2019年10月にあきんどスシローの社長に就任した堀江陽氏。入社以来、仕入れや商品開発などに携わってきた(撮影:尾形文繁)

回転ずし業界で国内店舗数、売り上げともにトップを快走する「スシロー」。運営元のスシローグローバルホールディングス(以下、スシローGHD)の2019年9月期決算(国際会計基準)は、売上高に相当する売上収益が1990億円(前期比13.8%増)、営業利益145億円(同24.1%増)と、共に過去最高を記録。既存店売上高も2019年12月まで26カ月連続で前年同月超えを達成している。

そんな絶好調なスシローだが、国内事業を担う事業会社あきんどスシローの社長が2019年10月に代わった。それまで社長を務めていた水留浩一氏が代表権のない取締役会長となり、堀江陽氏が取締役執行役員から代表取締役社長へ昇格した(編集部注:水留氏はスシローGHDの社長CEOを継続)。

堀江氏は1970年3月生まれの49歳。実は社会人としてのスタートは外食業界ではない。大学卒業後は生命保険会社に入社し、営業の仕事に明け暮れた。その後、保険会社を退職し、スシローと運命的な出会いを果たすことになる。

堀江氏はいったいどのようにしてスシローとの接点を持ったのか。そして国内500店以上のスシローを束ねる新たなトップとして、どのような舵取りをしていくのか。堀江氏を直撃した。

トラック運転手のアルバイト

――堀江さんはどういうきっかけでスシローと関わりを持ったのですか。

大学を卒業して生命保険会社に就職しました。そこで営業の仕事をしていたのですが、いろいろあって約7年で退職することになりました。その会社を辞めた後、妻と子どもに「おいしいおすし屋さんがあるから行こう」って誘われて、初めて回転ずし店に行ったんです。もう20年ぐらい前のことです。そのときに行った店が現在も営業しているスシロー宝塚高司店(兵庫県宝塚市)でした。初めて食べたときは正直、「あ、こんなものか」という感じでした(笑)。

その店から帰るときに、ある求人の貼り紙が目に入りました。そこには「トラックドライバー募集」「時給1200円」って書かれていたんです。食材などを管理するセンターから、スシローの各店舗に食材などを運ぶ仕事です。それをやってみようと思って、スシローのトラックドライバーになりました。

――最初はトラックドライバーのアルバイトからスタートしたんですね。

そうです。当時は若くて力自慢。4トントラックを満載にして各店舗を回りました。そのときの上司が元社長の豊粼(賢一)氏でした。豊粼は仕入れをやりながら、センターの管理もやっていました。すると、豊粼は「店を見に行く」って言いながら、私が運転するトラックに乗り込んでくるんです。一緒に乗るときはずっと魚の話をしていました。「うちのうなぎはな……」とか、「サーモンっていうのは……」って、話し続けているんです。


堀江氏がスシローに入社するきっかけを作った元社長の豊粼賢一氏(写真は2012年のもの、撮影:ヒラオカスタジオ)

あるとき、「豊粼さん、趣味は何ですか」って聞いたら、「仕事」って答えたんです。この人面白い人やな、と思いました。

それから約1年ぐらいして、豊粼から「社員になれ」と誘われました。実はそれまでも何度か誘われていたのですが、別のところに就職しようと考えていたので、その都度お断りしていました。

そんな中、豊粼が「俺は日本一を目指している」という熱い思いを話してくれました。アルバイトだった当時の私はひげも伸ばしているし、風貌も悪かった。そんな私に「日本一」という言葉がすごく響いたんです。翌日、汚い髪の毛やひげを全部剃って丸坊主にして、「お世話になります」って言いに行きました。

魚の「さ」の字をしゃべるまでに5年

――スシロー入社後はどのようなキャリアを積まれたのですか。

もともとスシローの場合、営業部、いわゆる店舗運営に関わる採用がほとんどでした。でも私が興味を持っていたのは豊粼だったので、彼の下で仕入部の一員として採用してもらいました。


長い間、仕入れを担ってきた堀江氏だが、マグロの仕入れを担当するには時間がかかったという(撮影:今井康一)

とはいえ、魚なんか簡単に触らせてくれません。最初は備品や包材、それから調味料やデザートを任されるようになりました。魚の「さ」の字をしゃべれるようになるまでには5年ぐらいかかりました。

それでも重要食材、いわゆるマグロとか鮮魚、コメはやらせてもらえなかった。こういった食材を担当したのは仕入部長になった2012年ごろのことでした。

――商品開発にも携わったそうですが、思い入れのある商品はありますか。

これは私だけがやったわけではないですが、豊粼と一緒になってやった「えびアボカド」ですね。当時、スーパーでアボカドをわさび醤油で食べるという店頭試食をやっていて、アボカドがはやり始めた時期でした。最初はアボカドなんて、と思ったのですが、あまりにも「アボカド、アボカド」って周りから聞こえてくるので、これは何か作るべきと思いました。


スシローの人気商品の1つ「えびアボカド」(写真:スシローグローバルホールディングス)

そこでアボカドを合わせる食材として候補に挙がったのが、マグロ、サーモン、火の通ったえびでした。どれも相性は悪くなかったです。でもえびとの相性は抜群でした。えびはあぶらがのっていないですよね。アボカドはあぶらがあるので、このコントラストがいいと感じました。あと、それぞれの食感が異なるのも、組み合わせとしてよかったと思います。

でも、えびにアボカドをのせるだけでは絶対に売れない。ボリューム感が必要と判断して、玉ねぎをどさっとのせて、そこにマヨネーズをかける。それにわさび醤油をかけると、なんともいえないうまさがありました。でも、えびアボカドを開発する1週間前は「あんなもんなあ」って言っていたんですけど(笑)。

GW前にレポート提出を命じられた

――さまざまな経験をして、今回、あきんどスシローのトップになったわけですが、どういう経緯で社長に就任したのでしょうか。

2019年のゴールデンウィーク前に、ホールディングス取締役陣の私、木下嘉人、新居耕平の3人に対して、(スシローGHD社長の)水留から宿題を出されたんですよ。「『社長になったら』という題名でレポートを書け」と言われたんです。

ゴールデンウィーク後に3人とも提出したら、「こんなんで社長任せられるか」って突き返されました。そんなことがあったので、自分たちが社長になるというのは現実味がなかったんです。私は「ずっとこの先も仕入れをやっていくんだ」と思っていました。結局、突き返されたレポートも再提出しなかったので(笑)。

――それでも2019年9月には堀江さんがあきんどスシローの社長になると発表されました。

言われた瞬間に「ああ、やるんだ」って思いました。それでも最初は実感がありませんでした。発表後、会社に社長就任祝いの花がたくさん来たんです。添えられたメッセージカードを見ると、取引先の水産会社の社長さんから「堀江さんでよかった」という言葉がありました。それを見た瞬間に、職責の重さを感じました。

――社長として、まず何に取り組んでいきますか。

今はちゃんと仕組みが回って、お客さんにたくさん来ていただいています。でも店内調理も多く、店によって品質にばらつきが出る。なぜそれが起こるのか。それはやっぱり基本が教えられないまま、新しい従業員がどんどん入ってきている。やはり、このタイミングで「基本の徹底」ということを、改めてやっていきたい。


堀江陽(ほりえ よう)/1970年3月生まれ。保険会社勤務を経て、2000年にあきんどスシロー入社。仕入部長や商品部長、新業態推進室長などを経て、2019年10月にあきんどスシロー代表取締役社長、スシローGHD取締役常務執行役員(撮影:尾形文繁)

――競合の回転ずしチェーンからは「スシローの期間限定キャンペーンはすごい」との声をよく聞きます。

最近は月に2回のキャンペーンを実施しています。1キャンペーンで大体15〜20品を提供します。仮に15品としても、月に30品、年間で360品。仕入れも大変ですし、それをハンドリングする店舗も大変です。タッチパネルへの情報配信など、いろんなものが絡み合っている。会社が一丸とならないと、こうしたキャンペーンはできません。

他社がまねをした商品を出すと、(スシローGHD社長の)水留からは「まねされるお前が悪い」と怒られます。まねされたくなかったら、まねされないことをすればいい。そういう意味で、会社全体が同じ方向を向くことでできる月2回のキャンペーンは差別化につながっていると思います。

地域限定メニューがあってもいい

――堀江さんが社長になったことで、スシローのすしも変わりますか。

スシローは500店余りのチェーンになりました。当然、日本全国で同じものを売り続けるという形をやっていきますけど、1つやりたいと思っているのは、地域限定みたいなメニューがあってもいいかと思っている。

魚の獲れる量が変わってきている。それに応じてスシローも売り方、売る場所を変えてもいい。500店規模の量は確保できないけど、一定の量があればある地域だけで提供する。ハンドリングは難しいとは思うが、(仕入れ畑の)私がトップになったので、そのような対応ができると思う。こうしたチャレンジが新しい楽しさにつながっていく。