」という独特のアイデンティティを維持したいという、イギリス人の生活感覚がああいうことを起こしたように思います。
ただ、だからといって単に内向きになってはいけない。今、世界中が内向きになっていますよね。イギリスやアメリカと一緒になって、どんどん内向きになって沈んでいってしまったら、もうアウトですよね。
社会保障の問題でも、アメリカやヨーロッパでは「全ての人に」というより、「やっぱり自分達の仲間に」だよねという議論が出てきています。「移民や難民のようなストレンジャー、全ての人を救ってあげよう」という発想と、「歴史や共同体を一緒に作ってきた仲間をまず大切にしよう」という発想のぶつかり合い。今後、日本でもそのせめぎ合いが起きてくるはずです。
山本:日本にも、昔は謙譲の美徳と言うか、自分たちの分をわきまえるというのが、みなさんの中にしっかりとあって。お年寄りは長生きしてすいませんみたいなところがありました(笑)。そういう、お互い様の部分でうまく支えあって、地域社会を作っていたのが、急速に無くなっていったなと。
宇野:「情けは人の為ならず」というのは良いフィロソフィーだと思うけれど、そのまま言っても若い人たちはあまり感心しないんですよね。でも、そういうものを日本の思想的伝統にしたいですね。
山本:やはり、ある意味での「教養」が必要だと思います。たとえば思想家たちが、なぜそういう主張をしなければならなかったのか、バックグラウンドを理解するためにも世界史を学んで…と、知識は連鎖していくものだと思いますが、それが分断されてしまっています。
例えば日本国憲法の対比としてブリティッシュ・コンスティテューションはどうなの、アメリカ合衆国憲法の理念はどうなの、とか全て連環しているはずなのに、「押し付け憲法だ」とか(笑)、そこだけで議論していたらダメなんじゃないかと思います。
宇野:英語の「コンスティテューション」って「憲法」のことだけど、ニュアンスとしてはもうちょっと広い意味があって、国の仕組みとか、国の形を指す言葉です。日本の国の形があって、日本国憲法はその一部に過ぎないのであって、もっと広い意味で、日本が大切にしている価値とか、ルールをも考えなければいけない。
山本:伊藤博文や北一輝が、ナショナル・アイデンティティというべきものを作ろうとして途中までいくんですが、うまくいきませんでした。日本人なりの国家観を作っていく過程で断絶があって。
宇野:戦後はひたすら、そういうことには触れないようにしてきましたね。でも本当は、右・左問わず、「日本のコンスティテューション」とは何なのかを、正面から議論するべきです。■マイノリティが出てくる社会になったほうが良い
山本:都知事選には出馬しませんでしたが、蓮舫さんは、それこそ台湾から帰化されたということをベースに、自らに何が出来るかということを、かなり考えて来られたと思うんです。でも、結局は「浮動票が取れる人」というところで終わってしまう部分があって、「前回より60万票も減ったじゃねえか」みたいに票数だけで見られてしまうのは、もったいないことだなと。
宇野:蓮舫さんが、自分のオリジンを自分の言葉で表現出来るようになると、日本の政治文化は一歩前進すると思いますね。「台湾出身の親を持っている私が日本のリーダーになれる。これが日本の21世紀の姿だ」と言い切れてこそ、魅力があるんですけどね。
沖縄問題であるとか、アイヌ問題とかを引き受けて、色々あったけれども、今はこういう方向でなんとか解決しようとしていると。それをもし示せれば、正々堂々と、中国に対してチベット問題を批判できるわけですよ。
山本:それこそ、もっと色んな国の人達が日本に帰化して議員になったらいいと思います。もちろん、いろんな摩擦も起きるし、ヘイトもあるかもしれませんけど、それこそ、沖縄、北海道、あるいは日本に定住し日本で暮らすことを決めた、ベトナムやインドやロシアその他、マイノリティの人達がどんどん出てくる社会になったほうが良いはずなんです。
宇野:その人達が、これが「日本のコンスティテューションだ」と言える日が来れば、世界に打って出られますけどね。
山本:そうしたいですけね。
宇野:そうしていかなければいけないと思います。
■プロフィール
宇野重規(うの しげき)1967年東京都生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所准教授を経て、2011年より同教授(政治思想史、政治学史)。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学』 (東京大学出版会)など。
山本一郎(やまもと いちろう)
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる。統計処理を用いた投資システム構築や社会調査を専門とし、東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員、東北楽天ゴールデンイーグルス育成・故障データアドバイザーなど現任。東京大学と慶應義塾大学とで組成される「政策シンクネット」の高齢社会研究プロジェクト「首都圏2030」の研究マネージメントを行うなど、社会保障問題や投票行動分析に取り組む。著書に『ニッポンの個人情報 「個人を特定する情報が個人情報である」と信じているすべての方へ』(翔泳社)、『読書で賢く生きる。』(ベスト新書)ほか。
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