人類の危機と、犬の命を天秤にかけられるのだろうか? - 赤木智弘
※この記事は2014年10月27日にBLOGOSで公開されたものです
エボラ出血熱の流行が、人々を追い詰めている。アフリカを中心に感染は拡大し、多くの市民や医療従事者が犠牲になり、またアフリカへの渡航者が出国した後にエボラを発症することなどもあるようだ。
WHOの10月22日の発表では、疑いを含む感染者は9936人。うち4877人が死亡しているという。(*1)
こうした中、日本でもエボラへの対応が迫られている。政府がどのような政策をするのかは分からないが、ネットなどでは流行国に行くような人間に対する中傷が繰り広げられてしまっている。
自分が遭遇した例だと、医者だというプロフィールの人が「流行国に行った後に体調が悪くなったら、大病院に行け」と主張しているところに対して「しかし、大病院は交通費や初診料もかかるし、地元の開業医に行ってしまう人がいるのも仕方ないのでは?」という旨を尋ねた所「こういう奴がエボラを広めるんだ」という、なんともわかりやすいマッチョなご回答を頂いた。
言っておくが、感染症の流行を防ぐためには、実質的な防護方法をしっかりと伝え、もし間違って感染したとしても、それを頭ごなしに批判せずに、治療に導くような態度が必要不可欠である。必要であれば、感染予備軍に対する誘因を準備する必要もあるだろう。
それこそエイズの問題などで、マッチョな人たちは「子供にセックスを教えるな! 不純異性交遊は悪だと教えろ!」と主張するが、そんな主張に賛同する専門家はいない。子供たちにしっかりと性教育を行い、コンドームなどの正しい使い方を伝えることで初めて、感染症は防げるということはハッキリと分かっているのだ。
「エボラに罹ってるかも知れない人間は、とにかく医者のいうことを聞け!」という態度では、防げる感染も防げないのである。
日本ではそんな心もとない状況だが、アメリカでは多少は状況が違うところもあるようだ。
病院でエボラ出血熱に感染し、治療中の看護師の飼い犬を守ると、テキサス州ダラス市当局が発表しているという。(*2)
少なくとも僕は、犬やネコなどのペットを、公衆衛生のために殺すことは正統だと考えている。今回のような特殊な例でなくとも、野良犬や野良猫を保健所が捕まえて安楽死させることは、人間が安全に生活するためにも必要不可欠であると考えている。いくらペット好きが「この子は家族!」と言い張ろうと、人間の生命と犬猫の生命を選択する必要があれば、犬猫の命を捨て、人間の生命を再優先に考えることを正統だと考える。 この記事ではこの犬がエボラに感染しているかどうかはわからないし、また犬が感染したとして、そこから人間にエボラが伝染るかどうかは分からない。しかし、最善を考えれば、エボラの感染がはっきりしている人間のペットは焼却処分してしまうのが、一番安全である。
だが、そうと割り切れないのが人間なのだ。
治療中の看護師にとっても、飼い犬の安否は心配であろう。もし、人間の都合だけを理由に、慈悲もなく犬を殺してしまえば、看護師は落ち込み、エボラと戦う気力も失ってしまうかもしれない。
しかし、一方でこの犬を生かすことは、この犬の世話をする医療従事者たちを感染の危機に晒すことでもある。
こうした、危機が訪れた時に、どのような判断が正しいかということは、決して白黒ハッキリつけられるものではない。犬を生かすのが正しいのか、殺すのが正しいのか、僕にはわからない。
仮に僕がエボラに感染して、ペットを飼っていたら、そのペットを安全のために処分してほしいと言うだろう。しかし、他人がペットに生きてほしいと願うことに、文句はつけられない。誰かのエゴで最善の策が取れないとしても、それが尊重される社会であってほしいと、僕は思う。
最近は白黒ハッキリ付ける二元論的な考え方をする人たちが増えているが、世の中はそんなに単純ではない。だからこそ、こうしたことをきっかけに、いろいろなことをひたすら考え続ける必要があるのだ。
*1:マリでエボラ感染を初確認 アフリカで6カ国目(朝日新聞デジタル)
*2:エボラ出血熱に感染した看護師の愛犬「安楽死はさせない」 ダラス市が最善をつくすと約束(ハフィントンポスト)