「真田丸」呂宋助左衛門登場を解く「黄金の日日」オマージュが熱い

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7月17日に放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」第28回(きょう13時5分より総合テレビで再放送あり)。先週の記事で書いたとおり、この回には往年の大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)の主人公、松本幸四郎扮する貿易商・納屋助左衛門(通称・呂宋助左衛門。「真田丸」オープニングのクレジットでは「助左衛門」)が登場した。


「壺」が象徴する助左衛門の秀吉との戦い


豊臣秀吉の甥で関白職を継いだ豊臣秀次(新納慎也)は、秀吉(小日向文世)との心のすれ違いから、この回ではとうとう死に追いこまれてしまう。助左衛門はちょうどこのときルソン(現在のフィリピン)から帰国し、現地で仕入れた壺を秀吉に納入していた。その助左衛門が、秀次の死の直後、真田信繁(堺雅人)からある頼みを受け、協力することになる――。

脚本の三谷幸喜は高校時代に「黄金の日日」に熱中したというだけあって、「真田丸」での助左衛門登場のシーンはオマージュに満ちあふれていた。まず助左衛門の登場する直前には一瞬、夕陽のカットが映ったが、あれはおそらく「黄金の日日」のオープニングタイトルでの夕陽が海へと沈む映像を踏まえたものではないか。

「真田丸」の劇中、信繁と面会した助左衛門は、権力者となった秀吉の無理無体に対し自分は常に戦いを挑んできたと語る。その象徴こそ例の壺だ。秀吉が銀百万貫という破格の値段で買い取ったこの壺は、ルソンに行けば道端に転がっているタダ同然のしろものだった。助左衛門はそれを大名たちに高値で売りつけ、得た金で自分の商いのための船を手に入れたのである。助左衛門いわく「これが手前の戦でございます」。そして、あらゆる弱き者たちの守り神を自認する助左衛門は、信繁の申し出を喜んで聞き入れたのだった。

この壺、通称「呂宋壺」の話は、『太閤記』などを通じて後世に伝わるエピソードで、「黄金の日日」にも出てきた(第38話)。ただし、このとき壺に値をつけたのは助左衛門本人ではなく、秀吉(緒形拳)の茶頭だった千利休(鶴田浩二)である。時代も秀次が死ぬ以前だ。思えば、太閤検地に代表されるように、秀吉は権力を掌握すると天下を自らの定める価値基準のもと治めようとした。呂宋壺のエピソードは、そんな秀吉に対して、利休や助左衛門が異なる価値基準をもって対抗しようとしたものとも解釈できる。利休にいたっては、美をめぐる価値基準をめぐり茶人として秀吉と激しい戦いを繰り広げたあげく、切腹に追いこまれてしまう(第40話)。

助左衛門もまた、秀吉の怒りを買う。朝鮮への出兵、さらにはルソンへの侵攻をもくろむ秀吉を、助左衛門は思いとどまらせるべく直訴した(第43話)。しかしそれが逆鱗に触れ、捕えられる。このとき秀吉は助左衛門に向かって唾を吐きかけ、「この者の耳を削ぎ、鼻を削げ」とまで命じた。けっきょく助左衛門は、石田三成(近藤正臣)の温情でルソンへ逃がされる。

その後、帰国した助左衛門はやはり三成のとりはからいで、すでに病床にあった秀吉を見舞う(第47話)。再会した助左衛門に、秀吉は何も言わず、ただ一言「ついほう めいず(追放命ず)」とだけ紙に書いて渡すのだった。命まで奪わなかったのは秀吉に最期まで残っていた人間らしさゆえなのか。微笑みを浮かべながら命じ終えると、黙って助左衛門を追い払う手ぶりを示す秀吉の姿は、静かに怖い。

原作小説へのオマージュも?


さて、「真田丸」における真田信繁の助左衛門への申し入れもまた、「黄金の日日」での一挿話と重なる。信繁の頼みは、豊臣秀次の死後、その妻・側室も子供もすべて秀吉の命により処刑されるなか、唯一生き延びた秀次の娘・たか(岸井ゆきの)を、助左衛門にルソンへ一緒に連れて行ってほしいというものだった。これに対して「黄金の日日」では、秀次(桜木健一)の側室・桔梗(竹下景子)が、夫の死んだあと、助左衛門のいるルソン行きの船に乗せられ、「真田丸」のたかと同様、殺されるはずのところを救われる(第44話)。桔梗は堺商人・今井宗薫(林隆三)の妹で、助左衛門とは幼馴染だった。

もっとも、この場面は原作である城山三郎の同名小説には出てこない。じつは小説はこのドラマのために書き下ろされたもので、ほぼ並行して執筆された市川森一の脚本とは基本的な設定やストーリーを共有しつつも、細かい点ではけっこう異なっている。ちなみに原作では、秀次死去の際、助左衛門は日本にいた。このとき彼は、秀次の老臣の訪問を受け、主人に近い筋の者を国外に逃がしたいと懇願されている。どうやら「真田丸」の助左衛門登場のくだりは、「黄金の日日」のドラマだけでなく原作小説も下敷きにしていたらしい。

ただし、原作小説はドラマとくらべるとあっさりしたところが目立つ。先述の助左衛門が秀吉に直訴する場面も、追放を命じられる場面も、原作には出てこない。原作では、助左衛門は秀吉が自分を捕えようとしていると、石田三成からひそかに知らされ、ルソンへと逃げ落ちるのだった。

また、大盗賊として有名な石川五右衛門が助左衛門の友人として登場するのはドラマも原作小説も一緒だが、ドラマで劇的に描かれた五右衛門(根津甚八)による秀吉暗殺の企て(第46話)は、小説では直接的に書かれていない。ただ数行、暗殺は失敗し、五右衛門は釜ゆでの刑に処されたとの報が、助左衛門のいた堺にまで伝えられたという記述があるのみだ。こうして見ると、ドラマに熱中した者には、名場面をことごとく欠いた原作はやや食い足りなさが残る。

“アングラの旗手”根津甚八・唐十郎の好演


もちろん、大河ドラマでは画期的だった商人の視点から安土桃山時代をとらえるという試みは、もともと経済学の教師だった城山三郎に負うところが大きかったとは思う。しかし「黄金の日日」を魅力的な物語としたのは、やはり脚本の市川森一らドラマのつくり手と松本幸四郎ら演者ではないか。

助左衛門も、その幼馴染の五右衛門と杉谷善住坊(ドラマでは川谷拓三が演じた)も、みな実在の人物とはいえ、いずれも生涯には謎の部分が多い。五右衛門が秀吉暗殺を計った話も、あくまで伝説にすぎない。それを「黄金の日日」では、史実と巧みに絡ませながら、生き生きと描き出してみせた。三谷幸喜少年が魅せられたのも、まさにそこだったはずだ。

余談ながら、かつて五右衛門を演じた根津甚八の芸名は、講談などで人気を集めた真田十勇士のひとりの名前からそのままとったものだ。「真田丸」のスピンオフドラマ「ダメ田十勇士」では、根津甚八を劇団ハイバイの主宰者で劇作家・演出家でもある岩井秀人が演じた。

「黄金の日日」には、俳優のほうの根津甚八の出身劇団である状況劇場の主宰者で、劇作家・演出家の唐十郎とその当時の妻・李麗仙も出演していた。唐の役どころは、原田喜右衛門という商人で、ことあるごとに助左衛門の前に立ちふさがり、ついには秀吉を言いくるめてルソンとの貿易を独占しようとする。その悪漢ぶりといい、マントを颯爽とひるがえす姿といい、ドラマのなかの喜右衛門は唐十郎の劇世界の人物そのものであった。

それにしても、アングラ演劇の代表的存在と目されていた状況劇場の面々がNHK大河に出演したことは、この時代にあって一つの事件だったに違いない。このあと、三谷幸喜や堺雅人を含め小劇場演劇の出身者たちが大河に多数進出するようになるが、「黄金の日日」はその先駆的作品でもあったのだ。

「黄金の日日」は現在NHKオンデマンドで全51話が配信されている(販売は2017年6月2日まで)。「真田丸」ではそろそろ秀吉が死にそうだが、「黄金の日日」で描かれた秀吉の最期とくらべてみるのも一興だろう。
(近藤正高)