主要な鉄道駅とは別に、大きなバスターミナルが存在する地方都市があります。街はずれに作られた駅に対して中心市街地に立地することもあれば、駅の近くにあることも。その立地は街の歴史を物語りますが、多くは「昭和」のままです。

都市の歴史を物語る「駅とバスターミナルの位置」

「バスタ新宿」をはじめとして、東京や大阪などの大都市には、高速バスが中心に発着する大規模なバスターミナルがみられます。2022年秋には東京駅前に新たなターミナルが開業予定のほか、渋谷や新大阪などの駅前でも計画が進んでいます。

 多くの地方都市にも、百貨店などを併設した大きなバスターミナルがあります。こちらは、地域の路線バスの発着が中心です。なかには、「昭和」の雰囲気を色濃く残した施設もあります。

 鉄道駅から2〜3km離れたところに立地するターミナルも少なくありません。新幹線などの鉄道で地方都市に降り立つと、駅周辺に商業施設が少なく拍子抜けすることがありますが、駅から離れた古くからの市街地に官庁街やビジネス街、繁華街が集まっていて、バスターミナルがそのランドマークになっているというケースが見られます。


旧熊本交通センター周辺を再開発した「SAKURA MACHI Kumamoto」をバックに走る九州産交の高速バス(成定竜一撮影)。

 一方、鉄道駅前に立地するバスターミナルもあります。これらの立地の違いを見ると、各都市の成長の歴史が見えてきます。なお、駅前ロータリーの停留所などをバスターミナルと呼ぶケースもありますが、ここでは、乗車バース(のりば)や発券窓口などを建物内に備えた箇所を中心に触れることにします。

江戸の城下町→駅ができ、バスが走り出す

 県庁所在地クラスの都市の多くは、江戸時代の城下町から発展しました。明治時代には鉄道が敷設されますが、当時の鉄道は軍や貨物の輸送を主な目的としており、通勤通学需要はまだありません。そのため、駅は家々が並ぶ旧城下町エリアを避け、土地に余裕のある外周部に設置されました。その後、旧城下町と鉄道駅の間や、周辺の村落を結ぶ路線バスが運行を開始しますが、その多くは、個人経営の小規模な事業者による運行でした。

 戦前から第2次世界大戦中にかけ、いわゆる「戦時統合」も含め事業者の経営統合が相次ぎ、生活圏ごとにおおむね1社の路線バス事業者が生まれます。彼らが、戦後、国から事業免許を受け地域独占的に路線バスを運行することになります。ただし、完全に統合されず複数事業者がまだら模様に運行する地域や、エリアの境目にあたるため複数事業者が乗り入れる都市も少なくありません。

地方で展開された「ミニ阪急」モデル

 1950年代に高度経済成長が始まると、通勤通学の需要が急増します。路線バスの年間輸送人員は1970年頃まで100億人前後を維持し(現在は約40億人)、「バスの黄金時代」を迎えました。それを受け、地方都市でバスターミナルが多く建設されました。

 戦前には、阪急電鉄が、沿線の開発や駅併設の百貨店と鉄道事業を組み合わせる「日本型私鉄経営モデル」を構築済みでした。多くのバス事業者も、「ミニ阪急」を目指し、各地のバスターミナルも、百貨店や総合スーパーを併設して開業しました。ただし、細かく見ると、立地や形態にいくつかのパターンが見られます。

 まず、現在の人口にして50万人クラス以上の比較的大きい都市では、旧城下町から発展した中心市街地に立地するケースが目立ちます。中心市街地の規模が大きく求心力が大きいうえ、複数の路線バス事業者が併存する都市が多いからです。

 こうした都市では、中心市街地に各社の停留所がバラバラに設置され、不便なうえ、折り返し車両の路上待機が渋滞の原因になっていました。そこで半官半民の会社を作り公有地にバスターミナルがつくられます。広島バスセンター、熊本交通センター(現・熊本桜町バスターミナル)などがこのパターンです。いずれも、百貨店を併設し、後者にはホテルやボーリング場もありました。


広島バスセンター。広島駅と離れた市街中心部に位置する(画像:写真AC)。

 一方、老舗百貨店がターミナルを建設し、バス路線を誘致した例もあります。天満屋バスセンター(岡山市)、山形屋バスセンター(鹿児島市)です。阪急電鉄が自社のターミナル駅に百貨店を設けたのとは逆に、百貨店が集客の一環として路線バスを招いたのです。

 “中心市街地派”の都市では、駅と中心市街地が離れており、その区間が通勤通学、買い物客らで「ドル箱バス路線」にもなりました。仮に市街地の西側に駅があるなら、西側の隣町や郡部から来る路線は駅経由でバスターミナルが終点。東側から来るバスはバスターミナルを経由して駅付近が終点。そうすることで駅〜バスターミナル間は相当な便数が運行することになりました。

中小都市には駅前バスターミナル でも百貨店誘致は難しいので

 逆に駅前に立地するのは、一回り小さいサイズの都市が中心です。鶴岡市(山形県)、松本市(長野県)、佐世保市(長崎県)などが該当します。弘前市(青森県)や山形市などでは、鉄道駅から徒歩5分程度の場所に位置します。

 こうした都市では、バスの営業所(車庫)を郊外に移転させた跡地にバス事業者自身がターミナルを建設し、商業施設をテナントとして誘致する例がほとんどです。ただ、都市の規模の面でも立地の点でも百貨店の誘致は困難で、ダイエーやイトーヨーカドーなど総合スーパーが中心です。

 むろん例外もあります。静岡市や岐阜市、姫路市(兵庫県)などは、都市の規模は大きいのに、中心市街地ではなく"駅前立地派”です。いずれも、国鉄(JR)駅の近くに立地する、有力な私鉄の駅に併設されています。


岐阜バスターミナル。名鉄岐阜駅と隣接しており、JRの駅とはやや離れている(成定竜一撮影)。

 私鉄も、国鉄同様、旧城下町エリアに乗り入れが困難で街はずれに駅を設けたのですが、それが国鉄駅に近かった場合、相乗効果が起こり都市の重心がそちらに移ったと言えるでしょう。鉄道ターミナル駅の広い敷地に、私鉄系百貨店や資本関係のあるバス事業者のターミナルが並んでいます。

消えるバスターミナル 中心市街地の求心力を取り戻せるか

 新潟市は、例外的に中心市街地と鉄道駅の中間に立地します。開発に適した広い土地がそこにあったためです。長崎市や、前述の鹿児島市は、複数のバス事業者が、中心市街地と駅前に別々にターミナルを設置しました。

 盛岡市や長野市は、都市の規模では“駅前立地派”のはずですが、複数事業者が併存しており、発着拠点を集約するため、中心市街地に半官半民のターミナルが設置されました。しかし、やはりポテンシャルに乏しく、どちらもすでに廃止されています。旧城下町が少ない北海道では駅前がイコール中心市街地であるなど、類型化できない都市も多くあります。


弘前バスターミナルに残るレトロ広告(成定竜一撮影)。

 近年では、郊外に大型商業施設が開業し、中心市街地や鉄道駅前は相対的に「地盤沈下」状態です。しかし、無秩序に開発が進むと、各種インフラ整備にともなう社会的費用が増加するとして、都市機能の集約と、自動車から公共交通機関への転移を促すコンパクトシティの政策が進められています。旧・熊本交通センターを取り壊し建設された桜町バスターミナルと、それを核とした再開発「サクラマチクマモト」のプロジェクトはその象徴と言えるでしょう。

 バスの愛好家としては「昭和」の雰囲気残るバスターミナルに惹かれます。しかし、ノスタルジーだけでは、街も路線バス網も維持することはできません。ほかの都市のバスターミナルにおいても、適切に投資を行い魅力的な施設を保つことで、バリアフリーなど今日的な課題に対応し、かつ、市民が誇りに感じるようなランドマークであり続けてほしいものです。