「安いレクサス」を誰も欲しがらない理由
■コスト・パフォーマンス追求の限界
「よい品を、より安く」
この短いフレーズに表明されているのは、「同一性能なら競合製品より価格を下げる」「同一価格なら競合製品よりも性能を高める」というアプローチである。その前提には、コスト・パフォーマンスで顧客価値を判定するマーケティング発想があり、その実現には、事業の効率化や、生産性の向上が必要となる。これは20世紀の後半に、多くの日本企業が世界に名をはせるうえで得意としてきたアプローチでもある。
今の日本企業にとってはどうか。
わが国の代表的な経営学者である加護野忠男氏は、この「効率追求型」のアプローチからの脱却の必要性を説く(『一橋ビジネスレビュー』2014, Spring)。日本企業のビジネスの前提は、かつてとは大きく変わっている。コスト・パフォーマンスのよさを顧客に訴求するマーケティングに固執しても、国内外で事業を健全に発展させる余地は限られる。
そのなかにあっては、逆に、「高く売ることを考えるべきだ」というのが、加護野氏の見立てである。
■高く売るための3つのアプローチ
あるべきマーケティングの姿は、時代の文脈によって動く。加護野氏が説くように、今の日本企業のマーケティングは、安くではなく、高く売ることを考えることが重要となってきている。
とはいえこれは、マーケティング上の大きなパラダイム・チェンジでもある。20世紀の後半に成長を遂げた日本企業の多くは、コスト・パフォーマンスのよさを顧客に訴求することの成功体験はあっても、価格の高さを正当化するノウハウの蓄積には乏しい。どのようにこの未体験のマーケティングに挑めばよいのか。
加護野氏は3つのアプローチを提示する。第1は、不特定多数ではなく絞り込んだ顧客にフォーカスするアプローチであり、第2は、主製品の使用に必要となる消耗品を専用化するアプローチである。ラグジュアリー・ブランドの構築は、そのなかで加護野氏が挙げている第3のアプローチである。
■ラグジュアリー・ブランドとは何か
ラグジュアリー・ブランドとは何か。単純に高価格=ラグジュアリーとはいえない。高価だが、ステイタス感は希薄だったり、夢をつむぐ力には乏しかったりするブランドもあるからである。何がラグジュアリーかは、顧客が決めることであって、一義的な定義は存在しないという見解もある。
フランスのビジネスクールで教授をつとめるJ. N.カプフェレ氏は、V. バスティアン氏との共著のなかで、ラグジュアリー・ブランドのひとつの条件は、絶対的な崇拝の対象としての地位を確立していることだと述べる(『ラグジュアリー戦略』東洋経済新報社)。客観的に比較できるスペック上の優位性から生まれるのは、一般的なブランドの高級ライン(プレミアム・ブランド)であって、それだけではラグジュアリーとはいえない。ラグジュアリー・ブランドにとって必要なのは、比較を超越した、独自の個性への絶対的な敬意や情念の生成なのである。
ラグジュアリー・ブランドには、同じ製品やサービスであっても、一般的なマーケティングとは異なるブランディングが必要となる(図参照)。そこでの問題は、効率追求型のビジネスで成功をおさめてきた企業が、新たにラグジュアリー・ブランドの構築に挑もうとすると、同一の組織に従来とは異なる動きを求めることになり、混乱や不徹底が生じることである。
■「ネスカフェ」と「ネスプレッソ」の違い
ラグジュアリー・ブランドをリードしてきたのは、フランスやイタリアなどのヨーロッパ企業である。ヨーロッパには、歴史的にこの分野に通じた人材が集積している。
「ネスプレッソ」は、ヨーロッパ企業のネスレが手がける、加圧式コーヒーマシンとコーヒーカプセルから成るシステムであり、至福のコーヒー体験を提供する。ネスプレッソに使われるのは、世界のコーヒー豆生産のわずか1〜2%のグルメコーヒーだという。
同社はネスプレッソを、「ネスカフェ」などの同社の主要なコーヒー・ブランドとは異なる事業と位置づけ、独立した子会社に事業を委ねてきた。ヨーロッパのラグジュアリー・ブランドは、服飾や家具などの職人仕事にたけた、規模の小さい企業が手がけることが多い。これに対してネスレのような大企業がラグジュアリー領域に乗り出す際には、どうするか。ネスレは、子会社で事業を進めるという選択をしている。その理由はどこにあるか。
ネスプレッソの販売が日本ではじまったのは1986年。当初は飲食店などを対象とした業務用品として販売されていた。インターネットでの販売、百貨店でのネスプレッソ・ブティックの展開など、ネスプレッソの一般消費者向けの事業が本格化していくのは2001年以降である。2013年には表参道にフラッグシップ・ブティックを開店している。
同じ消費者向けのコーヒーでも、ネスカフェのようなマス商品は、「どこでも手に入る」ようにすることで販売を伸ばす。したがって卸や小売りなどの事業者へのアプローチが営業の中心となる。これに対してネスプレッソでは、消費者に直接販売を行い、販売店舗は全国21のブティック(2017年9月時点)に限定される。顧客に「わざわざ出かけるだけの価値がある」と思わせる魅力を、店舗がその空間と接客において備える必要がある。
ネスプレッソのコーヒーカプセルは24種類あり(2017年9月時点)、これに期間限定品が加わる。店舗で顧客に接する販売スタッフは、ネスプレッソとは何か、他のコーヒーとは何が違うかを、その一杯一杯の味わいの違いを踏まえて説明する。当然ながら販売スタッフには、コーヒーに対する知識や情熱において高いものが求められる。
このようにネスカフェとネスプレッソは、同じコーヒーの販売といっても、スタッフの育成においても、企業文化の醸成においても、コールセンターなどのサポート部隊のあり方においても、対応が大きく異なる。このような違いを踏まえればネスレが、この2つの事業のマーケティングを、それぞれ別の組織で展開している理由が見えてくる。
■限定感・希少性に根ざしたファインワイン
サントリーには輸入ワインの子会社が2つあることをご存じだろうか。サントリーワインインターナショナル株式会社と株式会社ファインズである。前者は主として幅広い顧客を対象としたカジュアルなワインを手がけ、後者はファインワインなどのラグジュアリーなワインを手がける。
ファインワインの価値は、限定感に根ざしている。フランスなどではワイン生産にあたって、産地・格付けごとに使用するブドウの品種はもとより、収穫する畑、栽培方法などが厳格に定められている。
そもそもブドウの実りは、麦や米などのような穀物と比べると不安定である。そこに先のような畑や栽培方法の制約があるわけだから、同じブランドのワインでも年によって味わいが変わるし、生産量も不安定になる。この制約の裏返しとして、希少性が生じる。
一方でファインワインは瓶のなかでも熟成が進み、保存年数が長い。ファインワインでは、ヴィンテージ(年代)ものの価値が高まりやすいのはそのためである。長く保持していると高値での販売が可能になる場合もあり、いつ売るべきかの判断も必要になったりする。
ファインワインは、人気が出たからといって、商品を大量に安定供給できるわけではない。またブランドの数は膨大であり、さらに仕入れた商品を迅速に売り切っていくだけではなく、時にはあえて在庫させるという判断も必要となる。営業活動にあたって必要となる情報や意志決定のあり方は、カジュアルなマス商品とは複雑性が大きく異なる。ひとつの会社で二兎を追うことが難しくなる理由のひとつは、ここにある。
■社内にバーチャルカンパニー的な専任部門を設立
トヨタ自動車がレクサスの販売を開始したのは1989年である。当初は北米の高級車ブランドだったレクサスが、日本に投入されたのは2005年。現在ではグローバルな販売台数でBMW、メルセデス、アウディに次ぐ世界第4位の高級車ブランドとなっている。
トヨタとレクサスという2つのブランドでは、仕事の進め方や感覚、あるいは優先順位が異なる。レクサスのようなラグジュアリー・カーの広報では、スペックの優位性だけではなく、歴史や哲学など、ブランドが有する物語の発信が大切となる。その設計にあたっては車体の軽量化よりも、乗り心地や質感が優先されることもあるという。顧客は、必ずしも価格の安さを求めているわけではなく、より高価な車に購買意欲を示したりする。さらにレクサスは完全受注生産であり、購入後の引き渡しまでには2カ月ほどが必要になる。お買い得感や、短納期などを訴求する営業は通用しない。
ラグジュアリー・カーを販売しようとすれば、購買する顧客の層も、営業のアプローチも一般的な車とは大きく異なる。日本市場でのレクサスの販売を、トヨタは従前の系列店とは別の新しい店舗ではじめた。その後のレクサスの事業は、さらに独立性を強めていく。
2013年にはレクサスインターナショナルという、トヨタ社内のバーチャルカンパニー的な部門が設立され、技術開発、デザイン、広報などの各部門に分散していたレクサス担当が、ひとつの組織に集約されることになった。国内外でレクサスの販売が拡大するなかで、ディーラーから「まったく異なる顧客に販売する車なのだから、つくるのも別の人であってほしい」という声が高まってきたのだという。そのなかでレクサス・ブランドのステップアップに必要な取り組みとして、レクサス部門の独立性を高める判断がなされた。
コスト・パフォーマンスの追求とは異なる、新たなマーケティングが求められるラグジュアリー・ブランド。扱う商材は同じであっても、意志決定の基準や仕事の進め方は異なる。ラグジュアリー領域に乗り出すには、製品や生産の技術のベースは同じでも、マーケティングにおいては別の舟に乗り換えていくことが必要となる。
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神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)