空母が誕生してから100年。新しいものには付きものですが、その初期はかなりの試行錯誤がありました。多段式空母もそうした試行錯誤のひとつで、現代においてイメージされる空母とは、だいぶ姿かたちの違うものでした。

初期に設計された空母の試みのひとつ「多段空母」

 2021年現在の空母(航空母艦)と呼ばれる艦船は、飛行機やヘリコプターの発着艦のために、「全通式」という1枚の飛行甲板を有していますが、この姿になる前は数々の試行錯誤がありました。そのなかでも特に特徴的な形をしていたのが飛行甲板を複数持つ、現在では「多段式空母」と呼ばれる艦です。


イギリス海軍の空母「フューリアス」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

発着艦が同時にできる理想の空母として開発される

 世界で初めて登場した本格的な空母は、イギリス海軍の「フューリアス」といわれています。同艦は元々、軽巡洋戦艦というカテゴリの軍艦で、第1次世界大戦中の1917(大正6)年3月に艦首甲板上の前部の砲塔を撤去され、長さ70m、幅15mの飛行甲板を設置されます。それまでに、フロート履き水上機用の母艦である水上機母艦はありましたが、固定脚である固定翼機用の母艦が企図されたのはこれが初でした。

 とはいえ初期の空母は、発艦は可能でも着艦はそのスペースがなく不可能だったため、同年11月には同艦の本格的な改装が始まり、1918(大正7)年3月には、後部の艦上構造物を取り除き、着艦用甲板を設置しました。

 しかしこの改装では、艦橋と煙突が船体中央部に取り残されたため、着艦は危険極まりないものとなりました。艦橋に艦載機が衝突しないようにネットを張る方法も考え出されましたが、とても実戦で使える代物ではないと、戦中は発艦のみ行いました。

試行錯誤のなかついに多段式空母が誕生

 戦間期の1922(大正11)年6月から、「フューリアス」に再度の改装が施されます。最初の改装からこの2回目の改装までのあいだにイギリスは、商船を改造した空母「アーガス」や、世界で最初に空母として設計された「ハーミーズ」によって、航空機の発着艦のためには甲板に構造物はない方がいいとう教訓を得ており、こうして「フューリアス」に「全通甲板」が設けられることになります。

 ただ、1925(大正14)年8月に大改装を終えた同艦は、現在の空母でも確認できるような、煙突や艦橋といった構造物をまとめて舷側に寄せたアイランド型ではなく、飛行甲板に構造物を全く持たないフラッシュデッキ型で、しかも飛行甲板がひな壇式に二段あるという多段式でした。

 わざわざ多段にしたのは、発艦と着艦の作業を同時にできるようにと期待されたからです。当時の全通式の空母では発艦か着艦、どちらかの作業しか行うことができなかったため、1回目の改装で前後に分けられていた飛行甲板を上下に敷いた形になります。上部甲板を着艦用に下部甲板を発艦用に使えば、効率のよい作戦行動を遂行でき、敵を波状攻撃できると考えられました。

「赤城」「加賀」も「フューリアス」に倣って多段化するが…

 その「フューリアス」の改装に大きく影響を受けたのが、日本海軍の空母、「赤城」と「加賀」でした。日本海軍もいち早く「鳳翔」という、やや小ぶりなアイランド型の空母を設計し、先に建造が始まった「ハーミーズ」よりも早く完成しますが、大型の空母の方は手探りの段階で、「赤城」と「加賀」の建造の際に「フューリアス」を手本とすることになります。


三段甲板時代の空母「赤城」(画像:Public domain、via Wikimedia Commons)。

 ただ、「赤城」と「加賀」はさらにひとつ段を増やし、三段式の空母になりました。最上段の甲板は着艦および、攻撃機など大型機の発艦用、中段も当初は飛行甲板にすることも考えられましたが、艦橋と20cm連装砲塔が2基設置されました。当時はまだ航空機の航続距離が長くはなく、敵の戦闘艦艇に肉薄され、砲戦が発生した場合に備えての装備でした。下段は戦闘機などの発艦用に使用されました。

早々に訪れた多段式空母の終焉

 こうして艦載機運用面での効率を求めて開発された多段式空母ですが、運用が始まると極めて使い勝手の悪いことが露見します。日英の多段空母両方で、下段の飛行甲板が発艦に使うには短すぎて使いにくいという問題でした。

「フューリアス」および「赤城」「加賀」が完成した1920年代後半、航空機の主力は重量が軽く離陸しやすい複葉機でしたが、その時代ですでに甲板が短いという判断でしたので、その後すぐに艦載機が大型化していくと、発艦用甲板としては使いものにならなくなります。


空母「フューリアス」(右)と「グロリアス」もしくは「カレイジャス」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 この問題に対し、「フューリアス」の場合は上段の甲板を発着艦兼用とし、下段の甲板には対空砲座を置きました。「赤城」「加賀」の場合は最上段の飛行甲板を発着艦兼用にした後も、艦載機を柔軟に運用することのできる長さではないという点と、航空機の航続距離が延び、それぞれが装備していた20cm連装砲塔の必要性が薄れたことから改装するという判断が下り、「加賀」は1935年(昭和10年)6月25日、「赤城」は1938(昭和13)年8月31日にそれぞれ一段全通甲板になりました。

 イギリス海軍では「フューリアス」のほかに「カレイジャス」「グローリアス」が多段空母としての形を残したままでしたが、結局のところ第2次世界大戦直前までには、そのほかのほとんどの空母が全通甲板になりました。なお、発着艦を同時進行で行うという多段空母が目指した目的は、戦後、船体後部に斜め飛行甲板の「アングルド・デッキ」が設けられることで解決されます。

 現実では多段式空母の姿はわずかな期間しか見ることができませんでしたが、創作物の世界では、その奇抜な外見がよいのか、度々、宇宙を征く軍艦として登場しています。