どんな地形でも豪快に走り抜けるイメージの戦車ですが、実は相当に繊細な気配りが必要な乗りものでもあります。地形の走り方や暗視装置の取り付け方などについて、米陸軍の主力戦車M1「エイブラムス」のマニュアルから抜粋しました。

M1「エイブラムス」を安全に動かすには

 戦車の安全運転の基本は、とにかく慎重であることです。強力なエンジンと無限軌道(いわゆるキャタピラ)を履いた戦車は、装輪車(いわゆるタイヤで走る車両)が走れないような悪路を走破し、障害物を乗り越え、溝を越えることができますが、どこでも走れるわけではありません。


アメリカ陸軍の主力戦車、M1「エイブラムス」(画像:アメリカ陸軍)。

 舗装道路でさえも慎重さが必要です。カタログスペックでは、アメリカ陸軍の主力戦車であるM1「エイブラムス」の路上最高速度は67km/hとされていますが、60tの鋼鉄の塊がこんな速度で走り続けたら、激しい振動で道路は壊れますし、戦車自身も壊れてしまいます。

 オフロードを戦車で走り抜けるのは、これぞ戦車の醍醐味と思えるかもしれません。しかし、戦車乗員にとっては心配しかありません。スタックしてしまったら、泥まみれになって鋼鉄の塊と格闘しなければならないからです。可能であれば事前に下車して、地形を偵察するくらいの慎重さが必要です。


戦車の巨体を軟弱地形に乗入れるには綿密な地形偵察が必要。北海道大演習場の90式戦車。地面の荒れ具合にも注目(2019年1月16日、月刊PANZER編集部撮影)。

 WW2期のソ連軍戦車兵は、軟弱地面でT-34戦車がスタックしないか見極めるのに、その地面を兵士がほかの兵士をおぶって歩いてみて、足がハマらなければ戦車も通行可能と判断したといいます。T-34-85戦車の接地圧、すなわち、車両重量を2本の履帯の接地面積(接地長×履帯幅)で割った数値が0.81kg/平方センチメートル、人間の接地圧が0.4kg/平方センチメートルから0.5kg/平方センチメートルですので、簡易ながら合理的な判断方法です。ちなみに一般的な乗用車の接地圧は1.5kg/平方センチメートルから2.5kg/平方センチメートル程度です。


M1戦車操縦席ペリスコープの小さな2個の手動ワイパー(アメリカ陸軍画像を月刊PANZER編集部にて加工)。

 操縦手の視界は基本、車体前方にある小さなペリスコープ頼りですが、オフロードを走行すればはね上がった泥ですぐ汚れてしまいます。そこで小さいながらワイパーを装備し、足元ブレーキ左側のフットスイッチでウオッシャー液も吹き付けられます。もっとも、3個あるペリスコープのうち真ん中のひとつだけにしか付いていませんし、ワイパーは手動式です。それでも有ると無いでは大違いです。まさか戦闘中にハッチを開いて手で拭うわけにはいかないのです。

坂道も障害物も豪快に…とはいかない戦車の操縦

 障害物を乗り越えるのも戦車の醍醐味なのですが、もちろん限界があります。M1「エイブラムス」戦車は進行方向に対し31度以上の坂を登ったり、同左右に22度以上傾斜した山の斜面のような場所は走ったりできず、車体がずり落ちてしまいます。斜面を昇り降りする場合はできる限り斜面に対して車体を垂直にします。無理に斜めに走行すると履帯が外れてしまいます。登坂時、オートマチック・トランスミッションゆえにギアが自動で頻繁に切り替わるようなら、セレクターをL位置にします。

 坂を下る際にはもっと慎重さが必要です。しっかりとブレーキを踏んで速度をコントロールします。M1「エイブラムス」戦車はガスタービンエンジンですので、ピストンエンジンほどエンジンブレーキは効きません。坂を下るさなかに万一、履帯が外れたり切れたりした場合、転輪にはブレーキがありませんので文字通り暴走してしまい、大変危険です。


軟弱地を戦車が通った後の大きな轍。スタックしないギリギリの状況(2019年1月16日、月刊PANZER編集部撮影)。

 M1「エイブラムス」戦車が越えられる障害物の高さは106cm以下です。車体が大きく傾斜しますので、操縦手と車長は障害を乗り越えることを全乗員に伝えます。砲身が引っかからないように最大仰角にし、充分に減速してセレクターをL位置にします。障害物にゆっくりと履帯を乗せ、乗りかかったら一気にスロットルを開いてバランスが取れる位置まで登り切ります。車体が水平になったら減速し、履帯が再び前傾してゆっくり接地するまで徐行させます。履帯が接地したら加速して乗り越えます。

 勢いよく飛び越えるようなことは衝撃で怪我をしたり、サスペンションを破損したりするので避けます。ロシア軍はなにかと戦車をジャンプさせてみせる癖があるようですが、大きな衝撃で乗員は怪我をし、戦車は壊れます。展示イベント以外ではあまりやっていないと思われます。

闇夜に動かすこともある…M1「エイブラムス」の暗闇対策

 夜間走行は一般の自動車でも視界が狭くなり慎重な運転が求められますが、戦車は戦場で目立つことが厳禁なので、灯火は必要最小限になります。M1「エイブラムス」戦車では、平時であれば灯火スイッチを「SERVICE LIGHTS」の位置にして前照灯、尾灯を点灯させます。このときはハイビームにすることもできます。


M1戦車の操縦席配置図(作図:月刊PANZER編集部)。

 ほか、灯火スイッチにはいくつかメニューがあり、「STOP LIGHT ONLY」ではフットブレーキを踏んだときだけブレーキライトが点灯するというものです。「BO」はいわゆる灯火管制下で点灯させるライトのことで、「OFF」では全ての灯火は作動しません。

 無灯火でも行動できるように、戦車には暗視装置が付いています。前照灯は通常用の白色レンズを赤外線レンズと交換し、操縦席に4本の蝶ねじで取付けられているペリスコープ接眼部を外して、暗視装置と交換します。電源線を接続して、右側パネルの暗視装置スイッチを入れます。


M1戦車操縦席のペリスコープ暗視装置取付け法(作図:月刊PANZER編集部)。

 可視光線を照射しなくても視界が確保できる反面、逆に強力な光を受けると一時的に幻惑されます。総火演の夜間演習では、戦車が暗視装置を使い無灯火で入場してくる際、「絶対にカメラのフラッシュを焚かないで下さい」とアナウンスが繰り返されます。夜間戦闘において、戦車の暗視装置にフラッシュを浴びせれば、戦車の視界を奪うことができるかも、と想像しますが、実際にはフラッシュが届く距離まで接近するのは難しいでしょう。

 悪路や障害を走破するのは戦車の醍醐味かもしれませんが、状況終了後、泥まみれの戦車を点検整備、洗車する重労働が待ち構えています。