「自分がどういう人間か、誰にも決めつけられたくない」――松田翔太の変化は止まらない。
30代に足を踏み入れての印象を尋ねると、松田翔太は「元に戻った感じかな…?」と漏らした。「変わった」でも「何も変わっていない」でもなく「戻った」。脳裏に浮かぶのはデビューしたばかりの19歳の頃の自分自身。ここまでの約11年の道のりが決して平坦ではなかったことを、その言葉と表情が表している。そして、節目の30歳の年に、松田が強い思い入れを持って臨んだのがテレビドラマ『ディアスポリス 異邦警察』(TBS系)、その続編となる劇場版『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』である。紆余曲折を経てたどり着いた“いま”をたっぷりと語ってもらった。
撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
――『ディアスポリス』は不法滞在の外国人たちを救うために存在する“裏都庁”の刑事として働く、謎の男・久保塚早紀(くぼづか・さき)の活躍を描いており“裏社会エンターテイメント”を謳っています。2006年から2009年に『週刊モーニング』(講談社)で連載された漫画が原作ですが、松田さんは連載時から愛読されていたそうですね。
そうなんです。ここに描かれているリアリズムがひしひしと伝わってきて、惹かれました。漫画なんですけど、裏都庁やディアスポリスが存在していそうだし、ここで描かれている悪や社会問題が、現実にも起こりうるんじゃないかと思えたんですよね。
――松田さん自身も、単なるひとりの俳優としてだけでなく、かなり深い部分で自らアイディアを出すなど、企画に参加されたとお聞きしました。
一緒に作っているという感覚は、これまでの作品以上に強くありましたね。撮影中も、僕自身の視点で、言葉ではなく芝居を通じて久保塚という存在を「こういう男だ」と見せることで、共演者の芝居を促したり、作品の方向性を定めていくというのは強く意識してやっていました。
――話し合いではなく、生の芝居を通じての“セッション”ですね。
はい。逆に熊切(和嘉)監督が、ときにカメラのファインダー越しに、ときに目線での会話で自分の意思を伝えてくるようなこともありました。演じている僕のほうが、客観的な視点でシーンを見ていて、監督のほうが芝居をしてるんじゃないかってくらいの勢いで前のめりに入ってくるようなこともあって、刺激的な現場でした。
――撮影に入る前の段階では、作品の世界観や久保塚について、どのような話をされたんですか?
一度、高田馬場にある、本当に『ディアスポリス』に出てきそうな怪しいメニューのあるお店で、スタッフのみんなで飲みながら話したんです。
――高田馬場と言えば、都内でも有数のエスニックタウンが存在する地域ですね。
カンガルーの肉とかが出てきたり(笑)。そこに熊切さん、(ドラマで各話の演出を務めた)茂木(克仁)監督、真利子(哲也)監督、冨永(昌敬)監督に美術スタッフ、カメラマンも来ていて。それだけのメンバーがいれば、「乾杯!」の後に自然と作品の話になりますよね(笑)。
――監督たちからはどんな話が?
熊切さんは「とにかく、久保塚をリアルに走らせたい」と。冨永さんは「漫画の世界を人間にしよう」と言ってました。それは、漫画だからこそ面白さを感じる部分や、決めゼリフみたいなものを徹底的に排除し、リアリズムを追求していこうってことですね。
――最初の時点で連続ドラマ、その後の劇場版という流れは決まっていたんですよね? 映画の前にまずはドラマをヒットさせないといけないという点で、プレッシャーはなかったですか?
正直、この世界で生きていて、普段から商業的な部分を考えないといけない仕事のほうが多いのは事実です。でも、この作品に関して言えば、この4人の先鋭的な監督が集結して、自分を主演に作品を撮ってもらえる。しかも原作は『ディアスポリス 異邦警察』。もうこの時点で、商業的な枠を超えて「ここまで用意しました。これでいいんじゃないでしょうか?」というくらいの気持ちでしたね(笑)。
――ヒットの呪縛から解き放たれて作品に没頭できた?
とはいえ、別の意味でプレッシャーというか、背負っているものはありました。この作品のどこに魅力を感じるかといえば、久保塚早紀という存在だと思います。この男の素性、現在、そしてこいつがどんな思いで悪に向かっていくのか?
――すべては松田さんが久保塚をどう体現するか次第!
こいつが面白くなければ、作品全体が台無しになる。そういう意味での責任感は尋常じゃなかったです。ただ、僕も30歳になって、こういう役が、決して不得意なタイプの役柄ではないなというのは自分でもわかってた。こういう人物像をじっくりと作り上げていく。きっと、この作品はそういうタイミングで来たんだなって。だから変に力まずにできたかなという気はしています。
――意外に感じる人も多いと思うんですが、これだけアクション満載のハードな世界を描いていながら、久保塚自身が他人に手を上げるというシーンはほぼ皆無なんですよね?
実は、シリーズを通じて、ビンタ一発だけなんですよ。
――あくまで久保塚は刑事であり、今回の映画でも殺人を繰り返す不法移民たちのチーム「DIRTY YELLOW BOYS」に対しても「どうしたらあいつらを止められるか?」を考えているのが印象的でした。
そこはドラマのときから徹底してました。一度、ドラマで4人の敵に一斉に襲われるってシーンがあったけど、ゴチャゴチャっとしたアクションを見せたいという思惑はありつつ、久保塚から殴ったり蹴ったりはしない。
――今回も、川に投げ込まれたり、ボコボコにやられたり…。映画の紹介で語られる「ハードなアクション」という宣伝文句は、言い換えれば「久保塚がいかにやられるか?」でもある。
そうなんです(笑)。ハードさには違いはないけど、暴力を受ける側のハードさ! ボロボロにやられるけど、それも久保塚のパーソナリティのひとつになってる。ひとつ間違えれば、僕か監督のどちらかが「ちょっと久保塚もアクション入れましょうか」と言い出したかもしれないけど、そうしなかったことで新しい主人公を作れたなと思います。
――原作漫画と実写では久保塚の服装や髪型などにわりと違いがありますが、最初の時点で、松田さんが頭の中で思い描いていた久保塚は…。
意外かもしれませんが、最初に僕が想像していた久保塚像は案外、ドラマや映画の中の最終形に近かったですね。それは結果的にそうなっただけで、いろんなことを考えたうえで、そこにたどり着いたという感じなんですが。
――原作のようにアフロヘアにしようとは思わなかったんですか?
原作の画は、いい意味でB級感があるというか(笑)、起きてることはかなりエグいけど、それが、すぎむらしんいち(作画担当)さんの画でうまく中和されている部分もあるんですよね。実際に聞いてみたんですよ。「どういう意図で、久保塚をこういう髪型と服装にしたんですか?」って。
――先生の答えは?
「描きやすかったから」って(笑)。アフロなら、どの角度で描いても丸いし、服も開襟シャツならあまり動きを付けなくていいからだそうです。ジャケットを羽織っちゃうと、アクションの中でヒラっと動いたりするのが必要になるので、ベストにしたって(笑)。
――なるほど(笑)。それを3次元の世界で描くうえで、むしろ“動き”を重要視したわけですね?
そうですね。実際、原作とは違ってますけど、きちんと久保塚に見えると思います。要は精神なんじゃないかと。
――その精神の部分で、久保塚という人間を演じるうえで軸とした要素などはありますか?
うーん、それを説明するのは…難しいですね。というのは「こういう人です」と言葉でわかりやすく言える“キャラクター”にしたくなかったから。むしろ、こちらから「こうだ!」と決めつけるんじゃなく、相手の芝居を神経を集中して見ることを大事にしていましたね。
撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
生の芝居を通じての“セッション”を繰り返して…
――『ディアスポリス』は不法滞在の外国人たちを救うために存在する“裏都庁”の刑事として働く、謎の男・久保塚早紀(くぼづか・さき)の活躍を描いており“裏社会エンターテイメント”を謳っています。2006年から2009年に『週刊モーニング』(講談社)で連載された漫画が原作ですが、松田さんは連載時から愛読されていたそうですね。
そうなんです。ここに描かれているリアリズムがひしひしと伝わってきて、惹かれました。漫画なんですけど、裏都庁やディアスポリスが存在していそうだし、ここで描かれている悪や社会問題が、現実にも起こりうるんじゃないかと思えたんですよね。
――松田さん自身も、単なるひとりの俳優としてだけでなく、かなり深い部分で自らアイディアを出すなど、企画に参加されたとお聞きしました。
一緒に作っているという感覚は、これまでの作品以上に強くありましたね。撮影中も、僕自身の視点で、言葉ではなく芝居を通じて久保塚という存在を「こういう男だ」と見せることで、共演者の芝居を促したり、作品の方向性を定めていくというのは強く意識してやっていました。
――話し合いではなく、生の芝居を通じての“セッション”ですね。
はい。逆に熊切(和嘉)監督が、ときにカメラのファインダー越しに、ときに目線での会話で自分の意思を伝えてくるようなこともありました。演じている僕のほうが、客観的な視点でシーンを見ていて、監督のほうが芝居をしてるんじゃないかってくらいの勢いで前のめりに入ってくるようなこともあって、刺激的な現場でした。
――撮影に入る前の段階では、作品の世界観や久保塚について、どのような話をされたんですか?
一度、高田馬場にある、本当に『ディアスポリス』に出てきそうな怪しいメニューのあるお店で、スタッフのみんなで飲みながら話したんです。
――高田馬場と言えば、都内でも有数のエスニックタウンが存在する地域ですね。
カンガルーの肉とかが出てきたり(笑)。そこに熊切さん、(ドラマで各話の演出を務めた)茂木(克仁)監督、真利子(哲也)監督、冨永(昌敬)監督に美術スタッフ、カメラマンも来ていて。それだけのメンバーがいれば、「乾杯!」の後に自然と作品の話になりますよね(笑)。
――監督たちからはどんな話が?
熊切さんは「とにかく、久保塚をリアルに走らせたい」と。冨永さんは「漫画の世界を人間にしよう」と言ってました。それは、漫画だからこそ面白さを感じる部分や、決めゼリフみたいなものを徹底的に排除し、リアリズムを追求していこうってことですね。
――最初の時点で連続ドラマ、その後の劇場版という流れは決まっていたんですよね? 映画の前にまずはドラマをヒットさせないといけないという点で、プレッシャーはなかったですか?
正直、この世界で生きていて、普段から商業的な部分を考えないといけない仕事のほうが多いのは事実です。でも、この作品に関して言えば、この4人の先鋭的な監督が集結して、自分を主演に作品を撮ってもらえる。しかも原作は『ディアスポリス 異邦警察』。もうこの時点で、商業的な枠を超えて「ここまで用意しました。これでいいんじゃないでしょうか?」というくらいの気持ちでしたね(笑)。
――ヒットの呪縛から解き放たれて作品に没頭できた?
とはいえ、別の意味でプレッシャーというか、背負っているものはありました。この作品のどこに魅力を感じるかといえば、久保塚早紀という存在だと思います。この男の素性、現在、そしてこいつがどんな思いで悪に向かっていくのか?
――すべては松田さんが久保塚をどう体現するか次第!
こいつが面白くなければ、作品全体が台無しになる。そういう意味での責任感は尋常じゃなかったです。ただ、僕も30歳になって、こういう役が、決して不得意なタイプの役柄ではないなというのは自分でもわかってた。こういう人物像をじっくりと作り上げていく。きっと、この作品はそういうタイミングで来たんだなって。だから変に力まずにできたかなという気はしています。
暴力を受けてもやり返さない、新しい主人公の形
――意外に感じる人も多いと思うんですが、これだけアクション満載のハードな世界を描いていながら、久保塚自身が他人に手を上げるというシーンはほぼ皆無なんですよね?
実は、シリーズを通じて、ビンタ一発だけなんですよ。
――あくまで久保塚は刑事であり、今回の映画でも殺人を繰り返す不法移民たちのチーム「DIRTY YELLOW BOYS」に対しても「どうしたらあいつらを止められるか?」を考えているのが印象的でした。
そこはドラマのときから徹底してました。一度、ドラマで4人の敵に一斉に襲われるってシーンがあったけど、ゴチャゴチャっとしたアクションを見せたいという思惑はありつつ、久保塚から殴ったり蹴ったりはしない。
――今回も、川に投げ込まれたり、ボコボコにやられたり…。映画の紹介で語られる「ハードなアクション」という宣伝文句は、言い換えれば「久保塚がいかにやられるか?」でもある。
そうなんです(笑)。ハードさには違いはないけど、暴力を受ける側のハードさ! ボロボロにやられるけど、それも久保塚のパーソナリティのひとつになってる。ひとつ間違えれば、僕か監督のどちらかが「ちょっと久保塚もアクション入れましょうか」と言い出したかもしれないけど、そうしなかったことで新しい主人公を作れたなと思います。
(※PG-12)
――原作漫画と実写では久保塚の服装や髪型などにわりと違いがありますが、最初の時点で、松田さんが頭の中で思い描いていた久保塚は…。
意外かもしれませんが、最初に僕が想像していた久保塚像は案外、ドラマや映画の中の最終形に近かったですね。それは結果的にそうなっただけで、いろんなことを考えたうえで、そこにたどり着いたという感じなんですが。
――原作のようにアフロヘアにしようとは思わなかったんですか?
原作の画は、いい意味でB級感があるというか(笑)、起きてることはかなりエグいけど、それが、すぎむらしんいち(作画担当)さんの画でうまく中和されている部分もあるんですよね。実際に聞いてみたんですよ。「どういう意図で、久保塚をこういう髪型と服装にしたんですか?」って。
――先生の答えは?
「描きやすかったから」って(笑)。アフロなら、どの角度で描いても丸いし、服も開襟シャツならあまり動きを付けなくていいからだそうです。ジャケットを羽織っちゃうと、アクションの中でヒラっと動いたりするのが必要になるので、ベストにしたって(笑)。
――なるほど(笑)。それを3次元の世界で描くうえで、むしろ“動き”を重要視したわけですね?
そうですね。実際、原作とは違ってますけど、きちんと久保塚に見えると思います。要は精神なんじゃないかと。
――その精神の部分で、久保塚という人間を演じるうえで軸とした要素などはありますか?
うーん、それを説明するのは…難しいですね。というのは「こういう人です」と言葉でわかりやすく言える“キャラクター”にしたくなかったから。むしろ、こちらから「こうだ!」と決めつけるんじゃなく、相手の芝居を神経を集中して見ることを大事にしていましたね。