バルセロナの絶対的エースであるアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ【写真:Getty Images】

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名波浩氏がメッシの“凄さ”を解説「トップスピードでのソフトタッチは真似できない」

 現代最強のフットボーラーとして長年世界のトップに君臨しているのが、バルセロナの絶対的エースであるアルゼンチン代表FWリオネル・メッシだ。

 数々の記録を塗り替え、サッカー史に残る名手となったが、その凄さとはどこにあるのだろうか。1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏が、メッシの「最高のプレー」を語ってくれた。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)

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 2004年にバルセロナでトップデビューを果たしたメッシは、17シーズンにわたってスペインの名門一筋でプレー。リーガ・エスパニョーラ優勝6回、UEFAチャンピオンズリーグ制覇4回などエースとしてクラブの黄金期を支えている。個人としてもバロンドールを歴代最多となる6度受賞、またクラブやリーガでの歴代最多得点記録を保持するなど、驚異的なペースでゴールを量産している。名波氏もメッシの類稀な得点能力を称えたうえで、「アシストとかその前のパスとか、そういうところにもサッカーの色気というものを感じさせるレフティーだと思います」と語る。

 あらゆるプレーがハイレベルなメッシだが、名波氏は特にドリブルに異次元の才能を感じるという。

「例えばトップスピードでドリブルを運ぶとなったら、自分からボールが1メートル以上離れるのが普通なんです。一般の人でだいたい1メートル40センチから50センチくらい。クリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)とかになると、1メートル80センチとか、2メートル弱くらいまで離れるわけです。日本人でもおそらく三笘(薫/川崎フロンターレ)などは、トップスピードになった時はポン、ポンって突っつきながら運ぶようなドリブルをするのですが、それが彼のトップスピードへの乗り方。(元ブラジル代表の)カカとかもそうですよね。

 それではメッシはと言ったら、だいたい80センチから90センチくらいしかボールが離れていない。普通はその感覚でドリブルすると、足のステップが合わなかったり、ボールコントロールに気を遣いすぎてトップスピードに乗らなかったりしますが、メッシは違う。あのトップスピードでのソフトタッチ……あれはもう真似できないですよね。僕は今後10年と言わず、30年は出てこないと思いますよ、こんな選手は」

香川真司にも共通する絶妙な「足の“抜き方”」

 ボールを常に自らの体の近くに置きながら相手と対峙し、細かいタッチで揺さぶっていくメッシ。「ちょん、ちょん、ちょん、ちょんって細かくボールに触りながらドリブルしてくるから、ディフェンダーが飛び込もうとした瞬間にステップのリズムを変え、ボール1個分のスペースで相手のスライディングタックルから逃げられる」という。

 さらに名波氏によれば、メッシの真骨頂はここからだという。

「タックルをかわされたディフェンダーは、残り足で(攻撃側の)足を引っかけにくることがあるのですが、この時のメッシの足の“抜き方”が最高なんです。メッシってドリブルをして、倒れそうで倒れないことが多々ありますよね? あの残り足の抜き方が絶妙なんです。(ディエゴ・)マラドーナはけっこう残り足を残して、ファウルをもらうタイプでしたけど、逆にメッシはトップスピードに乗ったらなるべくファウルをもらわないように、足を抜いてそのまま抜けていくんです」

 小柄なメッシが軽やかに、飛び跳ねるようにして屈強な相手をかわしていく。時にファウル覚悟で止めにきても、それすらもかわして前進できるのは「天性の才能」だと名波氏は指摘するが、日本人でもこの“足の抜き方”が上手い選手がいるという。

「日本で言ったら、香川真司も抜き足が上手い。絶妙なんですよ。最後の最後でちょんとボールを1個分動かして抜いた後、相手が足を伸ばして引っかけにくる足をすっとかわす。これがもう最高。ドリブルで抜く時は一番気持ちいい」

 相手に倒されそうで倒れず、スルスルっと敵陣を切り裂いていくメッシや香川ら一流のアタッカーたち。「なかなか教えられるものではない」という天性の“足の抜き方”に注目してみたい。

[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。(Football ZONE web編集部・谷沢直也 / Naoya Tanizawa)