バス停でタクシーをつかまえる萩原健一(2019年1月撮影)

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「今までの生き方はジェットコースターみたいだったけれど、今後はメリーゴーラウンドに乗った気分」

【写真】'19年1月、タクシーを呼び止める萩原さん。これが『週刊女性』がとらえた最後の姿になる

 4度目となる結婚を発表した際、そうコメントしていた萩原健一さん。当時、彼は60歳。メリーゴーラウンドは8年でその動きを止めた――。

「3月26日に奥様に看取られながら亡くなりました。病名は『消化管間質腫瘍』。本人の強い希望で病名は公表されていませんでしたが、'11年から長く闘病していたそうです」(スポーツ紙記者)

 『週刊女性』は、萩原さんが亡くなる2か月前、“重病説”を聞き、取材を進めていた。

「以前より痩せていたので、最初はショーケンだとわからなかったんです。病気の人の痩せ方に見えましたね……」

 そう話していたのは、今年はじめに萩原さんと同じ病院に通院していた女性。さっそく本人に確認すべく、今年1月に彼の自宅に行ってみると……。

 自宅から出てきた彼は特に痩せたように見えず、頬などもコケているようには見えなかった。それどころか、眼光も鋭く、いつもの“ショーケン”を感じさせた。お腹に少しの張りは見られるが、立ち姿や歩き方は凛としており、とても“重病”には見えなかった。

 そこで今回、改めて自宅周辺で話を聞いても、

「少し前にもショーケンは自分で車を運転して出かけたり、元気そうだったので、亡くなったと聞いてビックリしています。つい最近も近所のお寿司屋さんに奥さんと一緒に来ていましたし、食が細くなっていたということもなかったと思うんですけどね……」(近隣住民)

 現在の妻である冨田リカも、死の2日前に公式サイトで日記を更新。《私たちはときどき一緒にジムに行くんです》という文面とともに、元気にバランスボールに乗る萩原さんとのツーショットを掲載している。

「本当に亡くなる直前に、容態が急変して入院し、そのまま眠るように息を引き取ったそうです」(前出・スポーツ紙記者)

 冨田と結婚してからは落ち着いた生活を送ってきたが、それまでは波乱万丈だった。

「'75年に『太陽にほえろ!』で共演した小泉一十三(ひとみ)さんと初めての結婚をしてから結婚は4回。小泉さん、いしだあゆみさん、ヘアメイクアーティストの女性と、数年での結婚離婚をくり返しました」(芸能レポーター)

ショーケン伝説

 山あり谷ありは女性問題だけではない。

「大麻所持、飲酒運転、交通事故、映画制作スタッフへの恐喝と、結婚と同じく逮捕も4回。逮捕はされていませんが、倍賞美津子さんとのツーショットを撮影した週刊誌記者とカメラマンに暴行し、書類送検されたこともありました」(同・芸能レポーター)

 『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』などの名作ドラマに出演し、役者として確固たる地位を築きながらも、数多くのトラブルによって“扱いづらい”というイメージも根強くなっていった萩原さん。彼の出演作に携わった制作スタッフの中には次のように話す者も……。

「現場で自分が出ていないときには、本番中なのに大声で話をしたりして困ったことがありました。撮影中のドラマの助監督を全員入れ替えさせたり、自己中心的なイメージはありましたね……」

 しかし、その強い自我は、“よい作品を作ろう”という思いからだったのかもしれない。別の制作スタッフは、

「あるドラマで玉子焼きを作るシーンの撮影があったのですが、そのために卵を100個も買って自宅で練習したそうです」

 そうした真面目さは生来のものか、トラブルにまみれ晩年に身に着けたものか。'16年より大手芸能プロダクションと業務提携をしているのだが、そこでは……。

「ショーケンが大手の芸能プロダクションと提携したのは、忽那汐里さんとドラマで共演したのがキッカケです。忽那さんと個人的にも仲よくなって、彼女のマネージャーが事務所に紹介したんです。

 事務所の中では、反対する声もありましたが、事務所の社長がショーケンに一目置いており、知名度もあるので面倒をみることになりました。

 提携が決まってから、ショーケンはちゃんと事務所スタッフにも挨拶回りをしていましたよ。社長室からほかの部署にも足を運んで、律儀にお礼を言ってまわっていました」(芸能プロ関係者)

 萩原さんは主に映画やドラマで活躍したが、もともとのデビューはグループサウンズ。病気を抱えるようになってから、特に“歌”への思いが強くなっていたという。

「地上波のテレビだと、演技するにしても制限されたりすることもあるので、やはり自分の自由にやれる音楽が本人としても好きだと話していました」(レコード会社関係者)

 '18年には自身のレコードレーベルを立ち上げ、初めて自身が作詞作曲した作品もリリースしている。

「ショーケンにとっては22年ぶりのシングルでした。'17年に行ったデビュー50周年ライブが大盛況で、そこで本人が“もっと音楽をやりたい”“新曲を出したい”という思いになったんです。

 そのことを事務所の社長が酌んでくれて、会社としても後押しをしていました。ショーケンとしては、歌から始まった芸能活動ですから、最後に……という思いもあったのかもしれませんね」(同・レコード会社関係者)

 破天荒さから、人に疎まれもしたが、それ以上に愛された“愚か者”よ、どうか安らかに……。