熊本初の世界チャンピオン福原辰弥。地方ジムが挑んだ手づくりの闘い
3月2日に行なわれたWBC世界バンタム級タイトルマッチで、王者の山中慎介(34歳・帝拳)が7回TKOで連続防衛記録を「12」に伸ばしたことは、テレビでの生中継や各報道で多くの人が目にしただろう。一方で、その試合の4日前に、日本のジム所属の現役ボクサーで10人目となる世界王者が誕生した事実を、どれだけの人が知っているだろうか。
2月26日に開催されたその試合は、WBO世界ミニマム級タイトルマッチ。現王者の高山勝成(33歳・仲里)が左まぶたの負傷で休養中のため、同級1位のモイセス・カジェロス(27歳・メキシコ)と2位の福原辰弥(27歳・本田フィットネス)との間で暫定王者決定戦が行なわれた。
33年ぶりの熊本でのタイトルマッチで、カジェロス(左)を攻める福原(右) photo by Kyodo News それは、異例ずくめの世界戦だった。
実は、昨年の11月11日に東洋太平洋ミニマム級王座を獲得した山中竜也(21歳・真正)が、この東洋太平洋のタイトル奪取を条件に、カジェロスとのWBO世界同級暫定王座決定戦を年明けに行なうことが内定していたのだ。山中が所属する真正ジムは、昨年12月に引退を発表した長谷川穂積も所属した神戸のジムだった。
しかし、その時の山中の世界ランキングは5位、福原は2位だったため、周囲のボクシング関係者たちがWBOのコミッションに対して「1位と2位の選手が世界戦をするのが順当ではないのか」と主張したのである。
世界戦の期日を考えると会場の選定や資金的な問題も心配されたが、本田フィットネスボクシングジムの本田憲哉会長には「この機会を逃してはいけない」という想いがあった。
「福原は、日本タイトル(2015年11月22日)を取ってからは指名試合が続き、厳しい相手が多かった。2度目の防衛戦の相手が元東洋太平洋チャンピオンで、3戦目も7戦7勝の強い相手だった。下馬評では不利と言われた試合を乗り越え、勢いのある今こそやるしかないと思ったし、熊本地震から1年を前に熊本で世界戦をやるということが大事だった」
その主張が受け入れられ、一転して福原vsカジェロス戦が決まったのが、去年の12月末だった。試合は2ヵ月後に迫っており、空いている大きな会場はなかなか見つからなかったが、上天草市長の協力申し入れで上天草市の松島総合運動公園・アロマでの開催が決まった。熊本県での世界タイトルマッチは33年ぶり2回目のこと。もし福原が勝てば、熊本県内のジム所属の選手としては初の世界王者となるという、熊本が「復興元年」と位置づける年に相応しい試合となったのである。
試合の3日前、福原は調印式に出席するため、自家用車で熊本市内から天草まで2時間の長い距離を移動した。しかも、運転するのは福原本人。都内の大きなジムの選手なら、移動はタクシーか手配されたワゴン車で、減量でキツイ体を後部座席に沈めて景色を眺めながら移動していたかもしれない。
そんな地方ジムならではの苦労を味わう福原を支えるのは、日本王者になった約5ヵ月後に起こった震災の経験と「努力に勝る才能はない」という言葉だ。
「本震の後も余震がたくさんあったので、一週間は車で寝泊まりしました。仕事がない日にごみ処理のボランティアに行ったら、町の状態も酷くて。人生観……。変わりますよね。何もやらんで終わるのは嫌だなと。自分にはセンスがあるわけじゃないし、パンチ力があるわけじゃない。カウンターがうまいわけでもないので、それをカバーするには努力しかないと思っています」
試合前に、「やり残したことはないか」と聞くと、福原は「ないです」と言い切った。
一方、対戦相手のカジェロスは、21日の予備検診で約4kgオーバーだった体を、前日計量では福原と同じ47.4kgにキッチリと絞ってきた。そして秤を降りるや否や、コーラを一気に飲み干した。帽子のつばが真っ直ぐなフラットキャップを被ってイヤフォンをしている姿は、ロサンゼルスあたりのヒスパニック・ギャングのようでもあったが、聴いていた音楽は意外にも、イタリアの盲目テノール歌手、アンドレア・ボッチェリのオペラだった。
さらに驚くことに、彼は大学卒で機械工学の学位を持っており、チェスプレーヤーとしての顔もあるという。意外性満載のメキシカンに、「明日はどんな手でチェックメイトを目論んでいるのか」と問うと、「コラソン」と返した。コラソンとはスペイン語の「心」「心臓」の意味で、ラテン系の人が愛情や根性を示すときによく口にする言葉である。
福原も、この試合がハートの勝負になることは分かっていた。「映像で見たカジェロスは、相手が下がるとグイグイくるタイプで、そうなると向こうのペースになる。だから絶対に後ろに押されんようにせんといかん。『我慢比べの時間』があると思うので、そこで『気持ち』で負けんようにしないといかんですね」と決意を述べていた。
そしていよいよ、運命のゴングが鳴る。「打ち合え、逃げたら負けぞ。初めからいけ!」というセコンドの本田会長の指示通り、初っ端から攻めた福原が1ラウンドを取る。2ラウンドには「一番効いた」というカジェロスのフックをもらうも、反撃に出てポイントを取り返すなど、序盤は福原の「気持ち」がカジェロスの「コラソン」に勝っていた。
しかし、中盤の4R以降は徐々にカジェロスが押しはじめ、6Rに試合が大きく動いた。バッティングによって福原の左目の上瞼(まぶた)が切れたのだ。そこから一方的に打たれる福原に、本田会長やジム関係者からは「福原、回れ!」「正面に立つな、横に動け!」と声が飛んだ。福原はその声が聞こえていたが、体が反応できなかったという。「バッティングをもらってから、相手がぼやけて3人くらいに見えたんです。それで距離感が分からなくなって、相手の正面に立ってしまった」という状態で真っ直ぐに後ろに下がり、ロープを背負うことになった。
6ラウンドが終わり、コーナーに戻ってきた福原の心は折れかけていた。本田会長は「パンチが効きよったんだろうね。こちらが声をかけても小さい声でぼそぼそ返すから、ここで折れたら終わりばいと思い『気合い入れろ!おまえ、世界チャンピオンになるんだろ、腹から声出せ』とハッパをかけた」という。そして福原の体をバチン、バチンと叩くと、福原は「ハイ!」と大きな声で叫び、7ラウンド目の戦いのためにリング中央に歩きだしたのだった。
カジェロスが前に出て大きな左右のフックを当てにくれば、福原が左のカウンターとボディ攻撃で巻き返すといった展開が、この試合を通しての大きな流れだった。本来、福原のようなサウスポーに対して右のパンチは当てにくいものだが、カジェロスのリーチが福原より10cmも長いため、右のオーバーハンドが左顔面に当たる。その容赦ない右のパンチで、7ラウンド以降、福原の左目は大きく腫れ、塞がっていった。
その福原が、9ラウンドに「この試合で一番手応えを感じた」というボディを入れると、カジェロスの前進が止まったかと思われた。しかし、カジェロスも10ラウンドに猛反撃で福原を追い詰める。気持ちを入れ直した両雄の最後の2ラウンドは壮絶な打ち合いになり、11ラウンドは福原が、最終ラウンドはカジェロスが取った。ほとんどクリンチのない、12ラウンドを打ち合いに終始した「気持ち」と「コラソン」とのぶつかり合いに、熊本の観客は熱狂した。
ただ1人、海外のメディアとしてこの試合をリポートしにきたアメリカ最大のボクシングサイト「Fightnews.com」のデービッド・フィンガーは、ボクシング界で「史上最高の打ち合い」と称されるアルツル・ガティとミッキー・ウォードの戦いを引き合いに、「この試合はすでに、今年の年間最高試合と言ってもいいだろう」と自らの記事に書き、全世界に配信した。
死闘の結果は、ジャッジ2人が福原に、1人はカジェロスにつける判定で、福原が暫定世界王者となった。試合後、被災した熊本県民を熱狂させたリングを撤去したのは、本田会長にボクシングを習った教え子や所縁(ゆかり)を持つ人たち。撤去作業だけではなく、会場の設営や運営に至るまでイベント会社の手は入らず、本田会長の人間性に魅了された人々によって支えられた世界戦だったのである。
試合後、ジム関係者に囲まれて写真撮影に応じる福原 photo by Furuya Masaaki 試合の数日後、本田会長は「地方でボクシングジムをやるなんて大変だよ。世界チャンピオンが出たからって、すぐに練習生が増えるわけでもないし(笑)」と冗談とも本音ともつかないことを口にしながら、こう続けた。
「熊本にジムを開いて26年。やっている以上は世界チャンピオンを出すことを目指さないと、ジムをやる意味がないと思っていた。それに、地震で落ち込んだ空気の熊本の人が、福原みたいに頑張ったら自分たちもやれるんだという気持ちになってくれたら、それはやった甲斐があったと思う」
一方、世界王者となった福原は「試合前は、やり残したことはないと思ったけど、終わってみたら、まだまだできたこともあったなと思います。前にガンガン出てくる相手を食い止められるように、パワーや強いパンチの打ち方も身につけたいですし、横に動く動きができていれば、戦い方も変わっていたでしょうしね。それに、試合前は『熊本の人たちのために戦う』と言っていたけど、自分のほうがお客さんの応援に力をもらったので、その恩を返していかなかなければと思っています」と語った。
これほどの充実した試合でもテレビ中継はされず、興行を打った本田フィットネスは赤字を抱えることになった。また、福原は左目の焦点が少し合わない状態でありながら、世界王者となった一週間後にはもう仕事に出たという事実を知り、地方ジムが置かれる厳しい現実をあらためて感じた。
しかし、福原と本田会長の挑戦は終わらない。暫定王者には、半年以内に正規王者と統一戦を行なうことが義務づけられている。そこで高山に勝利し、「防衛してこそ真の王者」という言葉を地方のジムから証明することが、これからの目標となる。