翻訳者が語る「ハリポタ・ファンタビ」の魅力
「ハリー・ポッター」の小説版すべてを翻訳し日本に紹介した松岡佑子氏。彼女から見た、“魔法ワールドの魅力”とは (撮影:尾形文繁)
1997年、当時無名だった作家J.K.ローリングが執筆した「ハリー・ポッターと賢者の石」。ついには7冊のベストセラー小説と全8作の大ヒット映画により、世界中でポッタリアンと呼ばれる熱狂的なファンを獲得した人気シリーズだ。
その小説版をすべて翻訳、日本に紹介したのが、静山社の社長で、翻訳家の松岡佑子氏である。「ハリー・ポッター」が氏にもたらしたものは何なのか。そして英語を学ぶ秘訣とは何か、さらにはシリーズ最新作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』についても話を聞いた。
――松岡さんは翻訳家であると同時に、「ハリー・ポッター」魔法ワールドの出版社の社長という立場でもあります。紙媒体でやっていくことが難しい時代に、「ハリー・ポッター」を大ベストセラーに導いてきました。これは本当にすごいことですよね。
それは「出版とは何か?」という定義の問題にもなってきます。情報を発信するのであれば紙媒体でなくても良いわけですが、古い人間はやっぱり紙媒体にこだわるんですね。本には手触り、見開きで読む感覚など、電子媒体にはないものがあります。とはいえ、世の中の要望に応えないといけないなとは思っておりますが。
――「ファンタスティック・ビースト」シリーズの最新作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が、11月23日に公開されます。
私も早く見たいんですよ。一般に公開されている特報は見ていますけどね(編集部注 取材時には映画未完成のため、松岡氏は最新作をまだ見ていない)。
翻訳者も事前に内容を知ることができない
――松岡さんもそこまでしか知らされていないのでしょうか。
一般の方と同じなんですよ。ハリー・ポッターシリーズのときだって、英語版が出版されるまで内容は全然知らされてなかったから、驚く話ではないんですけどね(笑)。最後まで何もわからないっていう状態には変わりはありません。
――出るまで明かさないというのは、J.K.ローリングさんのスタイルなのでしょうか。
ローリングさんの方針でもあるんでしょうけど、ビジネスのアプローチとして、グループ全体がそういう方針に賛成しているんだと思います。でも、もしかしたら本当にギリギリまでできていないのかもしれませんよ(笑)。
――翻訳家の方にまで見せないというのは徹底していますね。
本のときは英語のタイトルだけは明かされていました。それ以外は表紙も明かされないし、内容もわからない。タイトルの意味さえ教えてもらえなかったです。「はい、これですよ」と来るのは、イギリスで発売になってから。翻訳作業はそれからです。第7巻が発売されたとき、私はドイツにいたのですが、そこで英語版を手に入れて、空港で荷物を受け取る間に必死で読みました。
今回の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』で、主人公・ニュート(エディ・レッドメイン)のトランクにどんな魔法動物が収まるのかも見どころだ©2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R.
――松岡さんでさえもそういう状態なんですか。
いつだってそうでした。だから、ギリギリまで中身がわからないというのは、目新しいことではないんです。でもだから、早く見たいという期待感は普通の人よりも強いですね。なにしろ翻訳をしなきゃいけないので。
――新シリーズの映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年公開)はご覧になったときはどう思われましたか。
原作は書籍の物語でなく、初めからスクリプト(脚本)なんですよ。ローリングさんの映画脚本家デビューですから。そのスクリプトを見たのは、確か映画公開と同時くらいだったと思います。これもやっぱりギリギリまで見ることはできなかった(笑)。
ローリングさんの想像力は本当にすばらしい
――やはり同じタイミングなんですね。
映画は非常によくできていたと思います。彼女の想像力は本当にすばらしいと思いました。舞台としては「ハリー・ポッター」よりも前の時代で、場所もニューヨークなので、まったく違うものとして観ることができたんですけども、ハリーの世界につながるいろんな筋が見えてきて、懐かしかったですね。
まったく新しい世界といっても、実はこの本はすでにハリーの物語の中に登場していたんです。『Fantastic Beasts and Where to Find Them(幻の動物とその生息地)』という本が。著者はニュート・スキャマンダーで、ホグワーツの指定教科書として出ていたんです。それは物語ではなく動物図鑑みたいな形でした。それが生き生きとした映像になって、その著者が物語の主人公になるというのは、また世界が広がった感じがしましたね。「こういう人物だったのか」という感じで。
――それでは最新作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』について期待されている点はありますか。
今回は特報でも明らかなように、(ジョニー・デップ演じる)黒い魔法使い・グリンデルバルドがすいぶん大きな役割を果たしますよね。(ジュード・ロウ演じる)タンブルドアも主要な役割を果たしていると思います。
今回の2作目でどれくらいまで物語が展開するかわかりませんが、5作で完結するこのシリーズの中で、グリンデルバルドとタンブルドアの確執がどうなるのか、そしてその中に割って入るニュート・スキャマンダーが今回はどのように活躍するのか気になります。
あとは、また動物がいろいろ出てくるはずなので楽しみです。5作までの筋がわかっていればうれしいんですけどね。残念ながらまだ2作目のあらすじさえわからない。登場人物はもう発表されていますから、こういう登場人物で何が展開するんだろうという想像はできますけどね。
今回の作品で、ティナ(写真左、キャサリン・ウォーターストン)とニュートとの関係に進展があるのか? というのも気になるところだろう
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――書籍の「ハリー・ポッター」シリーズは7巻あり、映画版も8本作られました。一方、映画「『ファンタスティック・ビースト』」シリーズは、5作品作られることが当初から発表されていましたが、新シリーズが始まると聞いたとき、どんな感想を持ちましたか。
あと5年は生きなきゃいけないと思いましたね(笑)。でも「ハリー・ポッター」のときも、本当は7年で終わるはずが、結局10年かかっているんですよ。「ハリー・ポッター」が出ない年は、出版界全体の売り上げが落ちるほどのブームでしたからね。
私自身は(「ハリー・ポッター」シリーズの)第7巻の翻訳が終わったら引退だと思っていたんです。でもそのすぐあとに『吟遊詩人ビードルの物語』(「ハリー・ポッター」シリーズの第7巻に登場する童話)の出版があって。これが7巻目と同年に刊行されて、休む間もなく翻訳しました。その後もしばらくは、関連の仕事が続きました。
ここまではずっと離れずに「ハリー・ポッター」の世界に浸ったままでいたんです。それから後は完全にお休みかと思っていたら、今度は『ハリー・ポッターと呪いの子』という舞台があって。その舞台脚本も出しました。そしてその後にこの映画ですから、切れ目を感じないままできました。でも嫌ではないです。この世界は好きですから。
次から次へと読みたくなる気持ちにさせてくれる
――松岡さんは「ハリー・ポッター」のどこがお好きなのですか。
私は物語から入った人間なので、映画とはまた違った感激がありました。そもそもこんな物語は読んだことがなかったです。クリエイティブな物語でありながら、描かれているのは、まったく人間の世界なんですよ。
魔法使いと言っても、人間の喜怒哀楽が出てきて、本当にホロリともさせられるし。なるほどと思えることもある。ローリングさんって本当に頭の良い人だなと思います。物語の世界が非常に目新しくて、私も相当本を読んできた人間でしたが、それでもこれまで見たことがない世界が広がっていました。
それとユーモアのセンスが全体に感じられて、読んでいて飽きないんですよね。展開も早くて、ページをめくるのがもどかしいくらいに、次から次へと読みたくなる。1章終わるたびに次の章が読みたい。1巻終わるたびに次の巻が読みたいという気持ちにさせてくれます。
物語の展開が楽しかっただけでなく、決して中だるみのないピーンと張り詰めた魔法の世界がありました。ほかには考えられないような、濃密な10年間を過ごさせてもらいました。翻訳は大変だったですが、楽しかったです。
――映画版はどうご覧になっていましたか。
「ハリー・ポッター」の映画は、まずほかの翻訳者が訳した字幕と吹替えを、私が監修しました。本に使った特殊な用語と齟齬(そご)が生じないよう、さらに全体に誤解が生まれないように気をつけて監修していました。
映画作品はどれも原作に忠実だと思いました。でも、原作に忠実だということは、相当割愛しないといけないということでもあります。あれだけの長い物語を2時間かそこらの映画に入れ込むのは無理ですし、映画の魅力はやはりアクションですから。心理描写とかそういうことは役者さんの表情でやるほかない。物語の場合は、「のめりこんで自分で想像しながら見る」、映像の場合は、「映像に引き込まれて、吸い込まれて、その世界の中で遊ぶ」という意味で違った楽しみ方ができると思います。
ハリー・ポッターと出会えたのは“魔法”のおかげ
――第1巻の発売当時はローリングさんも無名でしたし、松岡さんの静山社も小さな出版社だったそうですが。運命的な出会いがあって、ここまでやってきたのだと思います。そうした出会いはどんなアンテナを張っていればつかむことができるのでしょうか。
出会いの機会はたくさんあると思います。毎日、何百、何千という出会いをしている中でピンと引っかかるものがあるのは、こっちに受け入れる素地というか、自分に求める素地があるからだと思うんですね。
当時、前の主人が肺がんで亡くなって、出版社を引き継ぎました。しかし、どうしていいかわからない。何か出版しなきゃいけない。でも何を出版したらいいのだろうか?と、作品を探し求めていたときに、仲のいいアメリカ人の友だちが『ハリー・ポッターと賢者の石』を見せてくれたんです。
イギリス版の最初の表紙は簡素なものだったので、最初は「こんな本が売れるかな?」と思いながら読みましたが、読んでみたら「ビビビ」っときた。そして「今度その著者にぜひ会わせてくれ」と言って、ローリングさんと会った。その時、お互い非常に響き合うものを感じたというのは確かです。
「求めよ、さらば与えられん」ですね。求める気持ちがなければ、どんな出会いも出会いになりません。私はそう思います。
公開初日からの3日間で早くも動員100万人を突破。この冬の大ヒット作のひとつとなっている©2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R.
――仕事をしたいという思い、情熱のようなものが重要だと。
ええ。「ハリー・ポッター」では、「何かいい本がほしい」というときに出会ったものがたまたま琴線に響いたわけです。運命的な幸運もあるでしょう。ほかの本を紹介されていたら、そういうふうには思わなかったかもしれない。
たまたまそのときは、イギリスでそこそこ知れ渡っていて、アメリカに版権が売れたくらいの時期だったので、日本の出版社もこんな本があることをよく知らなかった。日本で発売したのは1999年の12月でしたが、出す直前まで日本では誰も騒いでいませんでした。ローリングさんがまだ無名の作家で、しかも処女作であったということもラッキーでした。出会えたのはたぶん魔法だったのではないかと思っています(笑)。ちょうど夫が亡くなって1年目で出会い、2年目で出版しました。だから天国の夫が贈り物をしてくれたと、いつもそう感じています。
――「ハリー・ポッター」の書籍で英語を勉強したという人の話をよく聞くのですが、松岡さんはどう思われますか。
「あの物語があまりにも面白いから、どうしても原作を読みたくなって原書を読んだのですが、それも日本語版があったおかげで読めました」といった話をたくさんいただきました。さらに日本語版を読んで、「翻訳家になりたいのですが、どうやったら翻訳家になれるでしょうか」と、質問される方もたくさんいました。その意味では英語に興味を抱かせる道筋を作ったかもしれません。
英語がよくできる人の中には、原書を読んだ後に日本語版を読んだという人もたくさんいると思います。そういった人たちが日本語版を読んでがっかりしなかったというのがとてもうれしくて。むしろ日本語版のほうが面白かったと言ってくださった方がいたぐらいでした。そんなに脚色した覚えはないですが。母国語ですっと入ってくることによって、違った感覚で読めたんでしょう。
それから内容的にはズレがなかったと。まるっきり英語と同じ内容でも、日本語のほうがピンときて面白かったという人もいました。それは翻訳者冥利で、よかったなと思います。
英語が上達するには時間をかけるしかない
――英語が上達するコツはありますか。
やはり時間をかけるしかないですね。
――時間をかけて読むということですか。
読むことは大事です。でも皆さん、大人になってから、英語がしゃべりたいと思ったらまず英会話学校に通うと思います。それでそこそこ上達できますが、それでは文化を学ぶことにはならないし、もっと深く学ぶことは難しい。英語の上達は、やはりかけた時間に比例すると思うんですね。だからたくさん読まなければならないですし、たくさん聞かなければなりません。
松岡 佑子(まつおか ゆうこ)/同時通訳者、翻訳家、静山社社長。1966年国際基督教大学卒、1998年静山社社長に就任。1999年の『ハリー・ポッターと賢者の石』を皮切りに「ハリー・ポッター」シリーズ全7巻の翻訳を手掛ける。『ハリー・ポッターと私に舞い降りた奇跡』などの著書も (撮影:尾形文繁)
静山社でもスタッフに英会話教室を提供しています。入口として英会話は良いと思います。でも、英語で身を立てようと思ったら、会話は導入部にして、たくさん読んで、たくさん聞いて、年月をかけるほかありません。
私は12歳の中学生のときから学んで、いまだに学んでいる状態です。今はオーストラリア人と結婚していますが、いまだに彼に文章を直してもらっていますし、「英語のこの表現を知っている?」と聞かれても知らないことがあります。日本語でも間違って覚えていたり、知らない日本語があったりしますけど、日本語はネイティブですから、英語よりはまだましでしょう。
ワインと同じで、熟成しないと英語にはなりません。幸運な人は、外国に行く機会があったり、両親の関係でそういう環境で育ったり、バイリンガルの両親だったりすると、苦労せずに頭に入ると思います。しかし、普通の日本人が学ぼうと思ったら、たとえ小学校から英語を学んでいても、それだけではものにならないと思います。やっぱり熟成の時間ですね。