海外でも論争、「優先席問題」は解決できるか
「優先席を譲る、譲らないの問題」はなかなか解決が難しい(撮影:尾形文繁)
「地下鉄にね、寝ちゃった男の子を重そうに抱えたママが乗ってきたの。そうしたら、優先席に座っていた80代くらいのおじいちゃんが席を立って、ここどうぞ、って勧めていた。日本じゃあんなこと、まずないよね?」
9月のシルバーウィークにロンドンにやって来た智子さん(仮名)、一人で地下鉄に乗った時のできごとを興奮気味に話してくれた。
実はこの話、続きがある。
「そうしたら、60代くらいのおばちゃんがおじいちゃんに、ここ座ってくださいって。数秒の間に4〜5人が席を立って譲り合いながらお互いに笑って……。ほほえましい光景だったわ」
度重なるテロにおびえるロンドン。不審物などへの意識が高まるだけでなく、弱者への気配りがより進んだようにも感じる。
さて、各国の交通機関に設けられている優先席はどのような使い方をされているのだろうか?
優先席を空けておく国もある
日本では、優先席の扱いをめぐってネット上でさまざまな意見を読むことができるが、他の国でも同様に論争が繰り広げられている。世界ではどんなことになっているのか調べてみた。
親日家が多く、人々の習慣や文化が比較的近い台湾の状況をみてみよう。現地で「博愛座」と呼ばれる優先席は、台北では地下鉄や公共バスに設けられている。過去には「博愛座に座っていた全盲に近い弱視の学生に対し、老婦人に『あなたが座るべきでない、席を譲れ』と罵った」「博愛座に座りたかった老人が、席に荷物が置かれていたのを見て腹を立て、その乗客ともめたあげく、持っていた飲み物をかける事態にまでエスカレートした」などの事例があったという。
この「老人が飲み物をかけて怒ったケース」はその状況がネット上に動画がアップされたことから、たちまち大きな論争になったという。そんな中、現地の弁護士は優先席の扱いに関し意見を投稿。「法律的な取り決めはなく、あくまで乗客の道徳心に委ねる形で運用されているので、人々の間で起こる意見の違いから論議が起こるのは当然」と結論が出ない問題であるとの見方を示している。
一方、アジアの中でも比較的地下鉄や近郊電車網が発達している香港ではどうだろうか? 写真のように「優先座」と呼ばれ、地下鉄では1車両当たり2席から4席に増設する措置が進んでいる。
香港MTR(地下鉄)の優先座。各車両に2〜4席設けられている(写真:Mk2010/WikimediaCommons)
現地の調査機関が学生1800人あまりを対象にアンケートを行ったところ「空いている優先席に座った時に心理的圧力を感じる」との回答は8割以上に上ったという。しかも、香港では老人が「優先席に座らせろ」と若者に主張するケースが極めて多く、今では、「世代間論争の種」という問題にまでエスカレート。批判の対象になっていることを揶揄し、「優先席でなく論争席だ」と論じる人々さえもいる。
しかも香港ではさらに陰湿なことが行われている。優先席に座っている学生などをスマホで撮影し、それをネットにさらし糾弾することもあるという。そんな中、男子学生の30%が「優先席の設置そのものをやめて欲しい」と訴えているとの結果も出ている。
ジャカルタでは強制的に立たされる
「ネットで公開批判」が行われる香港の地下鉄では、混んでいる車内で優先席が空いていても誰も座らない事態が往々に起こっているという。もっとも、事情を知らない外からの観光客が座っている様子も見かけるが。
一方、係員がやって来て「座るべき優先度の高い乗客が来たら、他の乗客を立たせる」という極端な「運用」を行っているところがある。それは1000両近い日本製中古車両が走るジャカルタの近郊鉄道網(旧KCJ、9月からKCIと改名)だ。
電車や駅構内の秩序を守る「PKD」と書かれたヘルメットをかぶった男性スタッフが、随時車内を巡回。「あなたより困っている人がいます」と乗客の膝を叩き、席を変わるように促す。日本で走っていたときには車両片端だけに設けられていた優先席エリアがジャカルタで両端に設けられており、日本の習慣で車両の端の座席に優先席とは知らずに座っていた筆者は膝をPKDに叩かれ、赤ちゃんを抱いたママに席を譲ることになった。もっとも最近では、「自分より座るべき優先度の高い人」が乗ってくると自主的に立つ傾向もみられ、「PKDによる膝叩き」がなくても快く席を譲る男性客が増えているのは喜ばしいことだ。
一方、ロンドンでは今年から、身体に何らかのハンディを持つ人向けに「席を譲ってください」バッチを交通局が配布している。
実際に手にできるかどうか、筆者も入手をめざしたところ、特に理由を聞かれることなく2週間ほどで現物が送られてきた。日本でも使われている「おなかに赤ちゃんがいます」と同様の意味を示す「Baby on Board」と示されたバッチは広く使われているが、残念ながら「席を譲ってくださいバッチ」を付けている人を見たことがない。
ロンドン交通局が配布している「席を譲ってください」バッチ。日本で同様のものを配ったらどんなことが起こるのだろう?(筆者撮影)
バッチには「席を譲ってくださいカード」も同封されており、これは優先席に構わず座っている人に「どいてください!」と言わんばかりに見せつけるような用途を想像するのだが、はたしてそんなことができる乗客はいるのだろうか?
ある種の強制力により優先席を機能させるジャカルタの例は極端とはいえ、日本で(残念ながら)日常的に起こっている「本来、優先席に座るべきあろう人がいるのに、若者がそこを占有している状況」はあまり芳しいとは思えないがどうだろうか?
訪日客たちは「東京での優先席利用状況」をみてどう感じているのか。外の人からの視点は参考になる。
訪日中に「キャリーバッグを運んでいたら、正面から僕の方にまっすぐ人が向かってきた」という経験を話してくれたスミスさんに、「電車で何か印象的なことはなかったか?」と聞いてみた。
するとスミスさんは、「老人に誰も席を譲らないので、僕が席を立とうとしたら、しきりにNoという仕草をするので逆に困った。ロンドンでは誰でも一言Thank youと言って座るのに……」と話してくれた。
日本人の「心」が理由なのか
席を譲る、譲らないの問題は、多くの日本人が持つ「誰かに迷惑をかけてはいけない」という心が起因するのかもしれない。たとえば若者が老人に席を譲るべく声をかけようにも、「私はまだ席を譲ってもらうほど歳をとってはいない、と怒られてしまうかも」と忖度(そんたく)したりとか、お年寄りの側は「若い人は仕事で疲れているのだから座らせてあげよう。私はすぐ降りるのだから」と考えるのか、席を譲りましょうと声をかけてもひたすら遠慮されることが多いようだ。さらに座っている側の心理として「周りの誰も譲ろうとしないのだから、自分があえて席を譲るのも……(その場の平穏をあえて崩すこともない?)」と考えているかもしれない。
なかなか結論を出すことができない「優先席のあり方」。日本人が持つある種の「気遣い」により、席を他人に譲ったり譲られたりするのはなかなか勇気がいることなのだろうか。とはいえ、仮にも日本で「おもてなし」の対象としている外国人訪日客に「日本人は席を譲らない」と思われてしまうのは嘆かわしい。日本特有ともいえる極めて厳しい満員電車の通勤事情を考えると簡単に結論を導けないのがもどかしい。