童謡「こいのぼり」にお母さんが出てこないのはなぜ?

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 あす5月5日は「こどもの日」。最近は「こいのぼり」を見かける機会が減ったとはいえ、「やねよりたかい こいのぼり…という童謡を、お子さんと一緒に歌ったりする人も多いのではないでしょうか。しかし、童謡「こいのぼり」の歌詞を見ると、「お父さん」「子ども」は出てきますが「お母さん」が出てきません。実際に掲げられるこいのぼりには、お母さんがいるにもかかわらず、です。一般社団法人日本童謡学会(東京都新宿区)の中沢武之さんに聞きました。

「チューリップ」作詞者の近藤宮子が作詞

Q.童謡「こいのぼり」は、いつできたのですか。

中沢さん「『やねよりたかい こいのぼり』の童謡『こいのぼり』は、正式には片仮名の旧仮名遣いで『コヒノボリ』となります。童謡『チューリップ』の作詞者としても有名な近藤宮子が作詞し、1930年代前半に発表されました。作曲者は不明です。

実は『こいのぼり』と名付けられた歌は、数十曲あります。あの滝廉太郎も作曲しています。その中でも代表的なものが『コヒノボリ』と、『いらかのなみとくものなみ』の『鯉(こい)のぼり』の2曲です」

Q.「コヒノボリ」の歌詞には、なぜお母さんが出てこないのですか。

中沢さん「こいのぼりは、端午の節句に『男の子が健康に過ごせるように』と願いを込めて揚げるものです。男の子の祝い事であることが関係しています。また、曲が発表された当時は、父親が一家の大黒柱という考え方が強かったからだとも考えられています」

Q.そもそも、こいのぼりは最初から現在のような形だったのでしょうか。

中沢さん「江戸時代末期に浮世絵師の歌川広重が描いた『名所江戸百景』には、男の子を意味する黒色の真鯉1匹だけが描かれています。そして、明治時代になると、黒色の真鯉と、赤色の緋鯉(ひごい)の2匹の鯉が対になって揚げられるようになりました。

当時の時代背景は、男性が女性よりも立場が強く、黒色の真鯉はお父さん、赤色の緋鯉は長男として考えられました。そして、第二次世界大戦後、お父さんは真鯉、お母さんは緋鯉、子どもたちは小鯉となり、現在に至っています」

Q.ネット上には「コヒノボリ」の歌詞は1番だけではなく、2番があるとの情報もあります。一般的に1番が最も知られていますが、2番も存在するのでしょうか。

中沢さん「『コヒノボリ』の歌詞は、正式には1番だけしかありません。ネット上では、2番も元々存在するかのように記載しているものがありますが、正しくありません。実は、レコード会社が作詞したと言われています。第二次世界大戦後に童謡ブームが起きたとき、レコード化した『コヒノボリ』も発売されました。そのとき、1番だけだと曲としてはあまりにも短かすぎるということから、レコード会社が付け加えたそうです」

Q.2番の歌詞には「お母さん」が出てきます。それを根拠に「コヒノボリ」にはお母さんも出てくるという声もありますが、違うのですね。

中沢さん「確かに『おおきいひごいは おかあさん』という一節があります。しかし、『コヒノボリ』は正式には1番しかありません。そのため、2番の歌詞にお母さんが出てきても、『コヒノボリ』にお母さんが出てくるということにはなりません」

Q.「3番もある」とネット上には書かれています。これも、レコード会社が付け加えたのですか。

中沢さん「『5がつのかぜに こいのぼり』の歌詞から始まる3番は、『コヒノボリ』が歌い継がれている間に一般の人たちが歌詞を付け足し、それが広まったと言われています。口伝えで広まったので、歌詞の所々が異なるなど複数の歌詞のパターンで伝わっています」

Q.以前よりも、子どもたちが童謡を歌う機会が減ってきていると思われますか。

中沢さん「以前よりは歌う機会は減っているかもしれません。しかし、『コヒノボリ』はこどもの日が近くなると、保育園や幼稚園でよく歌われています。ひなまつりや七夕の童謡もそれらの時期が近くなると定期的に歌われています」

Q.今も子どもたちの間で、しっかりと動揺は歌い継がれているのですね。

中沢さん「日本では、季節の行事ごとにみんなが歌える童謡があります。しかし、海外では、そうした歌はクリスマスくらいしかないのではないでしょうか。童謡が歌われる機会は減っていますが、お正月や節分など行事の歌があって当たり前の日本でそれらがなくなったら…と皆さんに一度想像していただきたいです。童謡を日本文化として今後も残していきたいものです」