デジタル改革など菅流の改革が実現できるのか、海外投資家も注視している(写真:ロイター)

安倍政権から菅政権への移行を海外投資家はどう受け止めているのか。グローバルな視点で日本株を分析するプロは新政権の政策のどこに注目し、今後のマーケットをどう予想しているのか。世界の有力投資家と密接な関係を持つゴールドマン・サックス証券会社の副会長でチーフ日本株ストラテジストを務めるキャシー松井氏に聞いた。

アベノミクスへの期待は失望に変わっていた

――8月28日の安倍晋三首相による辞任表明で海外投資家の反応はどうでしたか。

急な発表だったので驚いてはいたが、さほど大きなショックとは受け止めていないようだった。

安倍政権に対する海外投資家のこれまでの行動を見ると、2013年1月の政権発足直後は日本株へのエクスポージャー(投資比率)が全般に低かったこともあり、「3本の矢」によるデフレ脱却・構造改革期待でユーフォリア(過度な楽観)的に日本株を大量買いし、それが2015年前半まで続いた。

だが、その後は買い越し基調が止まってしまっている。彼らが期待していた水準やスピードでデフレ脱却や構造改革が実現できなかった失望によるところが大きい。つまり、アベノミクスに対するエキサイトメント(興奮)が後退したためといえる。

今年8月末段階でも、海外投資家の間では日本株に対して慎重派が多かった。そのため辞任発表後、日本株はそれほど動いていない。アベノミクス終了で売られたわけではなく、もともとの期待値が低かったせいで反応が乏しかったと見られる。

――菅政権誕生に対する海外投資家の反応はどうですか。

菅氏は安倍政権で長く官房長官を務めていたので海外投資家の間でも知名度はある程度高い。携帯電話料金の引き下げやふるさと納税、外国人労働者の拡大、インバウンド促進などを進めてきたことも知られている。財政出動や量的緩和などアベノミクスのマクロ政策を継続するとしているが、安定政権が実現できれば、もしかしたら構造改革や規制緩和が進むのではないかという期待感はある。

――菅内閣の布陣などを見て、ご自身の今の評価は?


キャシー松井(Kathy Matsui)/米ハーバード大学、ジョンズ・ホプキンズ大学院(SAIS)卒業。1994 年ゴールドマン・サックス証券会社入社、98年マネージング・ディレクター、2000 年パートナー昇格。現在、副会長、チーフ日本株ストラテジスト、グローバル・マクロ調査部アジア部門統括。アジア女子大学理事会、ハワイ自然保護協会理事会、米日カウンシル議会、経済同友会、日本癌学会の乳癌基金アドバイザリーメンバーの一員でもある。20年7月に新著『ゴールドマン・サックス流 女性社員の育て方、教えます』(中公新書ラクレ)刊行(写真:本人提供)

再任や横滑りの閣僚が多いのでとくに驚くべき点はないが、「ウーマノミクス」(女性活躍による経済活性化)を提唱している私から見ると、相変わらず女性の閣僚が2人だけというのは残念だ。

ただ、私が注目しているのは、平井卓也氏が担当大臣になったデジタル改革。コロナ後のニューノーマル(新常態)として、経済だけでなく社会、教育など、あらゆる分野におけるデジタル革命が実現できるかどうかだ。

日本は海外から見てもロボットなど技術力で定評がある反面、コロナ禍で露呈したように、行政手続きや企業の決済でのハンコ文化、紙文化など生産性の足を引っ張っている要因も多い。日本のデジタルリテラシー(理解度)は世界的にも下位とされる。人口減少と高齢化が進むこの国で最も必要なのは生産性革命であり、生産性向上のためには政府、民間企業、学校など横断的なデジタル改革が不可欠だ。

理想的なのは、台湾の唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当大臣が進めた改革のように、単なるコロナ対策ではなく、国民と政府のコミュニケーションパイプを太くする参加型民主主義へ向けた改革だろう。

日本が成長するには生産性向上しかない

――生産性低下による潜在成長力の低迷が懸念されています。

海外投資家は日本に投資する必要性がまったくない。日本はさまざまなオプションの中の1つにすぎない。その中で日本や日本株を選ぶとしたら、求めるのは投資リターンであり、その元になるグロースドライバー(成長の源泉)は何かというと人財、資本、生産性の3つ。人財は減って、資本も限られている中、生産性を上げるしかない。

ウーマノミクスで言えば、女性の労働力が増えても過半がパートというのが現実で、生産性向上に結び付いていない。非正規から正社員への転換を促し、女性のリーダーをもっと生み出していくことが必要だ。女性リーダーを育てる実践的手法については、最近出版した本(『ゴールドマン・サックス流 女性社員の育て方、教えます』)でも書いたところだ。

――著名投資家ウォーレン・バフェット氏が率いる米投資会社バークシャー・ハザウェイによる日本の5大商社株の大量取得が8月末に発表されましたが、日本に対する見方が変わったのでしょうか。

バフェット氏は何年もの長期的視野で投資するスタンスであり、日本株が世界的に見て割安だと考えたためだろう。実際、PBR(株価純資産倍率)やPER(株価収益率)、配当利回りを見てもアメリカ株よりかなり割安だ。

ただし、「安くなっている理由」はある。見た目は安いが、重要なのは、会社が持っている価値や現預金が株主の手に入るかどうかだ。その意味で日本企業は全般、ROE重視やコーポレートガバナンス(企業統治)でアメリカ企業に後れを取ってきた。株価が安いのは、グローバルスタンダードではないと見なされているためだ。

日本でも近年、持ち合い株式の解消や社外取締役の拡充などガバナンスに改善は見られる。改善がなければバフェット氏も投資しなかったのではないか。将来的な株主還元のポテンシャルがあると考えたのだろう。かつて1990年代にはドイツが株式持ち合いなど非効率な市場の改革を進めたが、日本は今、同様のターニングポイントに立っている。

日本にも「GAFA」が必要

――海外投資家が日本株をオーバーウエイトするかどうかは、さらなる改革次第ということですね。

そうだ。日本市場のもう1つの弱点は、海外投資家の間で「世界景気に非常に敏感な市場」という超単純なレピュテーション(評判)が定着してしまっていることだ。実際、TOPIX(東証株価指数)の構成銘柄の中で鉄鋼や自動車、金融などの景気敏感業種は約7割を占め、世界的にも高い。グローバルな景気サイクルがよくなると日本株が相対的に大きく上がるが、逆に景気サイクルが悪くなるとものすごく下がる。

これに対してアメリカではいわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のような断トツ企業が市場の最高値更新を牽引している。こうしたグローバルドミナント(世界で独占的)な成長企業がもっと日本にあれば、海外投資家に見直されることになる。

もちろん少数銘柄への集中リスクは考慮すべきだし、GAFAの株価チャートを見れば怖くなるほどだ。とはいえ、2000年前後のITバブル期とは違い、(上場米国企業の)PERは平均20倍台に過ぎず、利益もキャッシュも生み出している。

要するに、日本株を海外投資家が積極的に買える状況をつくり出すことが重要だ。成熟産業ならもっと株主還元を増やす。成長産業ならば積極的に技術に投資したり、M&Aをしたりする。やればやるほど海外から資金が入ってくるようになるだろう。

――日本にグローバルドミナントな企業が生まれる可能性を感じますか。

もちろん可能性はあると思う。新政権が新設する「デジタル庁」ですべてが解決できるわけではないが、国家横断的な戦略を作り、教育でデジタルリテラシーを強化し、かつ経済全体のスタビリティ(安定性)を高めることが重要だ。

今、若者が完全売り手市場で、優秀な若手がスタートアップ企業など面白い会社へ入るようになっている。この国のリスクテークが加速すれば、将来の日本版GAFAが誕生すると思う。教育への投資とともに、起業家への支援策や規制・法律面の整備など、潜在力を最大化できる環境づくりも大切。親の意識改革を含め、「失敗したほうが成長する」という方向へマインドセットをシフトさせることも重要だ。

「スガノミクス」でDX関連株に注目

――日本株ストラテジストとして、今後の日本市場の見通しは?

「スガノミクス」の下での今後1年先の目標水準については現状、TOPIXで1700ポイント、日経平均株価で2万4500円と設定している。つまり今の水準より数%のアップサイドを見込んでいる。


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前提としてはグローバルなマクロ環境の好転がある。当社では年内にアメリカで新型コロナウイルスのワクチンが最低1つ承認され、来年流通し始めると見ており、それによって経済活動が活発化する。FRB(米連邦準備制度理事会)は2025年まで利上げをせず、超低金利環境が続く。場合によっては財政出動も行われる。そうした中で景気と企業業績が回復し、株価も上昇するという見方だ。当社の世界GDP成長予測は市場コンセンサスを大きく上回っている。

注目セクターとしては、当社では「バーベル戦略」と呼んでいるが、まず右手に成長期待の高い業種、例えば電子部品やITサービス、ロボティクスなど自動化関連を持つ。そして左手には景気敏感性の高い業種、たとえば保険、自動車、機械、鉄鋼株を持つという考え方だ。成長株だけではバリュエーション的にかなり上がっているのでリスクが高い。来年の世界経済回復を前提に、今は海外投資家のエクスポージャー(保有割合)が少ない景気敏感株にもセットで投資すべきと考えている。

――その中でも「スガノミクス」で特に期待できるのは?

やはりIT関連だろう。デジタル戦略をきちんと実施できれば注目度は増す。DX(デジタル・トランスフォーメーション)などというが、まだまだこれからが本番だ。そのためのインフラ整備や古いシステムの更新を積極化すれば、需要拡大の余地は大きい。

もちろん菅氏は地方創生などいろいろな政策を掲げているが、今の日本にとって最も重要なのは、あらゆる分野における「非効率」を見直していくことだろう。単純労働を機械で自動化すればいいという話ではない。そこで余った労働力を活用するには、スキルアップのための再教育プログラムが必要だ。日本にはエンジニアが非常に少ないので、デジタル時代のスキルを持った人材づくりをしなければならない。国内で足りなければ、海外からも積極的にリクルートすべきだ。