「いつかトップでコーチを」―引退後に楽天に“復帰”した「天才打者」の思い
2009年には首位打者に輝いた「鉄平」、改めて振り返る引退決断の時
野球に対する情熱、愛情は今も全く変わらない。中日、楽天、オリックスでプレーし、2009年にはパ・リーグの首位打者にも輝いた土谷鉄平さんは現在、楽天の球団職員として「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」のジュニアコーチを務めている。2015年限りでオリックスから戦力外通告を受け、現役続行の道を模索したものの、自ら設定した期限までに他球団から声がかかることはなく、きっぱりと引退を決断。キャリアハイの成績を残した楽天にジュニアコーチとして“復帰”した。
鉄平さんが戦力外通告を受けたのは2015年10月26日。コンディションの問題もあって12球団合同トライアウトは受けなかったものの、自主トレを続け、新シーズンへのオファーを待った。一方で、現役生活への踏ん切りがついている自分もいたという。
「やりきっていないという思いは、実はあまりなかったんですよね。ほぼやりきったという思いはあったので。もちろん、続けられるなら続けたいとは思いました。ただ、体のこともそうですし、成績も出ていなかった。あとは、年齢や需要も含めて。外野の左打ちってわんさかいるので、そういうことも考えて厳しいな、というのは自分でも分かっていた。現役にこだわらずに新しいことをするには、まだまだ若いので、いい時期かなという思いもありましたね。言ってみれば、中途半端な状態でした。何が何でも現役という強い気持ちはなかったですよね」
いい話が届いた時のために、体はしっかりと作っていた。ただ、リミットは翌2016年の1月20日と決めた。そして、「中途半端」だったという鉄平さんにオファーは届かなかった。
「そういうのをお天道様は見てるんですよね(笑)。もちろん、もしも声をかけてくれる球団があったら失礼のないように、というか、出来るだけ万全の状態で新たにやりたいという気持ちもありました。でも、1月20日までに何もなければやめようと決めていたので、(決断をする時は)迷わなかったです。ずっと一緒に自主トレをしていた渡辺直人さん(埼玉西武)にその日のうちに『やめます』と言いに行きました。『おお、そうか』という感じで。『なんで俺より早くやめてんだよ』とは言われましたけど」
楽天でチームメートだった時から親しかった先輩の言葉でも心は揺れることがなく、ユニフォームを脱ぐことを決断。そして、かつて所属していた球団への“復帰”を決めた。実は、楽天からは戦力外通告を受けてすぐに連絡が来ていたという。
「戦力外がリリースされたその日に電話がかかってきて『ジュニアコーチで枠があるんだけど、どうかな』と。本当にその日のうちだったので『ちょっと待って下さい』ということで待っていただけたんです。でも、いち早く声をかけてくれた。一度は出ていった身なのに、気にかけてくれてたのはすごく嬉しかったですし、自分自身もまた東北に戻ってきて、また貢献したいなという気持ちはずっとありました。現役(続行の話)がなければ、お世話になりたいなというのはありました」
2013年12月に後藤光尊さん(昨年限りで現役引退)とのトレードでオリックスに移籍した鉄平さんだが、楽天は戦力外となった功労者にすぐに声をかけ、「セカンドキャリア」を用意していた。願ってもないオファーだった。
「楽天は自分の中でのキャリアハイの球団ではあります。僕がいた3球団とも、それぞれに思い出深いですけども、僕という選手が一番世の中に出させてもらったのは、やっぱりこの楽天野球団さんのおかげですからね。そういう意味でも、思いは強い。やっぱり、うれしかったですよ。現役引退したら戻りたいという気持ちはありましたから」
ノムさんが称えた「努力の天才」
現在は、スクールがある日はお昼ごろに出社し、22時くらいまで指導を行うという生活を続けている。「ナイターの生活に似ていると思います」と鉄平さんは言う。Koboパーク宮城で試合がある日は、地元テレビ局で楽天戦の解説を務めることもある。また、現役時代から趣味であったギターの腕を生かし、ラジオのパーソナリティーが本業の2人とともに「鉄柳 with TACK」というバンドも結成。ライブを行うこともあるという。
「スクールは週3、4日くらい。スクールだけじゃなくて、土日は野球教室があって、そういう時は午前中から動いたりしますけど。野球教室をやってから解説という日もあります。(指導の対象は)子供たちがメインで、野球を教えることに加えて、(伝えるのは)野球の楽しさというか、一緒にやって楽しむという感じでもあります」
高い打撃センス、抜群のバットコントロールを誇り、天才型の選手と見られることが多かった鉄平さん。ただ、本当は誰よりもバットを振ってきた“努力の人”だ。現役時代には、休日でも必ず球場に姿を現し、黙々とバットを振った。かつて楽天を指揮した名将・野村克也氏も、その姿を見て「本当に打撃が好きなんだな。鉄平は努力の天才や」と感心するほどで、その努力は2009年には打率.327での首位打者獲得という形で実った。2010年も打率.318をマークするなど、まさに楽天の球団史に名を刻む好打者だった。
ただ、そんな鉄平さんでも、指導となると勝手が違うという。
「難しさを感じる時のほうが多いですね。AとBという子にバッティングについて同じことを言っても、Aに通じてもBには通じないとか、それはよくあります。感覚で言っても絶対に伝わらないというのは分かるんですけど、噛み砕いて言っても逆に回りくどくなって全然伝わらないとか。どう伝えたら分かるのかなと考えるのは難しいですね。ただ、その中でも上手く通じて、言葉を運ぶと、出来るようになったりして、子供も上手くいったと分かるので。その時はいい顔をしてくれますし、そういう時はやっぱり嬉しいです
子供たちはやっぱりどんどん変わっていくので。前にこの教え方をしたら子供たちの反応がすごく良かったからといって、別の会場で同じことを言っても全く駄目ということもあるので、そうなってくると言い方とかそういうのをその時々で変えていかないと、というのはあります。2年目になりますけど、なかなかスキルアップしたなというのを実感できることはまだないですね。そういうふうに気づけるようになったというだけでも経験値がアップしたのかなとは思いますけど。
ただ、自分でも現役時代にある程度、勉強してきてたものがある中で、(スクールの指導に)入る時は小学生と対峙することによって、新発見があるかなという気持ちが多少ありましたけど、今のところはまだないですね。野球の技術的なこととか、目新しい技術の新発見、体の使い方とか、そういったものの発見というのは今のところないです。だから、より噛み砕いて教えるというところで、難しいんですけどね」
“打撃理論”について語る鉄平さんは、やはり生き生きとした表情になる。野球への愛情は、ユニフォームを脱いだ今でも深い。そして、現在の経験が将来につながるだろうという思いもある。鉄平さんは、「出来ればトップチームでコーチをやりたいなという気持ちはあります」とはっきりと口にする。
今年からはトレード相手と同じ職場に
「現役の晩年の頃から、自分のプレーに飽きたというか、自分のプレーというよりも若い選手のプレーを見て『ああしたほうがいいんじゃないかな」『こうした方がいいかな』とか考えるようになっていて。本人に言うか言わないかは別にして、ファームにいるときもそういう風に過ごすことが多かったので。
(トップチームのコーチになれば)相手がプロなので、教えるというよりは相談に乗るというか『状態がこうだよ。ああだよ』と報告してあげるのが重要になってくるとは思うんです。ただ、その中でも噛み砕いてできる限りわかりやすく伝えるということに関しては、今の経験が生きてくるんじゃないかなという思いがありますね。ジュニアコーチの対象は小学生になりますけど、プレーを見て、一言アドバイスをするという点では同じで、自分のスキルアップを含めて、(オファーをもらった時は)『セカンドキャリア』としては申し分ない話かなと思いました」
楽天には、鉄平さんと同じように引退後に球団職員として“残留”や“復帰”を果たす選手が多い。鉄平さんは「すごくいいことだと思います」と球団への感謝の思いを明かす。
「野球選手になった人たちって、極端なことを言うと、野球しかわからない人も多いわけで、そういう人が現役を辞めて社会に出ると、やっぱり苦労するんですよね。僕もその中の一人ではあるんですけど。高卒でプロに入って、一応、年齢的には大人ですけど、一般社会には出たことがないので。実際に苦労してる人も知っています。その中で、将来的に長い目で見ると一般社会に出ていくことになるかもしれないんですけども、現役が終わってすぐに球団に残して、徐々に社会常識も含めていろんな勉強、スキルアップをさせていくような流れが出来ているので、すごくありがたいなと」
現役時代、ともにプレーした選手たちが、今度は球団職員として一緒に仕事をする。何とも言えない空間がそこにはある。鉄平さんの場合は、不思議な縁にも恵まれた。
「今年から後藤(光尊)さんが入ったんですよね。長いこと敵としてプレーして、最後はトレードで球団を交代した相手でもある方と一緒に仲良く子供たちのためにスクールをやっているわけで。面白いですよね。そして、それをイマイチわかっていない子供たちも面白い(笑)」
打者として一度は首位打者という形で“頂点”を極めた男は、恵まれた環境の中で、「第2の野球人生」をスタートさせた。この先の道には、現役時代に努力で花を咲かせた鉄平さんが満足できるような新たな「発見」もあるはずだ。(Full-Count編集部)