人が米粒のようにこぼれ落ち…江戸時代に隅田川で起きた最悪の事故「永代橋崩落事件」

写真拡大 (全3枚)

文化4年(1807)の8月19日、午前10時ごろ、江戸で大事件がありました。

永代橋崩落です。江戸深川八幡宮の祭礼で朝から混み合っていた永代橋は人の重さに耐えかね崩落し、死者行方不明者2000人越えという、日本の橋梁災害史上最悪の惨事が起こったのです。

永代橋 歌川広重 画

原因とは?

原因は主に2つ。1つは橋そのものの耐久性の弱さ。2つ目は祭礼当日の人出が予想を上回ってしまった事です。

当時の永代橋は勿論木造で、元禄11年(1698)に隅田川の河口部に架けられたものでした。全長は約200m、橋の脚の高さは満潮時にも水面から3mは出ているという巨大な橋でした。

廻船が楽々通れるようにとの利便性を考えての設計でしたが、河口にあるために他の橋よりも波風による腐食が激しく、また大船の事故も多くありました。元禄の架設から100年余り、すでに16回ほど修復が行われていました。

想像を超える人出

この日は12年前に喧嘩が原因で中止されていた深川富岡八幡宮の八幡祭りが久々に催されたとあって、当日の人出は過去の祭礼の人手を大きく上回るものでした。

八幡祭りは昔から山車や練り物の評判が高く、1ヶ月も前からガイドブックが売り出されるほどで、見物人は祭りを大変楽しみにしていたのです。

事故の様子

一橋家が見物のために船で永代橋を通り、その間は不敬のないよう橋梁上は通行止めになっていました。その通行止めが解除されたその時です。溜まりに溜まった群衆が、一斉に深川めがけて走り出したのです!

崩落事故は深川側から6、7間あたりで発生しました。橋の脚そのものが人の重みで沈み、橋桁がパックリ折れたのです。

現場を目撃した人によると、「人が米粒のようにこぼれ落ち、泥中に埋まった人々の上に次々に人が落ち重なってゆく」。想像するにも恐ろしい光景だったようです。

永代橋 歌川広重 画

忘れてはいけない事件

今ではほとんど起こり得なくなったこうした事件は、時間と共に風化して忘れられがちではありますが、こうした事件にこそ、未来への教訓が隠されていると信じて、振り返ってみることが重要なのかもしれません。

参考文献:吉田豊「街なか場末の大事件(チャレンジ江戸の古文書)」柏書房