3月9日は旧ソ連の垂直離着陸戦闘機Yak-141が初飛行した日。同機は世界初になれる素性を持ち合わせていながら、時代の波に翻弄され、あえなく試作機のみで消えていった飛行機です。

世界初になり損ねた悲運の機体

 1987(昭和62)年の3月9日。旧ソ連(現ロシア)のヤコヴレフ設計局が開発した試作機Yak-141が初飛行しました。

 Yak-141は、世界初の超音速飛行が可能な実用VTOL(垂直離着陸)戦闘機となる予定だった機体です。カタログスペック的にはかなり優れていた機体ですが、試作のみで終わった悲運の航空機。どのような経緯で生まれたのでしょうか。


ロシア空軍中央博物館(モニノ空軍博物館)に展示されているYak-141戦闘機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 そもそも旧ソ連にはYak-141の前にYak-38というVTOL戦闘機がありました。旧ソ連は1970年代にキエフ級航空巡洋艦を建造します。このクラスは事実上の軽空母といえる艦で、アメリカ海軍の正規空母のように艦首から艦尾まで広がる長大な飛行甲板こそ備えていないものの、船体の左側にせり出す形で斜めに一定の長さの飛行甲板が設けられていました。

 しかし、アメリカ空母のような蒸気カタパルトやアレスティング・ワイヤー(制動索)などを備えていなかったため、搭載する戦闘機はVTOL性能を有したものに限定されます。そのため、旧ソ連では最初からキエフ級航空巡洋艦に搭載することを前提にVTOL機の開発がスタート。こうして生まれたのがYak-38でした。

 ただ、Yak-38は兵装搭載量や航続性能に関して劣っており、戦闘機としてはほとんど使えるレベルではありませんでした。加えて操縦性に難があったため、たびたび墜落事故を起こしており、旧ソ連としては、より実用的なVTOL陸戦闘機を早い段階で欲します。

性能は問題なし、でもソ連崩壊ですべて無に

 こうしてYak-38の後継となる新たなVTOL戦闘機の開発が1971(昭和46)年からスタートします。旧ソ連初のVTOL戦闘機であるYak-38の初飛行が同年12月2日のため、かなり早い段階から新型機の開発が動き出したことがわかります。

 新型機もYak-38と同じく、推進用のメインエンジンのほかに垂直離着陸用のエンジンを2基搭載する構造でしたが、推力はより大きいものであり、なおかつメインエンジンはアフターバーナー付き。これにより機体が大きくなり最大離陸重量が増えても問題なく超音速飛行をこなすことが可能になっていました。

 また機首にはレーダーを搭載し、飛行制御はフライバイワイヤーで行うなど、最新戦闘機としてそん色ない性能を有するまでになっており、Yak-38と比較して圧倒的に高いカタログスペックを実現します。


ロシア空軍中央博物館(モニノ空軍博物館)に展示されているYak-141戦闘機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 こうして生まれた新型のVTOL戦闘機は、初飛行に続いて1989(平成元)年12月29日にはホバリング飛行にも成功します。なお、同機は当初、Yak-41と呼ばれていたものの、西側諸国に存在が知られた際に、機体に描かれていた番号から「Yak-141」という誤った型式が広まってしまい、結果、のちにそれに合わせる形で改称され、いまに至っています。

 ただ、順調に開発が進んでいたYak-141に青天の霹靂が。なんと母国ソ連が1991(平成3)年12月26日に崩壊したのです。加えて、事実上の後継国となったロシアも経済的に混乱し、財政難に陥ります。その余波で、母艦となる予定だったキエフ級航空巡洋艦がすべて退役。もはや開発を続ける必要性がないほどまでに至りました。

 その結果、Yak-141は試作機が4機造られただけで終わり、世界初の超音速飛行可能なVTOL機としての実力は未知数のまま姿を消したのです。現在は2機がロシア国内で展示・保管されています。