※この記事は2014年08月22日にBLOGOSで公開されたものです

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前編はこちらから→わからないことだらけで、ネガティブな思考との闘いだった

ほんのちょっとだけ、「こういう経験をしてよかったな」と思う瞬間がある

永田:今回、お2人の対談ということで設定させていただいたのですが、この機会にお互いに聞いておきたいことはありますか。まず大野さんから麻美さんに。

大野:治らない病気、あるいは重い病気を、若くして抱えるというのはやっぱり大変なことだと思います。99.9%大変なんですが、ほんのちょっとだけ、「こういう経験をしてよかったな」と思う瞬間がたまにあるんです。たまにですが。

「もし」の話はあまりしても仕方ないのですが、私は発症しなかった自分より、きっと今の自分のほうが好きかもしれないなと思う時が、たまにあるんですけど。麻美さんは、そういう0.1%の良かったことや、病気になって、ちょっと自分を好きになれたことがあったりしますか?

麻美:当たり前のことかもしれないですが、時間の大切さを改めて考えさせられた、というのはありますね。忙しく過ごしていた中で、どうしても仕事に埋もれて自分自身と向き合う時間や大切な時間を忘れていたんじゃないかな、という思いはすごくありました。

今回、闘病をきっかけに、時間に余裕がある中で自分と向き合ったり、改めて家族や、ただご飯が食べられることの大切さを知ることができて、それはすごく良かったなと思います。きっと闘病を経験していなかったら、今の自分の考えや生き様はなかったと思うので、「感謝する」というのは、少しおかしいかもしれないですが、少しだけ心にゆとりが持てたような気がします。

永田:大野さんにとって、いままでのようなご経験をされてよかったなと思える0.1%の部分というのは、どういったところですか?

大野:病気になってから、毎日、毎日、いろんな場面で「今まで、こんなことを知らずに生きてきたのか」と思うんですよね。発症した当時は25才でしたが、「よくぞ、こんなことを知らないで25年間も生きて来れたな」と振り返って思います。

あと、病気ってやっぱり「経験」なわけです。痛みや苦しさって、経験してみないと本当に理解することはできない。「寄り添う」とか「想像」とか、努力はできても本人と代わってあげることはできないわけです。人間が苦しむということが、「本当に大変なことなんだな」という実感…それが、今の私の生きている実感なんです。物書きのくせにこんな凡庸な言葉で、申し訳ないんですけど、生きてるって、本当に大変なことなんだなと感じることができるようになりました。

永田:「こんなことも知らなかったのか」というのは、社会制度や医学的な知識のことかと想像していたのですが、病気の経験を通して、人の痛みや苦しみに対する“想像力”がよりリアルになったということでしょうか。

大野:発症する前は、たとえばガンになる人や難病になる人が、「いるんだろうな」とは思っていましたが、具体的に会ったことがないので、ぼんやりとしていたんです。それが、当事者になると、いっぱい当事者の人に会うようになって、麻美さんもそうですが、本当にすごい経験をしている人、実は身近にたくさんいるんだなと思います。

今日会場にいらっしゃっている方々もそうですが、人間1人1人の背景には、それこそ大河ドラマになるようなストーリー、屈折と喜びと悲しみがあるわけですよね。そういうことを、たまに感じて夜中に1人、マンションで「ウワーッ」と叫んだりしています、あ、ヘンな人ですね(笑)。

永田:著書の中で大野さんは、よく“クジ”という言い方をしていますよね。「私はたまたま難病というクジを引いた」と。誰もが、「まさか自分が病気になる」なんて思っていません。しかし、言い方は悪いですが、その“クジ”に当たってしまう可能性は誰にでもあるわけですよね。逆に、麻美さんから大野さんにお聞きしたいことはありますか?

麻美:大野さんは、本当に大変な経験をなさっていて、今でも気分が落ちてしまうことがあると思います。それでも、すごくパワフルで活動的というイメージがあるのですが、その力の源はどこから来ているのかな…と?

大野:気分は今もずっと落ちています(笑)。基本的によく「大野さん、明るい」とか「前向き」とか言われますが、ネクラで心配性。心配性が過ぎるわけですよね。

人から「こうすれば何とかなるよ」とか「たぶん、こうなんじゃない」などと言われても、自分の主治医にすら、「こうだと思うから、たぶん何とかなるんじゃない」と言われても、それらを信用できないわけです。自分で確かめて確信を持てるところまで至らないと、一歩を踏み出せないんです。

麻美:どういう時に確信を持たれるんですか?

大野:納得いくところまで自分でいろいろ調べ切ってからとか、その本人に会いに行って話を聞くとか、そういう感じです。

そういえばこの前、東北で難病患者さんの調査をしている時に、仙台駅で帰り際に15分間だけ久しぶりに母親に会ったんですね。新幹線に乗る前の15分間だけでしたが、「基本的に、変わってないね」と。「病気になっても、あんまり変わんないね」と言われました。 心配性でネクラな気持ちは、病気になってもあまり変わらなかったみたいですね(笑)。

永田:現在は、作家としてご活動していますが、執筆活動へのモチベーションも、自分で調べ切って、そのことを発信しなければ、という思いが強いんでしょうか。

大野:『困ってるひと』という本を書いていた時は、自分でも思い返すと信じられないエネルギーですが、今よりずっと状態は悪いのに、隔週で1万字以上書いていたんですね。15万字あれば単行本にするには充分ですから、その量を実際、短い期間に書き切っちゃったわけですよね。当時は、自覚していませんでしたが、やっぱりやりきれない思いみたいなものは、あったのかもしれません。

自分は、社会的に弱い立場にある人の役に立ちたいと思って、学生時代ずっとやってきたはずなのに、実際自分が当事者になってみたら、見える風景や気分が全然違うわけですよね。そのことを、どうしても伝えなくちゃいけないと思ったのかもしれないですね。今、思い返すとですが。

難病の人が働くのに必要な配慮というのは“ちょっとしたこと”

永田:麻美さんは、闘病の最中にモチベーションになった部分や、復帰された今、活動のモチベーションになっているのは何でしょうか?

麻美:そうですねえ、モチベーション……。闘病中はできなかったこと、いろいろな制限がありましたから、自分が動けるとなった時に、やれることをやりたいなと思っていました。小さな目標なんですが、闘病している時は「ちょっと動けるようになったら料理作ろうかな」とか、本当に些細なこと、小さな目標を作って、それに向かって頑張ってモチベーションを上げていました。

今は、こう過ごしていることが、すごく大事というか、大切だなと思えて。これを自分の体が動けるうちに、パワーに変えたりとか活動したいと思っています。

永田:復帰されてからは、講演活動などもされていますが、そこで同じ境遇の方の声を聞く機会もありますよね。

麻美:そうですね、そういった方たちのお話を聞いて、パワーをいただいたり、力になることがたくさんあるので、自分自身も何か話すことで少しでもお役に立てることがあればと思って、活動していきたいと考えています。

永田:先程、大野さんが今まで病気の人とあまり会う機会がなく過ごしてきたという話をされました。しかし、実際に病気になると、同じ境遇にいる人同士の繋がりが生まれてくる。一方で、そういう人たちがいる事実がありながら、なかなか一般の人とつながっていけない、そういう実態が伝わっていかないという現状があると思います。

そういう中で、大野さんの『困ってるひと』という本は、両者を繋げるきっかけになったのではないかと考えているのですが。

大野:例えば今、日本で医療費助成が出るのは、56疾患しかないんです。通称「特定疾患」と呼ばれますが、その平均発症年齢は、41.0歳なんです。ですから、多くの人たちが、まさしく働き盛りの時に発症するんです。でも、大部分の方が、職場で自分が難病を発症していることを言えないんですよね。もちろん、言いたいけど言えないという人もいるし、自分で“言わない”という人もいます。

言わないでずっと我慢して働き続けて、身も心も最後はボロボロになっていってしまうパターンが多い。現在は、難病の人の就労に対する社会的サポート体制がきわめて貧弱なので、当事者の人が「言わない」という選択をしてしまうんです。

「難病の人が働く」と言うと、企業の人がみんなビックリしちゃうんですね。「大変な病気の人を、会社で働かせなきゃいけないのか」とか、「病人の面倒を見なければいけないのか」と思ってしまう。でも、実は、ある程度病状がコントロールできている難病の人が働くのに必要な配慮というのは、ちょっとしたことだったりするんです。

たとえば、今通っている大学でしていることは、各部門の担当の方と情報交換、その上で合理的配慮の提供をお願いしています。合理的配慮の提供、なんていうと難しそうですけど、要は保健室のベッドに「すみません、ちょっとぐったりしてる時とか、具合が悪い時に、ここで横になっていいですか」とお願いして、保健師さんは「おお、そんなん、全然いいよ!いいよ!」みたいな。「そんなことでいいの?」というようなことだったりするんです。あと先生方には、「薬飲まないといけないので、授業中に、水分とったり薬飲んでいいですか」とか「通院と被らないように、講義時間を調整してほしい」とか。それから、重い文献を大量に使ったりリサーチの行動にサポートが必要なことがあるので、障害のある学生さんを支援するサポートセンターの方々と適宜話し合って調整したりしています。一緒に過ごしたり、暮らすことは、それを経験したことがない人が想像しているよりは、意外と「そんなことでいいの?」っていうことだったりするんですよね。

永田:先程、麻美さんも抗がん剤治療の際に、「この時間はお友達と会えるから…」という話をしていましたが、どうしても構えてしまう部分があると思うんですよね。今の大野さんのお話を聞いても、「本当にそんなので良いの?」と思ってしまうのですが、意外と役に立てる部分のハードルが低いケースもあるのでしょうか。

麻美:私の周囲でも、実際に病院で治療しながら働いている人もいました。人によって、抗がん剤治療も回数や期間が全然違うので、軽い方だとお勤めしながらできたりもするようです。

でも、会社の方が「ガンになったから働けないんじゃないか」という風に、どうしても捉えてしまう傾向があるみたいです。病気にはなってしまったけれども、その人自身の中身、性格などが変わってしまったわけではないのに、別物として扱われるようなことが、すごく寂しい、悲しい現実だなという話を目の当たりにしました。

いろいろな病気がある中で、動ける・動けない、いろんな治療がある、ということをちゃんと理解してもらえたら、その中でお勤めを続けることや、もっとできることがあるんじゃないかなということは感じました。

ダイレクトに「頑張って下さい」と思ってくれれば、それでいい

永田:どうしても腫れ物を触るように接してしまうケースが多いと思うんですけれども。 今、お話にあったように、病気になったからといって、仕事の能力がゼロになるわけではないので、役に立てる部分は役に立てるし、配慮できる部分を配慮して、少し気を遣うだけで共生できる部分もあるということですね。

大野:かなりあると思いますね。もちろん定期的に通院しなければいけないとか、休みを確保することを理解してもらわないといけないとか、いろいろあるとは思うのですが。

これは確信していることですが、ガンや慢性疾患など広く難病の人が働きやすい職場というのは、働きやすいと思うんですよね。フレキシブルでしょうし、「もしかしたらこういうこともあるかもしれないなあ」ということを職場のみんなが、少しずつ考えるようになったりもするでしょうし。よく中小企業の方には「その人が休むと、ほかの人たちに負担がまわるから厳しい」と言われることもあるのですが、誰かが休んだ途端に持続性がなくなってしまう勤務体制がそもそも、青色吐息という気もします。いろいろなケースがあるとは思いますが、病気を持ちながらでも、変な言い方ですが、“元気”に働ける…で、いいですよね。

現状は“ギリギリ元気”という感じですよね。だから、もうちょっと“元気”に働けるといいなと、いつも思うんです。今は、本人が一生懸命自分をすり減らして努力して、ギリギリを推移しているのですが、社会の方がもうちょっとスローダウンして本人のペースと合ってくれたらいいかなと思いますけどね。

永田:麻美さんは、現在では精力的に活動されていると思いますが、自分としてはもうちょっと頑張れるけど、周りがストップをかけてしまうというような葛藤はありましたか?

麻美:自分自身は今もそうですけど、元気というかもう何事もないと思っているんですよ。定期健診を受けている状態なので、もし万が一再発があったりすれば、また治療が必要になるかもしれません。でも裏を返してしまえば、その何もない期間はいたって普通だったと私自身は思うんです。

でも、周囲は「大丈夫なの? 制約とかあるの?」と言ってくれるので、うれしかったりするのですが、自分自身が大丈夫と思っていても、周りが大丈夫じゃないと思っているのかもと時折感じたりしますね。

永田:そういう意味では、自分の状況をきちんと伝えることが大事ですよね。

大野:特に、就労の話をヒアリングすると、男性は弱音を語るのが苦手なのかもしれないですね。「大丈夫です」「難病でも、やれます」と、一生懸命以上に頑張ってしまう。 当事者の方がすごい頑張っちゃうわけです。

永田:自分の弱い所を見せたくないと思って頑張ってしまうわけですね。

大野:低空飛行でいいんですよ。スローで飛行していけば、もうそれだけで素晴らしいこと。難病を抱えて、病状をコントロールして、更に就労までしているのだから、それで充分なんですけれども。

先程、弱音の話がありましたが、弱音って大事かなと思う時があります。永田さん、司会者なのに、逆に質問しちゃって悪いんですが、BLOGOSの編集部内では、弱音は言いづらいですか?

永田:私の職場ですか?編集部のチャットグループがあるのですが、そこはメンバーが限られているので、気軽に「辛い」とかいえますね。

大野:ある程度閉じていないとダメですか?

永田:全社的には自分自身が言いづらい部分がありますね。でも、例えば「自分の奥さんが病気だから早く帰りたい。その分、朝早く来ます」みたいな話であれば、会社全体がどうかという話はできませんが、編集部内に限って言えば、言いやすいのではないかと思います。

大野:やっぱり人間ですから、良い時もあるし、悪い時もある。「こういう事情があるんだよ」ということを、世間話みたいに気軽に話せるような、そういう世の中になるといいなと、たまに思います。麻美さんはどうですか?

麻美:病気の時には、「これを聞いちゃいけないのかな」とか、気を遣っているのが、相手の顔を見ると分かるんですよね。でも病気のことって、分からないじゃないですか。だから、聞きにくいことも聞いてもらいたいなと私は思ったりしましたね。

よく言われたのが、「頑張っている人にこういうことを言うのは失礼かもしれませんが、頑張って下さい」とか。ダイレクトに「頑張って下さい」と思ってくれれば、それでいいのにと思っていました。「こういうの、言ったら失礼かな」とか、そこまで気を遣ってもわらなくていいのにと。

自分の信じる力を大事にしていた

永田:残り時間が10分少しありますので、会場からの質問を受け付けたいと思います。

会場:大野さんに質問です。とても大変な闘病の状況で、大学院の博士前期課程にまた通われようと思ったきっかけは、一体何だったんでしょうか?

大野:『困ってるひと』が出たのが2011年6月で、今日は2014年7月なので、3年経っています。先ほど、自分がミャンマーの研究をやりたいと思っていたとお話しましたが、しばらく経つと前と同じことをやることは無理だということが、さすがにわかるわけですよね。

どう楽観的に考えても、無理。20代前半に「これのためなら、何を捧げてもいい」と思ったことを諦めないといけない。『シャバはつらいよ』の中にもちょっと書いたんですけど、文献を全部処分したんですね。

3.11が起きて親が消息不明になった時も、一滴の涙も出なくて、自分はそういう感情が枯れたと思っていたんですけど、文献を処分する時にもう泣けて泣けて。段ボールに文献を入れながら、「やっぱりこの研究を続けられないんだ」と実感してわかってきて。

ただ人は結構しぶといもので、「ちょうど当事者になったということもあるし、関心もあるし、面白そうだし、日本の社会保障のこと、福祉のこと、病気や医療のことをやってみようかな」と思って今に至る、みたいな感じです。今も、なかなか大変は大変、もともと凡庸以下ですし、病気も元気ですから。でも、これしかできないんですよね。

自分の中で「これだけは譲れない」というものが、人の一生の中にはあると思います。それは、どんな病気、災厄が降りかかってきても、その人の芯になっていて、それを揺るがすことはなくて。テーマは変わったんだけど、今の院生生活にもう一度戻るという選択になったのかなと思います。

会場: お2人は、病気になられた時は大変不幸だと、世界でいちばん不幸だと思われたと思いますが、その一方でお2人は乗り越えてきました。病気に立ち向かう姿勢とか、今思えば、何が闘病に役だったのか、是非教えて下さい。

麻美:私自身も闘病中は何度もくじけそうになって。抗がん剤治療を受けに行くのも、副作用がどうしても出るので、「何のために病院に行っているのだろう」という思いもありました。行ってもただ辛いだけだし、「病気が良くなるために病院に行ってるのかな」「受ける意味あるのかな」と思ったりもしました。

でも、その先に待っているものを自分は信じたくて。やっぱり動けるようになったら、これをこうしたいなとか。治療中は、まだまだ自分の先というものが見えなかったんですけど、その先にあるものを自分が見たい一心で、日々耐えるしかないと思っていました。自分の中で、自分の信じる力を大事にしていたかなと思いますね。

私も最初に「悪性の疑いがあります」と言われた時は、いろんなことを試しました。それこそ食事療法だとかいろいろやりました。でもきっと、自分が信じることが一番大事なんだろうと思います。自分を信じて、貫き通してほしいなとも思います。

また、やはり自分自身もそうですが、周りに支えてくださってる方が本当にたくさんいて。 家族、友人、たくさんの方なんですけど。自分のためもそうだし、周りのためにも、やっぱり頑張りたいとすごく思ったんですよね。自分1人の力じゃ乗り越えられなかった。その気持ちを返したい、これからみんなと楽しいことも共有したい、そういう気持ちで、治療を前向きに、前向きにと。

もちろん落ち込む時もありましたが、でもそうやって落ちた所で、考えても解決できないし。だとすれば信じるしかないと、信じて、前向きに闘いました。

大野:私、全然乗り越えてないですよ(笑)。もうぐっだぐっだに未練たらたらですから。

自分の病気を許しがたいと思う時もあります。正面から闘う時もありますし。免疫抑制剤を常に投与しているので感染症に罹患しやすいので、今マスクをしていますが、実は今年は2月と3月にノロとインフルエンザにかかって、もう大変でした。あやうく死にかけ、ドクターに怒られてしまいました。

そういう時は、劇的に病気と対峙しているのですが、そうじゃない時が、日常の大半の時間を占めるんです。全身の痛みや、言葉にできないような倦怠感、疲れやすさや病気のコントロールのために必要な朝から眠る前までの日常生活の工夫と服薬管理。そういう延々とした時間と、どうやって付き合っていくか。慢性の病気とか、治癒が困難な病気とか、再発のおそれのある病気を抱えながら、自分ではどうしようもないことを抱えながら生きるということは、そういう状況にサーフボードのように適当にユラユラのってみるというのも、それはそれで1つのあり方なのかなと思ったりもします。で、たまに無茶してドクターに説教される、みたいな感じですかね。

永田:最後にひと言ずつ、ご感想をいただければと思います。

麻美:今日はこういう場で大野さんともお話させていただいて、これから自分も頑張っていこうという力をいただきました。

今回、「女性と闘病」というテーマでしたが、今の時代、逆に病気にならない人って、いないじゃないですか。風邪だったり小さなものを含めれば、病気にならない人のほうが少ないと思うので、自分がどういう病気になったとしても、その病気にすべてを持っていかれたらいけないんだと思いました。

今現在、闘病なさっている方もいると思いますが、一番は自分だと思うので、その病気といかに向き合って、自分を大切に生きていけるか、ということがすごく大事だと思うので、これからも、一日一日を大切に過ごしていただきたいなと思います。今日はどうもありがとうございました。

大野:闘病記というのはいろいろあるのですが、とてもいい本です。『Re Start~どんな時も自分を信じて』著者、麻美ゆま。一気に読みました。

職業柄ご献本をいただくのですが、あまりお世辞は言わないほうなんです。でもこれ、いい本だと思いました。特に、女性が女性特有の病気に罹って、それと闘うということがどういうことなのかっていうのが、リアリティがあって。素直に一読者として読ませていただきました。

ガンと総称で言われても、5大疾病ですから、母数が大きい分だけ様々な状態があって逆にイメージが湧きにくいというところもあると思います。難病よりはガンのほうが“クジ”を引く確率が高いと思います。もし自分が“クジ”を引いたら、どういうことに備えれば良いのかな、どういう準備をしたらいいとか、すごくよく伝わってくる本ですので、ぜひ皆さん、読んでいただいたらと思います。

麻美:ありがとうございます!あと、ご来場の方にお伝えしたかったんですが、私の病気は、「卵巣境界悪性腫瘍」ということで、「ガン」とひとくくりになったりしますが、あくまでも良性と悪性の間のものなので、「ガン」と言うと語弊があるかなと思います。統一した見解がないそうで、先生の中でも「低悪性」と捉える方もいるし、「中間のもの」と捉えることもあるので、そのへんのところを理解していただけたらなと思います。

プロフィール

大野更紗
1984年生まれ福島県出身。上智大学大学院に在学中に、自己免疫疾患系の難病(皮膚筋炎、筋膜炎脂肪織炎症候群)を発症し休学。その体験を綴った『困ってるひと 』(ポプラ社)がベストセラーになる。都内で闘病・在宅生活をしながら、執筆も続けている。
・Twitter:@wsary

麻美ゆま
1987年生まれ群馬県出身。2005年にAV女優としてデビュー。その後、テレビドラマや映画出演など様々な分野で活躍を見せる。タレントとしての絶頂期に「卵巣境界悪性腫瘍」が見つかり、卵巣・子宮を全摘出。半年間に及ぶ抗がん剤治療を経て、現在は講演、タレント活動を続けている。今年5月、初の自叙伝『Re Start ~どんな時も自分を信じて~ 』(講談社)を発売した。
・Twitter:@asami_yuma
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