夏休みだから、他人の黒歴史を読んで元気になろう

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学生と元学生のみなさん、夏休みいかがお過ごしですか?
大人になっても青春期の感覚が生々しく蘇ってくるこの時期、忘れかけてた黒歴史までいっしょに記憶に浮上して、己のあまりに恥の多い生涯につい〈生れて、すみません〉という気持になったりします。

そういうときは、他人の黒歴史を読んで、自分に大丈夫と言い聞かせたい。
以下、苫野一徳『子どもの頃から哲学者 世界一面白い、哲学を使った「絶望からの脱出」!』(大和書房)を中心に、プラス3点をご紹介。

小2で竹の試し斬り、中2で〈便所飯〉


『子どもの頃から哲学者』は、熊本大学教育学部准教授の哲学者が自分の過去のいわゆる「ヤバい」行状をえぐり取って公開した自伝。


著者は小学校2年生のとき、当時大流行のファミコンに背を向け、日本刀鑑定士の父がくれた試し斬り用の刀で竹を斬って遊んでいたというから、ライトノベルのキャラっぽい。
『火の鳥』の生き血を飲んで不老不死になった登場人物たちの物語を読んで〈死ねなかったらどうしようと考えて泣いていた〉。


同じ哲学者でも、小学校3年生時代の中島義道さんなんかだと、〈「死ぬのが嫌だ! 死ぬのが嫌だ!」と泣き叫んでしばらくの間学校を休んだ〉という正反対の経験がある(『孤独について 生きるのが困難な人々へ』)。この違いはもう体質というしかない。


苫野少年は、キリスト教系男子校の中部時代にはキリスト教的〈義人〉になろうとして、電車の椅子には絶対座らない、授業中は直角に座って先生を凝視、学校の来客には大きな声で「こんにちは!」。
クラスで浮き、中2のときに〈便所飯〉(「トイレ孤食」)をはじめた。〈僕こそ便所飯のパイオニアなのだ〉。

躁鬱的な高校時代


高等部では1年生のときに全校生徒の前でマニアックな超絶技巧系のギターを演奏してブーイングされたかと思えば、一転して生徒会長となり、生徒たちに〈お前たちは自由に流されている!〉と叫んで〈キモいんじゃアホ〉とバッシングされる。

それでも負けずに、退屈な礼拝の時間に、バンドやってる生徒にゴスペルを演奏させたり、学校の人気者3人を集めてお笑いトリオを作らせ、生徒集会で学校改革に関するコントをさせて大受けを取ったりした。

高3秋の文化祭のあと、48時間の長きにわたって号泣と爆笑が止まらなくなり、以後8年間、秋に泣き笑いの発作が2日続いたあと躁状態となり翌春に欝になる、という周期を繰り返すことになる。
物心ついたころから過敏性腸症候群に悩まされ、高校の生徒会長時代には胃痛や円形脱毛症に苦しみ、腱鞘炎が悪化してギターを弾けなくなり、角膜がどんどん円錐形に尖っていく原因不明の進行性眼病〈円錐角膜〉にもかかった。心身ともに難儀な人生を送ってきたわけだ。

早稲田大学教育学部の自己推薦入試面接では、〈教育学者なんかになっても、現実の教育には何の影響力もないので、僕は音楽で日本の教育を変えます!〉と答えて面接官の教授たちをドン引きさせた。でも合格した。

〈かまって病〉から教祖へ


入学直後に例の鬱が到来、実家から持ってきた短刀を胸に当てては、〈「心臓があと一〇回鳴ったら突き刺そう、八、九、一〇……ああできない(涙)」などと、大仰なバカげたことをやっていた〉。
ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』にハマり、台風の日に〈今から死ぬわ〉と友人に電話するなど、〈あまりに陳腐でお話にならないほどの、単なる“かまって病”〉を発症。


その友人と〈早稲田ドーナッツ〉(ワセド)という大学生と外国人留学生のサークルを作って、子供のためのための国際交流の会を企画したり、日本語学校の外国人学生たちと交流したりした。一時は100人くらいメンバーがいたというからカリスマ性がある。

ある日〈人類愛〉の啓示が降りてきて、そのサークルを母体に〈人類愛教〉がノリで発足し、教祖になってしまう。〈“お布施”のようなものも集まり、歌までできた。あいさつは「愛してる」〉。
そのかたわら、「青春三部作」「後期青春三部作」と自ら呼ぶものを含む長短の小説を数多く書き、〈人類愛〉思想を文学に昇華しようとしていた。とにかくすべてが過剰。

高校・大学でのこういった大活躍はすべて〈孤独を埋めたい欲望〉のあらわれだったと、著者は述懐する。
〈思い返せば、確かにそれは、僕の、多くの人から愛されたい、承認されたいといった、過剰な承認欲望の現れだった〉

哲学が人類愛を木っ端微塵にした


大学院に合格した4年生の夏に、特大の鬱が訪れ、引きこもりとなった。〈人類愛教〉は1年後に跡形もなく消滅した。
修士課程では、米国の思想家エマソンの「超越主義」を「人類愛」として研究。


その後、竹田青嗣の『人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想』を読んで、著者の「人類愛」は木っ端微塵に砕かれる!
そのあたりの事情はぜひ本書にあたって読んでいただきたい。


著者は現在、Webちくまで「はじめての哲学的思考」を連載中。

以下、自らの黒歴史をえぐるエキセントリックな青春記を3点、ご紹介します。

DV夫から初期仏教の修行者に


今月文庫化された小池龍之介『坊主失格』(幻冬舎文庫/Kindle)。


著者は幼年期に、とにかく甘えん坊だった。少年期・青年期には、世界にオンリーワンの存在としての自分の素晴らしさを、周囲に認めさせるために、全力で周囲を巻きこんでいく。

東大では〈狂気〉へと一直線にダイヴ、路上で支離滅裂な語を大声で叫ぶなどの奇行を連発する。
アンケートと称して通行人に、〈A4用紙の端っことB4用紙の端っこと、どちらに淫猥さを感じますか?〉と訊ね、相手の困惑を楽しむなど、パンクで前衛的な悪ふざけが止まらない。

学生結婚した相手に肉体的・精神的DVをやらかしてしまうあたりは読んでいて苦しい。読みどころは、瞑想修行者として自分の問題行動を克服していくくだり。
こういった奇癖や暴力の種が、一部の特殊な人にだけあるのではなく、人類全員が分け持っている弱さだということがわかるのが本書のポイントです。

自傷→ミニスカ右翼→ゴスロリ作家兼左派論客


『生き地獄天国 雨宮処凛自伝』(ちくま文庫/Kindle)。


アトピーに苦しむ田舎の少女が、激しい陰湿ないじめを受け、教室の外に見つけた希望の活動、それはヴィジュアル系バンドのグルーピーとなって追っかけをすることだった。

球体関節人形を作るために美術予備校に通うが自殺未遂。バンド活動を経てサブカル道に堕ち、オウム真理教とすれ違い、ミニスカ右翼として街宣車で世直しに励む。そして北朝鮮へ……。
その後、一転して左派論客となった「ゴスロリ作家」の転向の記録は、2・26事件や60年安保の時代の若者たちの人生を思わせる。

〈こじらせ女子〉という語を生んだ名著


AVライター・雨宮まみさんの『女子をこじらせて』(幻冬舎文庫/Kindle)は〈こじらせ女子〉という流行語を生んだ。


とにかく厳しい家庭に育ち、中学時代のスクールカーストも下位、希望はボーイズラブ、高校では不思議ちゃんと化し、イロモノキャラでモテイデオロギーの嵐をやり過ごす日々。
パリコレをパクったデザインの服を作り、学校でファッションショウを開催し、そのときだけは評価された。

大学でも劣等感から自己防御の殻を破ることができず、旅先のネパールでなぜか敢えての坊主頭に。
以下、バニーガールの仕事、AVライターとしての苦闘など、ノンフィクションとしても楽しめる。
しかしなんといっても胸を打つのは、著者の自己開示の勇気でしょう。いまさら紹介するのも気がひけるくらい名著。

読んでいると元気が出てくる


こういった哲学者・お坊さん・作家の青春記は、自分の過去の過剰な言動を、否定も肯定もせずに元気に記述していく。この元気は、苦しんだ人だからこその元気だと思う。
苦しくて痛いことが書かれていても、めちゃくちゃにおもしろくて、読んでいるとこっちまで妙に元気が出てくる。暑い日の激辛カレー的なデトックス効果を求めて、敢えて夏休みに読むのはどうか。
(千野帽子)