外務省は「東シナ海」を「東海」と呼んでいた
1月28日夜に会談した河野太郎外相と王毅外相(写真:REUTERS/Andy Wong/Pool)
1978年に日中平和条約が締結されてから40年。尖閣諸島周辺を含む日本近海を中国船が跋扈(ばっこ)していること、東シナ海での日中中間線をまたぐガス田開発など、安全保障やエネルギー面で深刻な問題が横たわっている。経済面での強いつながりがあるにもかかわらず、両国は外交的には厳しい緊張関係が続いている。
そんな中、河野太郎外相は1月28日に北京の国賓館である「釣魚台」で王毅外相と会談し、北朝鮮問題で協力を求めると同時に、中国海軍潜水艦が1月10日に尖閣諸島の接続水域を潜没航行したことについて抗議した。
中国は日本の領海への侵入を繰り返している
河野外相は第196回通常国会が開会した1月22日、日中関係を「最も重要な2国間関係のひとつ」と評し、「首脳往来の実現、国民交流の促進、経済関係の強化を進める」としながらも、「東シナ海における一方的な現状変更の試みは断じて認められない」と演説している。
確かに、領海侵入は深刻だ。海上保安庁によると、中国公船による尖閣諸島近海への1月の接近件数は25日までの7日間でのべ25隻にのぼる。このうち領海侵入は2日間で延べ7隻だが、昨年7月には接近事例は24日間でのべ98隻にものぼり、領海侵入は3日間で延べ12隻も行われている。
まるでスプラトリー諸島(南シナ海)の悪夢の前触れのようだ。同諸島はその海域をめぐり、フィリピンやベトナムなどが長年争っていたが、1990年前半にここに中国漁船が航行し始めた。それがやがて軍艦が姿を見せるようになり、中国はたちまちのうちにミスチーフ礁を埋め立て、軍事基地のある人工島に仕立て上げたのだ。
そのような中、自民党では日本の排他的経済水域の権益を保護し、外国による人工島建設や海洋調査を牽制する議員立法の動きを見せている。
「確かに排他的経済水域から入るのは、良いアプローチだと思う」
自民党の目の付けどころを評価するのは、外務省キャリア官僚時代に条約局で海洋条約などを担当した緒方林太郎前衆議院議員だ。というのも、国連海洋法条約第59条で排他的経済水域での経済的主権の境界は日中の中間線になるからだ。「大陸棚だと中国は自然延長を主張してくるが、排他的経済水域では中国も中間線を認めざるをえなくなる」と緒方氏は述べる。
だが、懸念もある。
自民党の案が排他的経済水域内の海洋調査について、官邸の許可制を求めようとしている点だが、日中には2001年2月13日に交わされた「海洋調査活動の相互事前通報の枠組みの実施のための口上書」が存在する。相手国の近海で調査を行う場合は、2カ月前までに事前通報をすればいいという内容だ。
「この口上書があるかぎり、法律で官邸の許可制にすることは意味がなくなってしまう。いちばんの問題は、この口上書が機密文書に該当しないにもかかわらず、公開されていないという点だ」(緒方氏)
「東シナ海」に該当する海域を「東海」と記載
一方でこの口上書締結について公表する公文書は存在する。この文書には、看過できない問題がある。日本では「東シナ海」と呼ばれている海域が「東海」と記載されているのだ。
「東海」は中国が用いてきた呼称であり、日本が用いるものではない。外務省の公文書になぜ「東海」が用いられていたのだろうか。
これについて緒方氏が現職時代に出した質問主意書に対して政府は2016年8月8日付けで、「国内法令及び行政文書では、一般に『東シナ海』と呼称されていると承知している」と述べ、「『東海』と呼称している行政文書もあると承知している」と回答した。その見解は今も同じだ。
1月24日の会見で丸山則夫報道官も「日中間では双方(「東シナ海」と「東海」)が慣用上用いられてきたため、この呼称(「東海」)を用いることになった」と明言。さらに「過去に作成した海図や締結した条約の中にも、この呼称を用いた例がある」と述べている。
しかし海上保安庁に問い合わせたところ、日本政府が過去に使用した海図で「東海」の呼称を用いた例は見つかってはいない。
一方、「東シナ海」を「東海」として記載した条約はひとつだけある。2000年6月に発効した「日中漁業協定」だ。
同協定の第7条(b)には「北緯二十七度以南の東海の協定水域及び東海より南の東経百二十五度三十分以西の協定水域(南海における中華人民共和国の排他的経済水域を除く)」と記されている。同じ協定の中国側の条文も「东海(東海の簡化体表記)」の記載となっており、どこにも「東シナ海」の記載がない。ここでは完全に「東シナ海」は消し去られていることになる。
「東海」の使用は慣例といえるのか
また丸山報道官は「これまでも東シナ海と同一の海域を指すということから、慣例上使われてきた。我々は慣例も踏まえてこの呼称を用いることになってきた」と述べている。
しかし、慣例として成立するには、一定の期間とそれを用いた一定数以上の例が必要なのではないか。
「東海」の使用例が同時期に公表された2例しかなかったが、はたしてそれで「慣例」は成り立つのだろうか。そして2000年の条約で「東海」を用いたあと、再度「東シナ海」の呼称が復活したわけだが、なぜ「慣例」は破られたのか。そのあたりの経緯が不明瞭だ。
くしくも日中漁業協定が発効した2000年6月および口上書が締結された2001年2月に外務大臣の任にあったのは、河野外相の父である河野洋平氏だ。河野氏といえば、宮沢政権の官房長官時代に出した「河野談話」が閣議決定を経ていないにもかかわらず、慰安婦問題を根付かせた一因にもなってきた。
その長男である河野外相はいま、慰安婦合意や北朝鮮問題で正論を述べることでポスト安倍のポジションを得つつある。はたしてこの問題にどう対処するのか。