By Dawid Zawiła

世界の多くの地域が「完全週休2日制」を採用し、土曜日と日曜日を休日と定めています。一方、近年では「週休3日・週4日労働制」を採用する企業も現れ、ライフワークバランスに関する議論が盛んになっています。しかし、週休2日が定着するようになるまでは長い時間が掛かったことをイギリスのポーツマス大学で社会文化史を教えるブラッド・ビーヴン教授が指摘しています。

History of the two-day weekend offers lessons for today's calls for a four-day week

https://theconversation.com/history-of-the-two-day-weekend-offers-lessons-for-todays-calls-for-a-four-day-week-127382

ビーヴン教授は、「土曜日と日曜日を休日にする」というのは比較的近代的な現象で、その起源は19世紀のイギリスにあると解説しました。1817年、実業家にして革命家だったロバート・オーウェンは「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」と提唱し、当時イギリスで平均的だった10時間から16時間という労働時間に異を唱えました。そのような運動の末、イギリス政府は1833年に工場法を制定。この法律によって、9歳未満の児童労働が禁じられ、9歳〜18歳未満の労働時間は週69時間以内に制限されましたが、休日は宗教的に定められた安息日である日曜日のみ。当時は週6日労働が一般的でした。



by Damien Walmsley

しかし、複数の要素が組み合わさって、そんなイギリスで労働観に変化が訪れます。ビーヴン教授によると、その発端となったのが「聖月曜日」という考え方。当時の熟練工には「週末までに製品を完成させる」というノルマがあり、多くの場合納品日は毎週土曜日に定められていました。熟練工は土曜日夜遅くまで働き、そして時折日曜日に超過労働をするという状態で、それゆえ「月曜日は休む」という働き方になっていきました。これが「聖月曜日」の起源です。この働き方は次第に一般的になり、音楽会場や劇場などの商業施設が月曜日にイベントを開催するようになったとのこと。

他方、宗教団体と労働組合もまた「休日を増やす」という活動を熱心に行っていました。ビーヴン教授によると、宗教団体は土曜日を休日にすれば労働者階級は「精神的および道徳的に改善する」と主張したとのこと。一方の労働組合は労働者の利益のために休日を増やすことを主張しました。今日でも、20万人が参加するイギリスの労働組合Public and Commercial Services Unionは、労働組合の輝かしい業績の1つに「休日を増やしたこと」を挙げています。



1842年には、早期週末組合という労働組合がロビー活動を行って、労働者の間で一般的だった聖月曜日の代わりに「土曜日の午後」を公式に休日するべく尽力します。早期週末組合が多数の街に支部を設立して会員を集めたこととと「勤勉な労働者を育てられる」と主張したことが功を奏し、土曜日の午後休を認める雇用主も次第に現れました。

早期週末組合の動きを受けて、他の労働組合と労働者禁酒団体も「労働者の印象を変える好機」と見て運動に参加。当時、酔っ払いの労働者や闘鶏などの野蛮なスポーツが聖月曜日には一般的だったため、工場労働者は社会的地位が低かったとのこと。このような状況の中、労働組合や労働者禁酒団体は、土曜日の午後休を「理性的なレクリエーション」に充てることを推奨しました。



By Bonnie Kittle

イギリス全土で急成長しつつあったレジャー産業も土曜日の午後休をビジネスチャンスと見なし、各社はキャンペーンを開始。土曜午後から田舎に帰省する人向けの割引切符なども登場。こういったキャンペーンの中で最も影響力があったのは土曜午後にサッカーの試合を開催するという決定だったとビーヴン教授は述べています。この決定は1890年代に行われ、レジャー産業をよりいっそう促進したとのこと。

土曜日の午後休を認めるかどうかは工場次第だったため、「一般に浸透する」には時間が掛かりました。ビーヴン教授は、週末に休日を設けるという運動が始まったのは1840年代ですが、雇用主、宗教団体、レジャー産業、労働者が土曜日の午後休を一般的だと見なすようになったのは約50年後の19世紀の終わり頃だと指摘。そして、この土曜日が丸々休みになったのは、1930年代のことで、土日を休みにすると労働者の欠勤が減り、効率が上昇したことが判明したことが原因だとビーヴン教授は説明しました。