リオ五輪代表は、日本国内でどのように評価されているのだろう。インターネットで記事を検索すると、どちらかと言えば厳しいものが多いように感じる。

 そもそも、という指摘を見かける。そのなかで個人的に気になるのは、「そもそも、メダルを目ざす実力があったのか」というものだ。

 目標設定としては、間違っていなかったと思う。4年前のロンドン五輪で、日本はベスト4に入っているのだ。前回大会を上回る成績を残そう、というモチベーションは当然である。そうならなければ、自分たちが評価されないからだ。

 ここで、「そもそも」が問われる。

 リオ五輪のチームはU−20W杯に出場していない世代で、J1のクラブで定位置をつかみ切れていない選手もいる。それだけに、五輪のメダルは身の丈に合わない、大きすぎる目標と思われたかもしれない。

 ならば、グループステージ突破を目標すれば良かったのか。

 それは、違う。

 手倉森誠監督が「メダルを狙うぞ」と選手たちを叱咤しなかったら、ナイジェリア戦は2対5で終わっていただろう。60分に5失点目を喫したところで、選手たちの闘争心は尽きたはずだ。もっと以前に枯渇していたかもしれない。

 そうなったら、70分の浅野拓磨のゴールも、90+5分の鈴木武蔵の得点も、生まれていなかった。それどころか、6点目、7点目を奪われていた可能性さえある。

 コロンビア戦も同様だ。前半から決定機を作りながら決めきることができず、後半59分からわずか6分間で2失点を喫してしまう。しかも、守備の組織を崩されたわけではなかった。1点目はシュートブロックをしたDFにあたってコースが変わり、2点目はオウンゴールである。失望感の募る連続失点だ。

 押し気味に進めていたチームがビハインドを背負うのは、典型的な負けパターンと言っていい。それでも、残り25分から同点に持ち込んだ。逆転できそうなチャンスも作り出した。

 コロンビア相手に見せた巻き返しは、「初戦の敗退を挽回するために、この勝点3を取らなければいけない」という明確な動機づけがあったからに他ならない。その根底には、「メダルを獲る」という目標があった。

 スウェーデンとの第3戦も、8強入りへの可能性に賭けたからこそ、勝利をつかむことができたはずだ。「第2戦で勝ち切れなかったのが結果的に響いた」とも言われるが、この試合を消化試合にしなかったことには間違いなく意味がある。

 谷間の世代と呼ばれてきたからこそ、このチームには高い目標が必要だったと思う。アジアチャンピオンになったことで満足せずに、4年前を越える成績を目ざすべきだったのだ。

「メダルを目ざしたからこそ、内容を向上させることのできた部分もあったと思う。メダルを目ざさなければ、打ちのめされていただけかもしれない」

 手倉森監督の言葉は、負け惜しみではない。