東京・神田の古いビルの2階。そこには夜な夜な紳士淑女が集まり、うんちくを披露しあう歌謡曲バーがあるという。今宵も有線から、あの名曲が流れてきた。

お客さん:お、このイントロは子門真人の『およげ!たいやきくん』。独特のねちっこい歌声で、朗々と歌い上げるこの節回し。怪物級のヒットだったね。

マスター:ご存じ、空前絶後の累計460万枚を売り上げ、1976年のヒットチャート11週連続1位というすごさだった。

お客さん:子供はもちろん、サラリーマンの哀歌として、大人からも支持されたよね。

マスター:1975年10月、『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ系)が朝8時15分に枠移動となり、そのときにスタートした “今月の歌” の第1弾が、『およげ!たいやきくん』だった。実は当初、歌っていたのは子門真人じゃなかったんだよ。

お客さん:子門真人の印象しかないけどなあ……。

マスター:歌っていたのは生田敬太郎というフォーク歌手。番組開始と同時に『およげ!たいやきくん』のリクエストが殺到。そこで、急遽ポニーキャニオンからレコードを出すことが決まったんだけど、ひとつ大問題があった。

お客さん:大問題?

マスター:生田敬太郎はテイチク所属だったため、ポニーキャニオンから出すことはご法度だった。

お客さん:なるほど、確かに。

マスター:そこで白羽の矢が立ったのが、当時フジ音楽出版に経理兼歌手として在籍していた子門真人だった。

お客さん:歌声はもちろん、もじゃもじゃ頭に丸メガネ、赤い鼻とキャラクターが強烈だった。

マスター:そこからの快進撃はご存じのとおり。なんたって日本で一番売れたレコードだからね。ところで、この曲ができるきっかけとして、放送作家の高田文夫が関わっていたって知ってる?

お客さん:あの高田先生が!

マスター:この頃、高田先生は『ひらけ!ポンキッキ』の準備メンバーとして働いていた。そのとき、番組プロデューサーに日大芸術学部の同期で、気心が知れた作曲家・佐瀬寿一を紹介したという。

お客さん:おお!『およげ!たいやきくん』の作曲者だ。

マスター:いきなり大ヒットを飛ばした後、『およげ!たいやきくん』を作詞した高田ひろおとのコンビで『ホネホネロック』『パタパタママ』など、初期の『ポンキッキ』の代表作を作った。

お客さん:すごい! みんな歌えるよ!

マスター:それだけじゃない。佐瀬寿一は、山口百恵の『パールカラーにゆれて』『赤い衝撃』、キャンディーズの『暑中お見舞い申し上げます』を手掛け、あの畑中葉子の『後から前から』も作っちゃった!

お客さん:幅広いにもほどがあるだろう!

 おっ、次の曲は……。

文/安野智彦
『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)などを担当する放送作家。神田で「80年代酒場 部室」を開業中

参考:小島豊美とアヴァンデザイン活字楽団『昭和のテレビ童謡クロニクル』(DU BOOKS)/高田文夫『TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし』(講談社)/『昭和40年男vol.40』(クレタパブリッシング)