京浜急行電鉄の三崎口駅にある車止め。ここから画面奧へ延伸する構想があった(筆者撮影)

都心の駅の中にも、他の路線と接続しない行き止まりの駅がある。さらに延伸して他の路線と乗り換えができるようになれば便利なのにと思う。中には、延伸の構想や要望はあったものの実現しないまま今に至っているものもある。今回は、そうした中途半端で「残念な」終着駅を挙げてみた。

23区内の行き止まり駅

1)方南町(丸ノ内線支線)

東京メトロ丸ノ内線には、中野坂上から分岐して方南町に至る支線がある。23区内の鉄道空白地帯を少しでも減らすことに貢献してはいるが、何とも中途半端な感じが否めない。


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実際、過去には井の頭線西永福あたりを経由して、さらに延伸する話もあったようだ。ところが、方南町は3両編成の電車しか停車できず、延伸後、増加する乗客を中野坂上で本線の電車に乗り換えてもらうと大混乱に陥るとか、延伸エリアの縄張り調整ができなかったなどのさまざまな要因があって、いつしか構想は具体的な計画に固まるには至らないまま消えてしまったと言われている。


東京メトロ丸ノ内線の方南町駅は近々6両編成に対応する(筆者撮影)

方南町のホームは、近々6両編成に対応するための工事が進められていて、完成すれば方南町発池袋行きの電車も実現する。せめて西永福あたりまで延びてくれれば井の頭線と乗り換えができ、バスに頼らなくても渋谷方面へ抜けられるのだが……。

現状では、方南町からいちばん近い鉄道駅は京王線の代田橋で歩くと20分もかかる。23区内にもかかわらず不便なエリアだ。

2)西馬込(都営浅草線)

中途半端なところで終わっている地下鉄線として、もう1つ都営浅草線の南端西馬込も挙げておこう。浅草線は第二京浜(国道1号)の下を走っているので、そのまま南下することは可能であろうが、1968年に西馬込まで開業して全線開通となったまま、その後の動きはまったくない。

1985年に公開された運輸政策審議会答申第7号には、西馬込から神奈川県方面への延伸が「今後整備について検討すべき」と記されていた。

多摩川を越えて川崎市内へ延びるのかという期待を抱かせたのだが、2000年の運輸政策審議会答申第18号では、都営浅草線の東京駅乗り入れが答申されているものの、西馬込以南への延伸は削除されてしまった。

池上付近は東急の縄張りなので、都心へ乗り換えなしに行ける浅草線ができれば池上線や多摩川線(当時は目蒲線)が大打撃を受けるなどとして反対にあったとも言われているが真偽のほどはわからない。

1駅だけの「盲腸線」

3)大師前(東武大師線)

東武伊勢崎線(スカイツリーライン)西新井から1駅だけ西へ延びる盲腸線の大師線。西新井大師への参詣路線の感があるけれど、実は、環七通りに沿って東武東上線上板橋に至る西板線として計画された路線の一部が先行開業したものだった。


東武大師線の大師前駅に到着する電車(筆者撮影)

線路が直接つながっていない東武伊勢崎線系統と東上線をつなぐ予定だった西板線は、関東大震災の影響や諸々の問題が山積みし、建設に着手しないうちに市街地化が急速に進み工事が困難になってしまった。建設費が高額となったこともあり、延期しているうちに免許は失効、ついに幻の路線となってしまった。

東武鉄道としての延伸は夢と消えたけれど、区部周辺部環状公共交通(メトロセブン、エイトライナー)の構想が持ち上がっている。環七、環八の道路下に地下鉄を通そうとするもので、実現すれば、大師線区間は、その一部になるであろう。まだまだ構想段階ではあるけれど、西板線の夢は遠い将来に叶うかもしれない。

4)光が丘(都営大江戸線)

都営大江戸線の練馬区内の終点光が丘。大規模団地のアクセス路線として機能しているが、さらに延伸する計画がある。練馬区内の大泉学園町を経由して東所沢方面に至るというものだ。

このうち練馬区内の区間については、大江戸線の線路の地上部分となる道路の整備が進みつつある状況だ。すでに具体的な計画は煮詰まりつつあり、西武池袋線の大泉学園駅から北へ2kmほどのところに大泉学園町駅(仮称)をつくる。

さらに、光が丘との間に途中駅として2駅設置予定だ。地元では早期着工の要請活動を進めているので、実現の可能性は高い。23区内では数少ない鉄道空白地帯の1つであるだけに、完成すれば沿線の利便性は大幅に向上するであろう。

郊外の行き止まり終着駅

23区以外の多摩地区、神奈川、埼玉、千葉にも延伸が取りざたされている行き止まり終着駅がある。その現状を見ておこう。

5)唐木田(小田急多摩線)

小田急が多摩ニュータウンへのアクセス路線として建設した多摩線は、1975年に小田急多摩センターまでが開通し、その後、1990年に唐木田まで1駅延伸された。多摩センターまで並走してきた京王相模原線とは分かれ、独自に相模原方面への延長を暗示するかのような唐木田駅設置だった。

2006年に相模原市の在日米軍相模総合補給廠の一部返還が決まったことで相模原市と町田市は具体的な延伸検討に入り、2027年までの実現を目指している。これによると、相模原でJR横浜線と交差し、JR相模線上溝に至るルートが提言されている。決して夢物語ではないが、完成まではどのくらいかかるのだろうか?

6)上北台(多摩都市モノレール)

多摩都市モノレールは、南の終点は多摩センターで京王相模原線と小田急多摩線と接続しているが、北の終点上北台は行き止まりの終着駅である。


多摩都市モノレール上北台駅(筆者撮影)

もともとの構想では、多摩地区を8の字形に結ぶ路線網として計画されているので、南北どちらも延伸できるように造られている。このうち、上北台から箱根ヶ崎までの区間は、東京都が事業化に向けて検討を深度化する路線の1つと位置付けている。

実現の可能性は高いのではないだろうか。多摩地域の市の中で唯一鉄道が通っていない武蔵村山市を通るので、地元では開業が熱望されている。

7)是政(西武多摩川線)

他の西武線とはつながっていない孤立した路線で、他線との接続は起点の武蔵境(JR中央線)のみである。途中で京王線と交差するものの駅同士の距離は離れている。


西武多摩川線是政駅(筆者撮影)

是政は行き止まりの終着駅で、すぐ南を多摩川が流れている。駅前の府中街道を進んで多摩川を渡るとJR南武線の南多摩がある。かつては、右折して北に向かい東京競馬場へ延伸する計画や、多摩川を渡って多摩ニュータウンへ向かう構想もあったが、具体化しないうちに消えてしまった。多摩川の砂利輸送のために開通した路線だが、砂利採取がなくなり旅客輸送のみとなった現在、何とも中途半端な路線として残っている。

8)浦和美園(埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線)

東京メトロ南北線と一体化し、赤羽岩淵以北、浦和美園までの区間が第3セクター埼玉高速鉄道だ。埼玉スタジアム線の終点、浦和美園は車両基地のある行き止まりの終着駅で、さらに北を目指す延伸計画がある。

かなり具体的になっているのが、東武野田線の岩槻までの区間で、これなら野田線沿線からの利用者も見込める。

また浦和美園は埼玉スタジアムの最寄り駅であるが、歩くと15分はかかる。何とも中途半端な距離であり、2020年の東京オリンピックまでに1駅延伸してほしいとの要望が出ている。これくらいは早期実現してもいいのではとも思う。

可能性は限りなく低い…

9)三崎口(京急久里浜線)

京急本線から続く久里浜線の終点で、品川方面からの快特の終着駅だ。


京急三崎口駅の駅名看板。人気の企画乗車券にちなんで「みさきまぐろえき」になった(筆者撮影)

本来は、三崎港まで延伸する構想だったが、三崎港付近の用地確保が困難なことから油壺までとしたものの、環境問題などで難航し、暫定的なターミナルのはずだった三崎口で延伸はストップ。景気の悪化や沿線人口の減少もあって、2016年には事実上延伸を断念することになった。

「みさきまぐろきっぷ」の人気で訪問客が増えているエリアなのにバスに乗り換えなくてはならず、かえすがえすも残念なことである。延伸を見越して造った駅の構造が何とも無念だ。

10)ちはら台(京成千原線)

京成千葉線の延伸区間として開通した千葉急行電鉄は、ニュータウンのアクセス路線としてちはら台まで路線を延ばしたところで経営不振から路線を京成電鉄に譲渡し、京成千原線となった。もともとは小湊鉄道が免許を持っていた路線なので、最終的な終点は小湊鉄道の海士有木(あまありき)である。


小湊鉄道の海士有木駅(筆者撮影)

しかし、バブル崩壊、景気の低迷、少子化などで沿線人口は増えず苦しい状況である。海士有木までの事業免許はまだ生きているものの、2019年10月には着工期限を迎える。正式に断念するのかどうか発表が待たれるが、可能性は限りなく低いと言わざるをえない。

首都圏にある行き止まりの終着駅は、壮大な構想の挫折によりやむなく終点となったものが多く、わずかな計画を除いてこのままの状況が続きそうだ。何とも残念なことである。