まぼろしの「博物館動物園駅舎」復活の舞台裏
6月19日、東京・上野の旧博物館動物園駅が21年ぶりに内部公開された(編集部撮影)
梅雨真っただ中にもかかわらず晴れ上がった6月19日、長い年月閉ざされていた京成電鉄「旧博物館動物園駅」の扉が21年ぶりに開かれた。
博物館動物園駅は1933年、京成本線・上野―日暮里駅間の開通とともに開業し、東京国立博物館・恩賜上野動物園・東京藝術大学の最寄りの駅として長年親しまれてきたが、近年の利用者の減少により1997年に営業休止、2004年には廃止となった駅舎である。
東洋経済オンライン「鉄道最前線」は、鉄道にまつわるホットなニュースをタイムリーに配信! 記事一覧はこちら。
かつて筆者は東京藝大にあこがれていた美術系志望の高校生であった。美大芸大専門の予備校に通い、現役藝大生の先生にデッサンや色彩構成を教わり、芸術祭(文化祭)の日には呼んでもらって少しの夜更かしを楽しみ、期末テストで午前中上がりの日には制服のままもぐり込んで藝大の学食でランチなどご馳走になったものであった。
そんな時「もし東京藝大に通える日が来るとしたら、歩くのが遅い自分はきっとJR上野駅から京成本線に乗り換えて、この博物館動物園駅を利用するのだろう」と甘い妄想を抱いていた。そして歴史ある東京藝大最寄り駅にふさわしい荘厳な建物を見ては、大学に抱くあこがれをそのまま駅にも持ち続けていた。
残念ながらその後、東京藝大に通う日々が訪れなかった筆者は、博物館動物園駅を利用することなく月日が過ぎ、この日初めて幻の駅舎の中に入ることになったのである。
「駅舎の跡地」となって21年
駅舎に入ると、表から見えていた特徴的なデザインの駅舎にふさわしく高くラウンドした天井が迎えてくれた。自動改札はなく、改札ラッチは木製。駅員室には当時、使われていたままの機材が残され、壁には藝大生が描いたともいわれる巨大なペンギンがぼうっと浮かび上がる。
当時の改札が残されている(編集部撮影)
東京藝大の学生が描いたと伝えられるペンギンの絵(編集部撮影)
営業休止したのはわずか21年前にもかかわらず、さらに昔にタイムスリップしたように感じるのは、旧博物館動物園駅が開業以来大掛かりな改修工事をせず、昭和初期の雰囲気をずっと保ち続けていたからであろう。
そんな古き良き時代の香りをまとったまま現代に出現した旧博物館動物園駅は、東京藝大とのコラボにより、アートスペースとして復活するという。廃校となった小学校を使った美術館やワークショップスペースは聞くことがあるが、廃駅をアートスペースにという話はあまり聞かない。
東京都選定歴史的建造物に認定された
実際に利用されていた駅が、入り口に掲出されるレリーフ「博物館動物園駅跡 京成電鉄株式会社」という言葉のとおり、「駅舎の跡地」となって21年。以来、固く閉ざされていた扉が、このような形で外に向けて再び開かれることになったキッカケは、鉄道施設として初めて東京都選定歴史的建造物に認定されたことであった。
この「扉」を開くキーマンとなった京成電鉄・鉄道本部計画管理部の林祐悟、伊藤隆広、そして東京藝術大学特任准教授の伊藤達矢、同社会連携課 の丸山依子の4人に、話を聞くことにしよう(所属・役職は2018年6月現在)。
まずは、東京都選定歴史的建造物に選ばれるほどの、重厚かつ繊細なデザインについて質問してみる。すると京成電鉄の林が少し誇らしげな様子で答えてくれた。「この美しさには理由があるのです。建設当時、駅の敷地は皇室財産の御料地でした。そのため、御前会議が開かれ、御料地の雰囲気を壊さぬようなデザインを願われたのです。その気持ちにお応えしたのが、あの博物館動物園駅なのです」。
当時の切符売り場(編集部撮影)
さらにデザインの話から、東京都選定歴史的建造物に認定された背景について話を続ける。「もともと3年前の秋ごろ、東京都の景観審議会から、『旧博物館動物園駅をノミネートしたい』という問い合わせをいただいたのが始まりでした。自分たちとしては、確かに古く歴史ある建物ではあるけれど、廃駅となってからの長い月日の中で避難用施設というとらえ方のほうが強くなっていたので、正直言って驚きました」。
ちょうどその頃、京成電鉄の伊藤は、上野を中心として京成電鉄の魅力を向上させていくプロジェクトを担当者として任され、「緑や文化との融合」をコンセプトとした京成上野駅リニューアルの実施を計画していた。これを機会に、上野の方々と連携した取り組みをしたいと考え、そのディレクションを東京藝大に依頼した。
東京藝大の伊藤が後を続ける。「折も折、私たちも2020年オリンピックパラリンピック開催に向けて、上野を文化藝術の拠点にしていきたい、そんな思いで、文化庁や東京藝大などが発起人となって、『上野〈文化の杜〉新構想推進会議』を立ち上げていたのです。そのような時にいただいたお話に対し、当校美術学部長の日比野克彦から旧博物館動物園駅の改修と活用も行ってはどうかと、逆提案がありました」。
ぜひ、京成上野駅だけではなく上野恩賜公園を中心とした上野の山エリア全体の魅力向上にかかわってほしい。京成電鉄の文化資源である「旧博物館動物園駅」を活用して新構想に連動させていきたい。東京藝大の伊藤は京成電鉄の伊藤にそんな思いをぶつけたという。
歴史的建造物の扱いは一筋縄でいかない
そこから2人の伊藤のキャッチボールが始まった。 一度は休止、そして廃止され、今では避難用施設になっている駅施設をもう一度、復活させるのは大ごとである。さらに歴史的建造物の扱いは難しい。何か動かそうとしたら、大きく動いてしまう。線路は通っている。駅舎も現存している。しかし、どうも一筋縄でいかない気がする。
京成の伊藤は考えた。 鉄道会社は、駅を造り電車を走らせ、お客様を輸送するだけではなく、沿線のお客様が豊かな生活を送れるような文化を創っていくことも使命なのではないか。旧博物館動物園駅の活用、これは、やるべきだ。
当時の時刻表(編集部撮影)
2人はとにかく具体的なプランを考えることにした。まずは、必ずしも実現できるわけではないが、こんな可能性も秘めているという想定プランのやり取りを何度もした。そして、自治体との協議、京成電鉄は安全面の検証……。その中でお互いの中でイメージが共有でき始めた。担当者とのやり取りの中でこのようなイメージの共有はとても大切だと東京藝大の伊藤は言う。「この共有ができないと話が頓挫することが多い。ほとんどの話が消えるタイミングというのは、そういうことが多いと思う。具体性が見えないから話が消えてしまう」。
そんな時間を経て、出来上がった旧博物館動物園駅の具体的なプランを京成電鉄社内でプレゼンした。社内から「こんなことができるのか」と、どよめく声も上がった。そして内部を見学した日比野の口から出た言葉「熟成されたワインのような駅」にも背中を押してもらい「(日比野さんに)そこまでおっしゃっていただけるなら、何かしらできることをやっていこうじゃないか!」と、ついに会社からGO!が出た。
営業休止直前に利用を惜しんで書いたとみられる利用者の落書き(編集部撮影)
そして、2014年6月26日、東京藝大と連携協力に関する包括連携協定を結ぶ。藝大の丸山がうれしそうに教えてくれた。「東京藝大が企業と包括連携協定を結ぶのは初めてなのです」。
京成電鉄は沿線エリア東京千葉茨城の魅力向上を図るため、東京藝大のアートの力を借り、そして東京藝大はアートの実践の場として活用する。 固く閉ざされていた駅舎の「扉」を開いたのは、アートという「鍵」であった。
東京藝大の伊藤は語る。「これは本当に価値があるものなのかな?と思ったとき、人とのコミュニケーションの中で価値を探ってみると、意外と誰かにとっての思い出の場所だったり、地域にとって大事なものだったり、別の角度からの魅力を見せてもらって、価値に気づく。それがアートの力だったりするのです」。
旧博物館動物園駅の駅舎と復活に尽力した4人(筆者撮影)
今後、旧博物館動物園駅はどんな活動の場となるのだろうか。 秋の公開に向けて内部を改修中だが、外に向けた扉には、日比野のデザインした9つのレリーフが採用されるという。このレリーフには、上野の文化・芸術施設をモチーフとしたデザインが施されている。 閉ざされていた鉄の扉を、いかに外に向けて開いていくか、数々のアイデアが出た。やっていないときも、外に開いている状態にしたい。そこで上野になじみがあるイメージを扉で発信することにした。
上野公園の集積する9つの文化・芸術施設をモチーフにデザインしたものだ。東京藝大の伊藤がマネジャーを務める「Museum Start あいうえの」が親子向けにミュージアム・デビューを促進するプログラムでは缶バッジラリーにも使用され、2018年までに累計1万人以上の子どもが目にしているデザインが扉に刻印される。
新たな文化拠点としての役割
上野恩賜公園から訪れたファミリーが、または谷中から来た観光客が、そのデザインを目にすることによって、新しい上野のランドマークになってくれたらと、皆が目を輝かせる。
「旧博物館動物園駅は、われわれがアート・クロスと呼んでいる交差点に存在するのです」 東京藝大の伊藤が言う。
旧博物館動物園駅の対面に昔の東京音楽学校奏楽堂、藝大側のへりには黒田記念館、そしてもう少しでオープンする国際藝術リソースセンター(IRCA)という芸術の重要な拠点が連なる交差点だ。単なる上野恩賜公園の隅ではなく、谷根千(谷中、根津、千駄木)、日暮里方面と上野公園をつなぐポイントとなり、新たな文化拠点としての役割を期待したい、と続ける。
京成電鉄の伊藤も語る。「上野は成田空港とスカイライナーでつないでいる東京の玄関口です。海外から来たお客さまが成田空港からまずはスカイライナーに乗って上野から東京の旅をスタートする、その扉となりたいのです」。2020年のオリンピックパラリンピック開催に向けて、日本へのインバウンドが大きく見込まれる昨今、外国人観光客の好むほかの街とは一味違うクラシカルな文化的イメージを、旧博物館動物園駅が少しでも担っていけたらと思っているという。
旧博物館動物園駅は、駅としての役割は終わったが、今度は新しい文化を創る場として、再出発させたい。そんな思いを抱いている。 鉄道会社と芸術大学。この2つの思いがクロスすることによって、20年間閉ざされていた門が今、開こうとしている。秋の本格始動が楽しみでならない。(文中敬称略)