NHK取材班『なぜ、わが子を棄てるのか 「赤ちゃんポスト」10年の真実』(NHK出版新書)

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東京都目黒区で船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)が死亡し、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された事件。このあまりにも残酷な事件は、どうすれば防ぐことができたのか。新刊『なぜ、わが子を棄てるのか 「赤ちゃんポスト」10年の真実』を刊行したNHK出版編集部による特別寄稿をお届けしよう――。

■なぜ結愛ちゃんの命を救えなかったのか

2018年6月6日、警視庁は保護責任者遺棄致死の疑いで目黒区在住の33歳の父親と25歳の母親を再逮捕した。またしても尊い一つの命が、大人の手によって奪われた。

翌朝のワイドショーで、コメンテーターの一人が「父親が子どもにしたことと同じことを父親にしてやればいい」と語った。多くの視聴者が、その言葉に共感したに違いない。しかし、忘れてはならない。悪魔のような親を断罪するだけでは、子どもの命は決して救えないのだ。

命を落したのは5歳の結愛ちゃん。死亡時の体重は平均体重を大きく下回る12.2キロだったという。両親は十分な食事を与えず栄養失調状態に陥らせたにもかかわらず、医療機関で受診させることなく放置。典型的な育児放棄(ネグレクト)の結果、小さな命が消えていった。

結愛ちゃんが残したノートには、次のように書かれていたという。

ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうまでぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったい やらないからね ぜったい やくそくします

「愛を結ぶ」。生まれたあと、そんなかわいらしい名前をもらった女の子は、大好きだったパパとママに殺されてしまった。それは一体なぜなのか。

児童相談所や警察だけの責任ではない。この問題は私たちすべての大人にも責任があるはずだ。

今回、香川の児童相談所(以降、児相)が二度も結愛ちゃんを保護していたにもかかわらず、情報を引き継いだ品川の児相では踏み込んだ対応ができず、取り返しのつかない事態を招いた。児相の対応を非難する声は大きい。

だが、全国の児相では、多くの担当者たちが昼夜を問わず、子どもたちを守ろうと必死に働いているという。児相への虐待相談件数はこの数年急速に増えている。また、彼らは虐待問題だけを扱っているわけではない。さらに数年で部署異動があるため、専門性の構築や長期間にわたる家庭の見守りは難しい状況にある。問題を抱える親子をサポートするには、何が必要なのだろうか。

■なくならない育児放棄や児童遺棄

NHKは、熊本市に設けられた日本初の赤ちゃんポストを10年にわたって追い続け、その姿を伝えてきた。2015年4月放送の「クローズアップ現代」では、実際に預け入れられた子どもに報道機関として初めてアプローチ。10代に成長した少年の生の声を届け、全国に衝撃を与えた。

今年5月、取材班は番組の内容を『なぜ、わが子を棄てるのか 「赤ちゃんポスト」10年の真実』(NHK出版新書)にまとめた。結愛ちゃんの事件を悲しむだけでは、事態はよくならない。なぜそう言えるのか。ここで本書の一部を紹介する。親を罰するだけでは、虐待はなくならないのだ。

※以下は、NHK取材班『なぜ、わが子を棄てるのか 「赤ちゃんポスト」10年の真実』(NHK出版新書)を再編集したものです。

■虐待相談件数は12万2578件で過去最高を更新

赤ちゃんポストは日本で唯一、罪に問われずに子どもを棄てることのできる場所だ。

この日本にたった一つの、それも一民間病院がつくったポストは、育児放棄や児童遺棄から「命だけは救いたい」という思いで設置された。

「命の救済」か、「子棄ての助長」か、といった議論がなくなることはないが、最後のとりでとしてポストにたどり着いた人たちを救ってきたといえるだろう。

では、虐待は減っているのだろうか。次のグラフを見てほしい。児童虐待の増加は深刻さを増している。

2016年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待は、12万2578件(速報値)と、過去最多を更新。虐待によって死亡する子どもも後を絶たず、生まれて間もない新生児が死亡するケースも目立つ。

昨年6月に放送されたNHK「クローズアップ現代+」に出演した映画監督・是枝裕和氏は、倫理感や責任感の欠如と思われるポストへの預け入れがあるという事実を踏まえた上で、次のように語った。

「家族という共同体からも地域からも孤立している母親に対して、『しっかりしろ』と言うだけでは、これらの問題は何も解決しない」

是枝氏が監督を務めた映画「誰も知らない」は、巣鴨で実際に起きた置き去り事件を題材にした作品だ。4人の子どもをもつシングルマザーは、パートをしながら子育てをしているが、ある日、恋人をつくりアパートに戻らなくなり、放置された子どもたちのサバイバル生活が始まる。

実際に起きた事件は子どもが5人いて、映画で描かれたよりもずっと悲惨なネグレクト状態であったという。しかし、是枝氏は、この映画の中で子育てを放棄する母親を裁こうとしているわけではない。「教育が受けられない、生きるための正確な情報が得られない、家族や地域から見放された」彼女に、手を差し伸べられなかった現代社会を描いているのではないだろうか。

■急増する子育て困難者

三菱UFJリサーチ&コンサルティングによる「子育て支援策等に関する調査 2014」の「子どもの育ちと子育て環境」の項目内にある調査結果を見てみると、明らかに地域の中での子どもを通じた付き合いが減少したことが読み取れる。

2002年では「子ども同士遊ばせながら立ち話をする人がいる」と答えた人は81.0%であったが、2014年は47.5%と激減。「子どもを預けられる人がいる」と答えた人は57.1%から、27.8%と同様に大幅に減少している。

特に近所づきあいが希薄な都市部では、地域ぐるみで子どもの成長を見守るという状況はなくなり、孤独の中で子育てと向かいあっている人たちが増えている。かつて、セーフティネットの一つとして存在した地域における共同体は、もはや機能しなくなったといえるだろう。

このように人と人とのつながりが急速に失われていく中、親子を支援するための機能的な仕組みを早急に構築しない限り、子育て困難者は増えていくばかりで、子どもを虐待したり遺棄したりする人はいなくならない。

■強すぎる親権問題、進まぬ特別養子縁組

今回のケースのように子どもを虐待死させてしまう親がいる一方で、子どもを望むカップルはごまんといる。しかし、日本では血縁関係を重視する家族観が邪魔をして、特別養子縁組がなかなか広まらない。 

養子縁組を前提とした「養子縁組里親」や、子どもを一時的に家庭で育てる「養育里親」、複数の子どもを家庭に受け入れる「ファミリーホーム」の数は、全国的に増加傾向にあるものの、厚生労働省によると、親のいない子どもや虐待や貧困などで家庭的な養護が必要だとされる子どもは、およそ4万6000人にのぼる。  

このうち、里親の元で暮らす子どもは6000人。特別養子縁組の成立件数は、ここ5年間の推移を見ても、毎年わずか500人程度にしかすぎない。施設で暮らしている子どもは3万人以上と実に全体の8割近くにのぼり、里親に引き取られて暮らしている子どもは一割にしか満たない。

その原因に、強すぎる親権の問題がある。日本の民法で定められている親権は、未成年の子どもを育てるために親がもつ権利と義務のことで、子どもの養育、教育やしつけ、それに住まいや財産を管理するといったことが含まれている。

一方、しつけと称して子どもに暴力を振るったり、育児放棄や遺棄したりすることは児童虐待にあたり、親族などが家庭裁判所に申し立てれば親権を取り上げることができる「親権喪失」と呼ばれる制度もある。

しかし、親から親権を奪うと無期限にその権利が失われることになるため、多くの児童虐待の現場では、親子が再統合できなくなるおそれがあると判断し、「親権喪失」の申立てはほとんど行われていない。

■緊急時の親権について、明確なルールがない

こうした中、国は子どもの安全を守るために、2011年、親権に関する法律を改正。無期限に親権を取り上げるのではなく、虐待や育児放棄をした親の親権を一時的に停止するという新たな制度を設けた。親権を停止する期間は最長で2年。その間に、親の問題行動や養育環境を改善させ、再び親子がともに暮らせるようにすることがこの改正法のねらいだ。

最高裁判所の統計によると、2011年までに申し立てのあった「親権喪失」の件数は、150件前後にとどまっていたが、民法の改正以降、申し立てが倍増、2016年には316件の親権の一時停止の措置が取られている。

子どもが虐待を受けたり、育児放棄や遺棄されたりした場合の親権の取り扱いについて、明確なルールが設けられている国も多い。

日本では、なぜ同じことができないのか。

親権をめぐる問題に詳しい弁護士で、NPO法人児童虐待防止協会の理事を務める岩佐嘉彦氏は、こう指摘する。

「親権を一時的に停止し、子どもを安全な場所に保護できる制度ができたとしても、裁判所が親権を奪ったり、制限したりすることに躊躇するケースも多くあります。子どもの命を守るための制度自体は一歩踏み込んだものになりましたが、現場ではあいまいなまま進められているのが現状です」

このように我が国の児童福祉に関する制度や仕組みは、決して十分だとは言える状況ではない。子どもの視点に立った福祉改革をすぐにでも実行に移さなければ、また同じような事件が繰り返されるであろう。

※ここまで書籍の内容を再編集したものです。

■親たちに適切な治療を施さなければ、同じことを繰り返す

結愛ちゃんは顔や太ももにあったアザについて聞かれたとき、「父親に蹴られた」と答えたという。これは明らかに虐待である。父親は病んでいる。この状況を見過ごしていた母親も同様だ。子どもを引き離して、親たちに適切な治療を施さなければ、同じことを繰り返すことは明らかだった。

子どもをもうけて親になったからといって、すべての親が子どもに十分な愛情を注げるとは限らない。幼少期に愛された経験のない人は、親になってからもわが子を慈しむことができないことがある。また経済的にも精神的に追い詰められた環境で、子どもを育てるよりも、自分たちが生きることを優先する大人たちも存在する。

児相や警察の対応に問題がなかったとはいえないだろう。しかし、このような問題を抱える大人たちも同時に救うことを考えていかなければ、子どもの命は守ることはできないはずだ。

強者である大人によって弱者である子どもの命が葬られるようなことは、決してあってはならない。この悲惨な出来事を機に、児童福祉に関しての社会の関心が高まることを願ってやまない。

結愛ちゃんのご冥福を心よりお祈りする。合掌。

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NHK取材班
NHKで結成された取材チームは、日本初の赤ちゃんポストを10年にわたって追い続け、その姿を視聴者に伝えてきた。2015年に放送された「クローズアップ現代」では、実際にポストに預け入れられた子どもに報道機関として初めてアプローチ。10代に成長した少年の生の声を届け、全国に衝撃を与えた。2017年6月には「クローズアップ現代+」にて、ポストの“今”と、その課題を明らかにした。

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(NHK出版 編集部)