これがたい焼きの先祖!? 粉もん文化のルーツ「文字焼き」の謎
【第2回】200年前、江戸時代の「たい焼き」の姿
こんにちは。近代食文化研究会です。
たい焼きが誕生した歴史的背景について、文献から紐とく連載「たい焼き誕生史」の続編となります。
前回は、明治30年代に屋台の香具師(やし)によって、亀の子焼や軍艦焼など様々な形をまねた、アンコ入りの焼き菓子が流行したことについて書きました。
たい焼きや人形焼は、その中のバリエーションのひとつに過ぎなかったのです。
屋台で水溶き小麦粉を焼いて、鯛や亀などの様々な形に作り上げ、子どもたちに売る。
たい焼きの原型となる、この種の屋台商売が生まれたのは、今から200年前の江戸においてでした。
これは19世紀初め、つまり今から200年前に描かれた『職人尽絵詞(鍬形螵斎画)』のワンシーン。
髭の男が杓子を使い、白い液体で魚を線画風に描いています。
鳥居のように組まれた棒の下には、完成品である船(宝船?)と魚がぶら下がっています。
子供が「鮒にてこそあらめ」と言っているので、この魚は鮒かもしれませんし、高級魚の鯛を見たことがない子供の、可愛い誤解なのかもしれません。
注釈には「焼鍋」とあり、小麦粉生地で船や魚を形態模写し、鍋で焼くこの職業は、焼鍋と呼ばれていたようです。
こちらは1814年、葛飾北斎の北斎漫画に登場する、同様の職業。
小麦粉生地を焼いて魚などの形態を模写するこの屋台は、やがて「焼鍋」から「文字焼」へと名前が変化します。
1827年の川柳に「杓子ほど 筆では書けぬ 文字焼屋」とあるのが、「文字焼」という言葉の初出です。
明治時代になるとボッタ焼、ボッタラ焼などとも呼ばれますが、一般的な呼び名は、文字焼となります。
1833年の川柳に「文字焼の 鯛も焼物 子の料理」とあるように、文字焼におけるモチーフとして鯛はポピュラーなものでした。また、亀も文字焼の人気のモチーフです。
この絵は幕末から明治にかけての文字焼屋台。鯛らしき魚と、亀の親子がぶら下がっています。
「子供等も 三人寄れバ 文字焼 智恵も進ミて 亀の子を焼」と、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざをもじった説明文もついています。
手前にヘラ(ヘガシ、カエシ)と碗が散らばっていますが、この時期になると職人が焼くだけでなく、子ども自身が鯛や亀を焼いて楽しむようになりました。
こちらは明治28年の雑誌『風俗画報』における、江戸時代の文字焼屋台です。
鯛らしき魚と亀がぶら下がっていますが、魚のヒレやウロコを一枚一枚に至るまで、細かく再現されていることがわかります。
水溶き小麦粉を焼くだけでこれだけの物を作るわけですから、当時の職人がもつ技術力の高さがうかがえます。
雑誌『風俗画報』の説明には「饂飩粉に砂糖を加味して」と書かれており、つまり小麦粉に砂糖を混ぜて焼いているとあるので、文字焼は瓦せんべいやクッキーのような、甘くて固い焼き菓子だったことがわかります。
ちなみに「文字焼」は東京下町の訛りで、「もんじやき」や「もんじゃき」と発音します。
文字焼は、人形焼やたい焼きの先祖であるだけではなく、もんじゃ焼きやお好み焼きの先祖でもあるのです。
ただし、明治時代までの文字焼(もんじやき)は、江戸時代と同じく、甘くて固いクッキー状の菓子でした。
文字焼(もんじやき)がソースやキャベツを使うようになったのは、お好み焼きの影響を受けた大正時代から。現在のような大きいもんじゃ焼きが登場するのは昭和50年代です。
詳しくは、拙著『お好み焼きの物語』を参照してください。
さて、江戸時代の文字焼は、鯛や亀を形態模写するといっても、二次元の平べったいクッキーに似た菓子でしかありませんでした。
これが明治時代になると、三次元に進化し、また小豆餡をはさみこむなど、だんだんとたい焼きに近づいていきます。
次回は その3 明治時代の文字焼 をお届けします。
【トリビア】文字焼の語源は?
考えてみれば「文字焼」というのは変なネーミングです。鯛や亀を形態模写しているのに、なぜ「文字」を「焼」くという名前なのでしょう。
なぜ文字焼というのか、その語源には2つの説があります。
説1.菅原道真起源説
読売新聞明治36年4月30日の朝刊に載っている説ですが、筑紫に左遷された菅原道真が、現地の子供達に砂で文字を書いて教えたことに由来する、という説です。
しかし、文字焼屋が子どもたちに小麦粉生地を焼いて文字を教えるという事例は見つかっていないので、「文字を教える」説はちょっと苦しいかな、と思います。
説2.文字を焼いたから説
画家の伊藤晴雨がとなえている説で、文字焼のモチーフのひとつに「寿」という文字があるので、文字焼と呼ぶというものです。
しかしながら、文字焼で文字を焼くのは例外的なケースで、ほとんどは鯛や亀などの形態模写。なので、この説も苦しいのかな、と思います。
私は、杓子を手に持って文字焼を焼いている姿が、筆を持って文字を書いている姿に似ているので文字焼というのではないか、と推測しているのですが、確たる証拠はありません。
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【出典】
(注1)『世渡風俗圖會』清水晴風著 国立国会図書館所蔵
(注2)『職人尽絵詞』鍬形螵斎画 国立国会図書館所蔵
(注3)『北斎漫画』葛飾北斎画 国立国会図書館所蔵
(注4)『世渡風俗圖會』清水晴風 国立国会図書館所蔵
(注5)『風俗画報』明治28年4月号「市中世渡り種」
(注6)『お好み焼きの物語』文・近代食文化研究会 イラスト・福地貴子
(注7)『江戸と東京風俗野史』伊藤晴雨
*画像の引用に関する責任は、Retty株式会社に存在します