亡くなるまで発信を続けた丸山夏鈴さんのYouTubeとブログ(筆者撮影)

故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。

故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第17回。

小2から脳腫瘍と戦い続けたアイドル

<一週間前って、ワンマンライブやってたんだよなぁ
はやいよぉ(´・ε・`)
脳腫瘍の手術ってどんな感じなの?
手術ってどんな感じ?って
質問されたのでこの際だからちょっと答える!

手術って、麻酔が注入されて
体がぴりぴりってなるの(。・ω・)
それまでは緊張してたり怖いって思うけど
そこでいつも
「あー、どうにでもなぁれー」
って思うのヾ(@⌒ー⌒@)ノ
眠くなって、気付いたら終わってる!
前は手術室で目が覚めて「終わりましたー」って!

それから夜は熱がでて
2時間おきに看護婦さん来てお熱と血圧測りにくるから
やっと眠くなってきたと思ってもネムレナイ!
あと、気持ち悪くなるほどおなか空く(´・ω・`)
絶食解除されても
すぐに食べられるわけじゃないから
フルーツとか、ヨーグルトとかちょっとずつ
つらいのは3日間、落ち着くのは一週間くらいかな?>
(かりんの夢への階段/2013年12月15日「とうとう」)

「かりんの夢への階段」(https://ameblo.jp/pukarin-cho/)というサイトがある。ソロアイドルとしてCDデビューを果たした丸山夏鈴(かりん)さんのブログだ。小学2年生の頃に脳腫瘍と診断され、21歳で亡くなるまでに7度の摘出手術を経験した。上で引用した文章は7回目の手術の3日前に投稿されたものだ。


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病状が悪化し、ライブや撮影などの活動ができなくなっても、ブログやTwitterをアップし、亡くなる前日までYouTubeでメッセージを発信し続けた。酸素チューブが外せないときも、病床から起き上がれないときも続けた。かつては病人として見られることを嫌がっていた。それでも続けた。

病気の自分と普段の自分。どこまでの自分を公開するのか。夏鈴さんは脳腫瘍と向き合いながら境界線を段階的に変えていき、多くを披露するようになった。公開する領域を広げるのは勇気がいる。その勇気の道程は、夏鈴さんがアイドルになる前の中高時代のブログからたどるとより鮮明に見えてくる。

夏鈴さんが生まれたのは1993年8月。1年後に生まれた妹とともに両親や友人に囲まれて福島県郡山市で育った。

最初の違和感に襲われたのは小学2年の冬だった。音読の宿題を忘れて教師に注意されているときに目眩で倒れたり、体育で縄跳びしている最中に具合が悪くなったりした。高熱と吐き気が続く日もあった。インフルエンザかもしれない。そう思って病院で診察を受けると、脳腫瘍と診断された。急いで摘出手術を受けることになる。

中学2年で5年半ぶりに開頭手術

その後の放射線治療も耐えると、日常生活が送れるまでに回復した。後遺症でてんかん発作が起きるようになり、保健室やときには救急車のお世話になることもあったが、それでも周囲のサポートもあり普段は病気のことを意識せずに学校生活を送ることができた。


「ぶらっくきゃっと」最初の投稿

現存する旧ブログ「ぶらっくきゃっと」(https://ameblo.jp/karin-cherry/)を立ち上げたのは、そんな毎日を送っていた頃だ。中学1年の冬休みを前にした2006年12月家庭や学校で起きた何気ないことを短文でつづる中学生らしい穏やかな日記だが、そこにしばしば体調不良で学校を早退したり発作が起きたりしたエピソードが差し込まれる。

<お久しぶりです(^-^)
随分更新が止まってしまいました(-_-;
実はですね、昨日、またまた発作(痙攣)が起きてしまいました(ToT)
お母さんと、うちの散らかり放題の部屋を一緒に片付けてたらねぇ。うん。大きな痙攣だったんで、そのまま救急車…。呼ばなくて良かったのに…。>
(ぶらっくきゃっと/2007年3月12日「お久」)

発作のことや過去に手術を受けたことなどはフラットにつづっているが、病名は伏せる。個人情報も誕生日や学年、ファーストネーム以外は極力触れない。それが当時の公開の線引きだったとうかがえる。

中学時代は体調が優れない日が多く続いた。中学2年の春にはさらに状態が悪化し、ひどい頭痛から検査入院することになったという。そしてそのまま5年半ぶりになる2回目の摘出手術。もともと手術の予定だったが、心配した母がその事実を伏せていたと後から知った。

<てか、なんで夏鈴が病気になんなきゃいけないの
ふぁー。。。
普通に暮らして、いっぱい遊んで、友達と駅前で買い物したり、いろんなコトやりたいのにね。
消毒液臭いところにいつまで居るのかなぁぁ。。。
あ”、最悪の場合手術だって。
麻痺したらどうしよう>
(ぶらっくきゃっと/2007年5月14日「明日から入院します。」)

麻痺を起こさず退院できたが、その2カ月後には緊急で再手術を受けることになり、14歳の誕生日を病院で過ごしている。やはり病名はブログに書かない。

「ぶらっくきゃっと」に脳腫瘍という単語が書かれたのは、最終投稿となる高校卒業後の日記のみだ。

高校で決意を固めたアイドルへの道

中学2年時の手術以降は体調が安定し、高校時代は元気に過ごした。ボランティアに生徒会にと精力的に活動し、高校3年生の夏には大学見学で都心まで出かけたりもした。後のブログで語られているが、その際に秋葉原でAKB48 13期研究生オーディションを受けており、2次審査まで進んでいる。小学2年でモーニング娘。の虜になって以来、アイドルという職業に憧れを抱いてきた。進路は大学進学とアイドル。高校卒業を前にその決意は固まっていた。

<担任の教科の最後の授業で「28歳の私から18歳のみなさんへ」というテーマで話をされました。
ふと10年後何してるのか気になりました。
28歳の自分…
何してるんだろ
成功するためにはどうすればいいか、
先生曰く成功の反対は失敗ではなく「挑戦しないこと」だそうです。
聞いてて胸に突き刺さりました。
10年後夢が叶えられているようにいろんなことに挑戦していきたいなぁ〜
改めてそう心に決めた日でした>
(ぶらっくきゃっと/2012年1月31日「最後の授業」)

しかし、卒業式を目前にして夏鈴さんの体に再び異常が現れる。ダンスの練習時に右手だけ細かい動きができず、前生徒会長として卒業生代表の答辞の原稿を書こうにもうまく力が入らない。2月22日に入院すると、MRI検査で大小2つの影がはっきりと写っていた。卒業式はなんとか出席し、卒業後直ちに摘出手術を受けることになった。その報告がこのブログの最終投稿となる。

<脳腫瘍が再発してしまいました。
でっかいのとちっちゃいの。
2つあります。
丁度その時に卒業生代表の答辞を考えていたのですが
前向きな文章をどう読んだらいいか、本当に清書していいのか分からず自暴自棄になっていました。
でもそんなとき、友達が励ましてくれて
これは納得いくまで答辞を仕上げなければならないと思って当日の朝までかかりました。
字が書けないものですから、お母さんが徹夜して書いてくれました。
(略)
道は苦しければ苦しいほど
大きなものが得られるはず。
先は明るいです。>
(ぶらっくきゃっと/2012年3月5日「卒業しました」)


「ぶらっくきゃっと」の最終投稿

脳腫瘍と闘っていることとともに、MRI検査の画像、自身の容姿がわかる写真も初めて掲載した。千葉の大学に入学が決まっているが、術後の状態によっては休学を余儀なくされるかもしれない。アイドルのオーディションも受けているが、そちらも同様だ。前途は見えない。それでも明るい「先」に踏み出すために公開の境界線を引き下げ、抱えている病と自分自身の姿を公開した。

アイドルを目指すブログ「かりんの夢への階段」は2011年12月から更新を始めている。ここでも最初は病名を伏せていたが、3回目の手術を前に公にしている。

<13日から入院します。
タレントは商品であって、
商品に傷を付けると価値がなくなる
そう思っていたのだけど
このことはうちにしか経験出来ない事なのでいつか夢を諦めないでみんなに伝えられる人になりたいです。>
(かりんの夢への階段/2012年3月10日「入院準備」)

大学1年で芸能事務所に所属

13日の術後、まだ脳に腫瘍が残っているとわかり月末に4回目の手術を受ける。切除する場所によっては麻痺や認知機能の低下などを起こす。非常に難しい手術だったが、どうにかすべての腫瘍が取り除けた。リハビリは必要だったが、麻痺は残っていない。少し遅れたが千葉で1人暮らししながら大学にも通えるようになり、アイドルのオーディションも受けられるまでに回復する。


アイドルとしてのブログ「かりんの夢への階段」。ミスiD 2013セミファイナル進出を伝えている

その2カ月後、講談社が主催するオーディション「ミスiD2013」のセミファイナル進出をきっかけに、芸能事務所に所属することになった。晴れてアイドルとして活動できるようになり、大学生活と並行して撮影会やイベント出演をこなすようになる。2カ月に1度は故郷に戻って検査を受ける必要があり、定期の服薬も続けている。しかし、それ以外はいたって普通に生活することができた。家族や医療関係者、とりわけ母のサポートを受けながら。

<きょうはママの誕生日だぁ(´▽`)
夏鈴は小学校、中学校、さらに今年入院したんだけど
ママはずっと付き添って一緒に入院?してくれました(-^〇^-)
夏鈴が手使えないから一緒にお風呂入ってくれたり、
ごはん食べさせてくれたり、
いろいろぶーぶー文句言う夏鈴だけど夏鈴にとって必要な存在です(^O^)
退院に向けてリハビリ頑張ってたのに
再手術とか抗がん剤治療とかいろいろ聞かされて
パニックになるしし大学の入学式いけなくなるし
あのときは焦ってどーしよーって思いましたヽ(;´ω`)ノ
泣きたいのはママの方なのに泣き虫でごめんなさい(>_<)
夏鈴のわがままで福島の病院を退院してから4日ぐらいでこっちに来たけど
今はこっちで友達もできたし
こうして応援してくれる人がいるし寂しくないです(*^▽^*)
手術したこと忘れて生活しているのも
周りの支えがあるからなんだよね!
さらに頑張らなくちゃ!>
(かりんの夢への階段/2012年12月6日「こっちに来ても寂しくないよ」)

そんな普通の生活に再び暗い影が差し込む。2013年1月、年始の帰省を兼ねた定期検診で再び腫瘍が見つかった。2月末から4月上旬まで芸能活動を休止し、手術は無事成功。しかし、すべてから解放されたわけではないことはわかっていた。

<私はこれで5回、脳腫瘍の手術をしたことになります。
でも私の病気はこれで終わりじゃないです。
これからも付き合っていかなければいけません。
今回は「油断するんじゃないよっ!」っていう神様のお告げだったのかもしれません…笑
私の活動再開についてはまた改めてお知らせします!>
(かりんの夢への階段/2013年3月22日「ご報告」)

6回目の手術を経てオリジナル曲を発表

小学2年と中学2年、高校3年、そして大学1年。手術後に脳腫瘍が見つかるスパンは次第に短くなっている。そして、今度は退院から2カ月も経たない時期に新たな腫瘍が見つかった。このときの状況を母=チェリかめさんは自身のブログ(https://ameblo.jp/cheri-kame)でこうつづっている。

<実は、夏鈴ちゃん只今手術中でございます。
12日に入院して、術前検査をして、金曜夜遅く外泊許可貰い、土曜日身の回り整理して病院に戻った訳で、バタバタしていたら、報告が遅れてしまいました。
3月に手術し無事に元の生活に戻れたはずでしたが、4月下旬の検査で異変に気付き、5月の再検査でこのたびの手術の段取りに至りました。
夏鈴の頑張りを見てて、あの子になんて伝えたらよいか悩んだ日もありました。
母娘ともに納得できない事もありますが口には出さず、ただただお医者様を信じてお願いするしかありません。
最初に発病してから五度目の入院生活と六度目の手術になるわけですが、負けず嫌いの夏鈴ちゃんは、全ての手術に立ち向かい、精神的ストレスを克服して、大学生活送っています。
この11年間に多くの物を吸収して夏鈴は大人になりました。
だから、手術の説明も包み隠さず話を聞いてもらい、リスクの度合いを知った上で手術に向かいました。
今日まで、医師の技術力のお蔭で、特に言語障害や麻痺もなく、このような大変珍しい患者はあまり例を見ないでしょう。
神の手に感謝しなければですね。>
(Childish/2013年6月17日「夏鈴負けるな」)

この手術も乗り越えて20歳の誕生日を自宅で迎えることができた。そして、アイドルとしては初のオリジナル曲の制作に取りかかる。それを告知する日記では「手術は延命治療にしかすぎないと思います」と語っており、活動できる時間に限りがあることを匂わせてもいる。高校時代の最後の授業では28歳の自分を思い浮かべて夢を抱いていたが、いまは違う。

<手術が終わってからも
まだまだ病気との闘いは続くようです。
あと、私は可哀想なんかじゃないです。
普通です。
みなさんに応援して頂けて
本当に幸せ者ですっ。>
(かりんの夢への階段/2013年6月18日「6回目の手術、終わりました!」)

9月に初のワンマンライブで披露されたオリジナル曲『Eternal Summer』は、作詞家のまいさんが夏鈴さんのブログやTwitter(https://twitter.com/karin_maruyama)のつぶやきをベースに歌詞を作った。病気と向き合いながらアイドル活動する夏鈴さんが端的に表現されている。


歌詞のベースとなったとされるつぶやきの1つ

普段は普通に明るく、休業などの際は病状をつづる。それでも病気の苦しさやつらさなどの心配をかける表現は極力避けており、「ぶらっくきゃっと」の最終更新にあるようなMRI画像を載せることもなかった。それがアイドル・丸山夏鈴としての公開の線引きだった印象だ。

「長く生きられないかもしれない」から「一生懸命やるしかない」

それでも、病魔は“心配をかけないライン”を無視して襲いかかってくる。2014年11月末、再発が告げられた直後のニコ生放送や撮影会では不安定な精神状況が隠せなかった。年末には7回目の切除手術を受けることになったが、これまでで最も長い12時間施術となり、医師からの説明もこれまで以上に厳しいものだった。この時期、ブログではこれまで直接的な言及は避けてきた「死」についても吐露している。

<本当に何でって思う!
病気きらい。
自分も「なんでかりんばっかり?」って
何回も思った!
人がいつ病気になるのか
しんじゃうのか分からない。
ああー病気っていやだ!
そう思います。
でも治さないとしんじゃうし。
つらいけど。
しんじゃうのやだ!
って言い出したらきりがないけど
しぬのが怖いって思うから人は
必死に生きるんですねぇ。
私は7回生き返ったから
いろんなことに挑戦出来るように頑張らなきゃ!
やりたいことは見つけたから、あとは夏鈴党員さん(※筆者注…ファンのこと)と一緒に進みます。
手術の説明聞いて今回複雑そうだなって思ったけど
先生は今まで通りの丸山夏鈴でいられるようにしてくれました。
大事な血管まで入り込んでたから仕方ないから全部綺麗に血管ごととって
別なとこから血が流れるようにしたんだって…
お医者さんすごいね…(*´pωq`)>
(かりんの夢への階段/2013年12月23日「手術から一週間」)

年明けに傷口を塞ぐための再手術をもう一度受け、1月末に退院。今回はリハビリに時間を要し、復帰には4月までかかった。本人が知るのは数カ月先になるが、この時点で腫瘍が肺に転移しており、母には余命が告げられていたという。

発熱はないが咳が止まらず、体重は1カ月で7kgも落ちた。ステージでも満足なパフォーマンスが望めず、本来の自分の力が出せない。2014年10月17日にはライブ活動の休業に加え、厳しい現実をできるかぎり伝える決心をする。

<先生の説明では、
・進行のスピードが早い
・放射線治療は肺に負担を掛けてしまうので出来ない
・治ることは難しい
・でも抗がん剤は続けよう
・在宅酸素になってしまうけど退院して、やりたいことをやってくれ
とのことでした。
この説明の前にも、先生たちに「治らないのかな〜?」と聞きましたが、どの先生も言いづらそうに「難しいかな〜」と返ってきてました。
その後退院して、今は在宅酸素しながら生活を送っています。
(略)
病院の先生の説明から、「長く生きられないかもしれない」というように捉えるのが普通だと思います。
その通りで、今は一生懸命やるしかないです。>
(かりんの夢への階段/2014年10月17日「今の私の状態について。ファンの方には必ず読んでほしいです。」)


『Eternal Summer』の販促に向かう夏鈴さん(2015年2月26日のブログより)

一生懸命やるしかない。だから全面休業はせず、体調のいいタイミングを見計らって12月にはオリジナル曲のレコーディングを行い、翌年2月初旬にはシークレットライブも実行した。そして、2月27日に念願のデビューシングル『Eternal Summer』を発売。激痛で救急車を呼ぶこともしばしばあったが、それでも肺にたまった水を抜きながら発売イベントをこなした。それらが一段落した3月末に故郷に戻り、長期を見据えた入院生活に入る。

次はいつ復帰できるかわからないし、戻れない可能性も否定できない。それでもアイドルとして生き続けるためには、いまある状況で活動を続ける必要がある。2年前に6回目の手術で入院した際も動画配信を考えたが、そのときは病院の迷惑になるからと断念した。ただ、もっと小規模にスマホで短い動画を発信するだけなら差し障りはないのではないか。そう考えて4月5日からYouTubeで「まるやまかりん」チャンネルを開設し、「夏鈴のひとりごと」というショート動画の配信を始めるようになった。

亡くなる数時間前まで発信

<こんにちは。今日から動画を少しずつ配信していきたいと思います。よろしくお願いします。ばいばーい。>
(夏鈴のひとりごと/2015年4月5日)

動画で明るい笑顔を振りまく一方、病状は深刻さを増していく。動画配信時でも酸素チューブが外せない日がしばしばあり、体重も40kgを切って久しい。何とか筋肉をつけようと、なるべく栄養価の高いものを食べたり、病棟を歩くリハビリに励んだりする様子をできるかぎり元気な口調で語る。

外出して愛犬のチェリーと戯れる様子や、車椅子に乗りながら家族といちご狩りを楽しんだ様子が動画に残っており、配信のたびにしっかりと身なりを整えて臨んだことがわかる。病状を伏せることが厳しいなかでも、ファンに元気を与えるようなアイドルとして振る舞うこと。それが夏鈴さんにとっての公開の条件であり、最終的な境界線だったのかもしれない。

ブログの最終更新は2015年5月15日。そこには普段どおりの口調で厳しい状況が淡々とつづられていた。

<日曜日、10日に退院しました。
1ヶ月半の入院生活で体力が衰えてしまって、家での生活がつらいです!
誰かがいないとたてません。
せっかくの栄養を捨ててしまうことになるけど苦しいからしょうがなくやっている肺の水抜きもしているので、さらに身体が…
(略)
最近眠れなくて
睡眠不足です
なんか、寝たらこのまま死んじゃうんじゃないのかって怖くなったり。
みんなの前ではアイドルでいたいけど、
ガチ病人からの復帰はまだまだ時間がかかりそうです。
時間なんて本当はないのに。>
(かりんの夢への階段/2015年5月15日「日曜日に退院しましたが」)

退院後も動画配信は毎日続け、2015年5月22日の朝にもTwitterにつぶやきを残している。

<おはよ(*・ω・)ノ
今日も仕事や学校頑張ってね( ^o^)ノ
私は眠り足りないから寝る(-o-)>
(Twitter:丸山夏鈴◇Eternal Summer@karin_maruyama/2015年5月22日)

別れは突然やってきた

亡くなったのはその数時間後の昼だった。つぶやきの後に目を覚まし、直前まで意思疎通を交わせていた。チェリかめさんもブログで「別れは突然やって来ました」とつづっている。21歳と9カ月だった。

夏鈴さんの死はチェリかめさんのTwitterでその日のうちに告げられ、週末から翌週月曜日にかけてファンとのライブ式葬儀が行われた。


『Eternal Summer』のオリジナル版とスペシャルエディション(筆者撮影)


その後、ブログの更新はなく、Twitterも一度限りの代理投稿で止まっている。YouTubeは6月に入ってメモリアル動画、翌年1月に未公開動画が1本アップされたが、以降の更新はない。しかし、その後の情報はチェリかめさんが自身のTwitterやブログなどにアップしており、2017年8月には『Eternal Summer』にアコースティックライブやPVを収録したDVDなどを加えたスペシャルエディションを発売したことも知れる。

夏鈴さんのSNSやブログは生前のままの空気を保存し、近況はチェリかめさん自身のサイトで伝える。それは長く脳腫瘍と闘ってきた母娘による意識的な線引きと思えた。

(古田 雄介 : フリーランスライター)