陸上自衛隊も草創期に使用したM4「シャーマン」戦車ですが、そのなかに日本の地名が付けられたタイプが存在します。なぜそのような名称になったかを紐解くと、太平洋戦争後の日本の置かれた状況が影響していました。

せんべろの聖地、赤羽の名を冠した戦車

 第2次世界大戦において、連合国側で大量に使用されたアメリカ製のM4「シャーマン」戦車ですが、各種タイプのなかに「アカバネスペシャル」と呼ばれたものがあります。「アカバネ」とは漢字に直すと「赤羽」、東京都北区の地名である「赤羽」のことです。

 なぜアメリカ製の戦車に日本の地名がついているのかというと、そこには第2次世界大戦終結と、そのあとに起きた朝鮮戦争が深く関わっていました。


「赤羽スペシャル」を生み出す際に参考にされたM4A3E4。見た目はほぼ同じ。写真はユーゴスラビア陸軍に供与されたもの。

 M4「シャーマン」戦車は、第2次世界大戦の勃発で大量の戦車が必要になったアメリカが、既存のM3中戦車を流用してわずか1年ほどで開発した、急造の戦時量産戦車です。

 急造とはいえM4「シャーマン」戦車は性能のバランスが良く、整備性や稼働率に優れていました。特筆すべきは生産数で、既存の戦車工場だけでなく自動車工場や機関車工場など10か所で、溶接車体と鋳造車体、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンなど様々なタイプが並行して量産された結果、わずか3年3か月ほどのあいだに約5万両も作られました。

 大量生産されたM4「シャーマン」戦車は、太平洋戦線とヨーロッパ戦線の両方で使われたほか、イギリスやソ連にも大量に供与され、連合軍の勝利に貢献しました。そして大戦後は、進駐軍のいち装備として日本にやってきたのです。

アメリカ生まれ東京育ち、ライバルはソ連戦車

 1950(昭和25)年6月25日、突如、北朝鮮が韓国に向けて侵攻を開始、朝鮮戦争が始まります。アメリカは自陣営の韓国救援を計画、最も近くにいる部隊として、日本の駐留アメリカ軍を朝鮮半島に派遣することにしました。


ボービントン戦車博物館に展示される76mm砲搭載型のM4A1(76)W(柘植優介撮影)。

 アメリカは当初、北朝鮮の戦力を過小評価していたため、戦車については輸送しやすい小型のM24「チャフィー」軽戦車を朝鮮半島に投入します。しかし、北朝鮮が装備するソ連製のT-34-85戦車に太刀打ちできなかったため、M4「シャーマン」戦車が送られることになり、また一部の車体については火力向上のために、急きょ東京都北区赤羽にあるアメリカ軍の「東京オードナンスデポ」で改良が加えられることになりました。

 赤羽周辺は、太平洋戦争終結まで旧日本陸軍の造兵廠(兵器工場)が多数あり、終戦で連合国軍に占領されると、それらはアメリカ軍キャンプに転用され、いくつかは造兵廠の機械設備を流用して連合国軍である進駐アメリカ軍の兵器整備工場として用いられました。

 この整備場が前出の「東京オードナンスデポ」です。朝鮮戦争期、最前線から後送されてくる戦車をはじめとした各種兵器の修理や整備などが行われ、前述したM4戦車の改良もここで実施したため「赤羽」という地名が愛称になったのです。

より強力な戦車が米本土から駆け付け、出番消滅

「赤羽スペシャル」が作られる際、参考にされたのが、大戦後にアメリカBMY社が改良していた中古M4戦車でした。

 M4「シャーマン」戦車には短砲身の75mm砲搭載型と、装甲貫徹力を増した長砲身の76mm砲搭載型があり、前者は砲塔が小さく、後者は大きなものを用いていました。


ボービントン戦車博物館に展示されるM46「パットン」戦車。主砲は90mm砲(柘植優介撮影)。

 BMY社の改良プランは、75mm砲搭載の小型砲塔に貫徹力の高い76mm砲を搭載するもので、改良された車体は識別のために、型式末尾に「E4」を加えた「M4A1E4」や「M4A3E4」などと呼ばれました。この改良はアメリカ本土で1940年代末から行われていましたが、このような実績があったため、日本でも比較的容易に改良できると考えたのでしょう。

 しかし結局、「赤羽スペシャル」が朝鮮戦争に参加することはありませんでした。なぜならアメリカが本腰を入れて本土から増援部隊を送り込むようになったことで、戦車についてもM4「シャーマン」よりも強力な、M26「パーシング」やM46「パットン」といった大型戦車が使用されるようになったからです。

 しかし、「赤羽スペシャル」を生み出す元になったM4A1E4やM4A3E4は、親米国への供与兵器として用いられ、前者はパキスタンなどで、後者はデンマークやユーゴスラビア、インドなどで運用されました。

「赤羽スペシャル」は写真でしか見ることができませんが、兄弟車であるM4A1E4やM4A3E4は世界各地で展示されているため、その面影を感じ取ることはいまでも可能です。