犯罪者から優先的に救われる社会 - 赤木智弘
※この記事は2016年01月23日にBLOGOSで公開されたものです
ネットで「すしざんまいの社長がソマリアの海賊を殲滅させた」という話が流れていた。さすがに話を盛り過ぎだろうと思ったが、インタビュー記事を見るに、すしざんまいが会社としてソマリアの海賊たちにマグロ漁のための船を与えて、技術を教えたことによって、海賊を漁師に戻すことに成功したという話が書かれていた。(*1)
殲滅という言葉は物騒すぎるが、ごく当然の経済支援を行ったことにより、海賊行為に関わる人の数を減らしたという功績は確かなようだ。
ただ、決してそれだけが海賊がいなくなった要因ではなく、国際社会による海賊掃討により海賊活動で得られる収益が減ったことも重要だという指摘もある。(*2)
国際的に海賊問題が無視できなくなり、各国が武力で海賊活動を抑圧。活動ができなくなったところに、まっとうな経済活動として生計を立てる術を教える。この両者が上手く噛み合った結果として、ソマリアの漁師たちが海賊行為をしなくても良くなったというこの指摘は、極めて納得のいく指摘である。
これでソマリアの海賊もいなくなり、国際社会もハッピーだし、ソマリアの元海賊たちも合法的に生計を立てることができるようになってハッピー。めでたしめでたしである。今後は漁師たちが海賊に戻らなくてもいい経済状況になりますように。
さて、ではこうした結果を引き寄せたものはなんだろうか?
それは僕は「努力」だと思う。ソマリアの漁師たちが努力をした結果、このような良い結果が産まれた。
では、その努力の実態はなんだろうか?
その努力の実態は「海賊行為を行ったこと」である。つまり彼らが犯罪に手を染めた結果、彼らは救われたのである。
もし、彼らが犯罪を起こさなかったら、ソマリアの貧困はこれほどまでに大々的な問題として扱われることはなかった。世界中の船がソマリア沖で海賊に襲われたからこそ、日本のみならず、世界中で海賊の存在が問題にされた、掃討に動いたり、経済的支援が産まれたりしたのである。 すしざんまいの社長の話にもあるが、海賊がキハダマグロの漁場を占拠していたからこそ、すしざんまいの社長は彼らの貧困に「自社の利益を得るための経済活動として」支援をすることになった。これを引き寄せたのは漁師たちの海賊行為の賜物であると言えよう。
僕は少し前から「泥棒も職業だ」と言うことにしている。それは、貧困に苦しみ、生活保護を受けるような人達に「自己責任」とか「働け」と言う無邪気な人たちに対して「じゃあ、彼らが生活のために犯罪を犯しても文句を言うなよ?」と逆説的に訴えかけるための言論であった。
しかし、この件を知って「泥棒も職業」というのは、逆説的でも何でも無く、単純に真理であったと気付かされた。道徳的な善悪など一切関係なく、経済活動の大小こそが、私達の待遇を決める。それが現在の資本主義社会の真理であると言えよう。
フリーターなどの非正規労働者の待遇がいつまで経っても良くならないのは、非正規労働者が経済活動にとって都合のいい存在であるからだ。社会の歯車として労働の末端を担って、誰にも迷惑をかけない存在であるからこそ、社会から粗末に扱われる。
一方で、ストや労働運動を繰り返して経営陣に圧力をかけ続ける労組や、従業員を見殺しにして金を稼ぐブラック企業の経営陣といった、道徳的に言えば迷惑極まりない人たちなどは、厚遇をもって社会の勝者として居座る。
そう考えるに、貧しい人たちがしなければならない「まっとうな努力」とは、仕事のスキルを磨いたり、貧困の現状を訴えることではなく、積極的に企業の経済活動の邪魔をすることなのかもしれない。
結局のところ、金を持った人間が、自らの道徳観の発露として他人を救うことはないのだろう。彼らが他人を救うとすれば、それにより経済活動がやりやすくなると、金持ち側が考えた場合のみである。
ならば、それを逆手にとって、ソマリアの海賊のように犯罪に手を染めるなり、他人の経済活動に対する邪魔者になることで、貧困をなくしていくしかないのかもしれない。
しかし、それは決して貧乏人の逆ギレではない。あくまでも最初に権力者や金持ちが社会的役割を放棄して、格差や貧困を生み出したという「権力側の怠惰」が原因である。
権力者が道徳を打ち捨ててしまった社会では、貧乏人もまた、まっとうな良識を捨てて、反道徳的に活動することにしか、幸せになる道はないのかもしれない。
本当に情けない社会である。
*1:すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」(ハーバービジネスオンライン)
*2:すしざんまい社長はソマリア沖の海賊を壊滅させたのか?(dragoner - 個人 - Yahoo!ニュース)