生きてる意味を無理に知ろうとしなくても大丈夫『須賀敦子』の眺めている場所

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)第17回(第2期第5回)配本は、第25巻『須賀敦子』。


西洋文化の根を知る人


須賀敦子は1929年に芦屋で生まれ、西宮と東京で育った。大戦間のモダン文化をリアルタイムで知る最後のほうの世代だ。
カトリックの信仰もあってパリで学び、結婚生活を送ったミラノでは、漱石・鴎外・一葉、また谷崎潤一郎中島敦など、近代日本の小説をイタリア語に訳し、紹介した。

帰国後はイタリア詩を研究し、50歳ごろから随筆や現代イタリア小説の日本語訳で活躍する。


僕が知らなかっただけで、読書家は早くからちゃんとその存在を把握していたのだろうけれど、僕個人の印象では、須賀敦子は、『ミラノ 霧の風景』とアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』の刊行を機に、60歳をすぎて随筆と翻訳の両面で急に脚光を浴びた人、という印象が強い。


そして、そのわずか7年後にこの世界からいなくなってしまった人、という印象だ。

細部までピントのあった文章


この巻に収録された『コルシア書店の仲間たち』をはじめ、「ガッティの背中」「インセン」「雨のなかを走る男たち」には、パリやミラノでの生活で関わった人びとのことが書いてある。
これをいわゆる回想記として読むならば、須賀敦子という人の記憶の鮮明さにびっくりする。


記述はまるで小説のように、細部にまでピントがあっている。そして引き締まった文章は明晰で読みやすい。
けれど、読むのにおそろしく時間や気力が要る。
なぜか、読み落とさないようにと気を配りながら読んでしまう。須賀の文章は読者を、少なくとも僕を、そういうふうにさせる。


短篇小説的な随筆?


須賀敦子の回想的な随筆は、実体験を書いていて、それでいてすみずみまでが鮮明な仕上がりで造形されているのが物語性を感じる。ほとんど短篇小説ではないか。
幼時からの家族の話題について書かれた文章が、またすごい。この巻では「オリエント・エクスプレス」がそれだ。
今回の全集には収録されていないが、同じ『ヴェネツィアの宿』に収録された「白い方丈」も、京都とミラノを舞台とする随筆で、もうこれはキレッキレの短篇小説と言っていい。


『ヴェネツィアの宿』では、戦中戦後ではあるが文化度の高い環境に育った少女期や、暗い留学時代の回想をつうじて、父の姿がおりにふれて召喚される。父は稼ぎもいいし文化度も高いが、ワンマンで身勝手なところもあり、女癖だってよくない。
「オリエント・エクスプレス」はその最終部分。

ヨーロッパの贅沢を知る父と、戦後の苦労を味わう娘


須賀敦子が幼いころ、その父は仕事の関係でヨーロッパを訪れ、ヨーロッパのほんとうの贅沢を知っている。そういう世代だった。大正時代から昭和初期には、そういう日本人が作られ、活躍した。
いっぽう娘の須賀敦子は、経済的に父ほどの余裕もなく、そもそも第2次大戦を通過してしまったあとのヨーロッパで暮らしている。ヨーロッパにいても、見ているものが違う。父ほどの贅沢はできない。


その父が、戦後、死の床に就くまでこだわったのが、クリスティの小説でも有名な豪奢な急行列車、オリエントエクスプレスだった。
夫と死別し、ミラノで翻訳の仕事をしていた41歳の〈私〉に、死の床にある父からの頼みが届く。オリエントエクスプレスを運営するワゴン・リ社の客車の模型と、車内で使っているコーヒーカップを持って帰ってきてほしい、と。
〈私〉はオリエントエクスプレスが到着するミラノ駅に向かい、車掌を探す──。

ここには、「話し合ってわかりあう」などという、僕らがついつい甘く夢見てしまうような「相互理解」はない。
もちろん相剋のあとに和解がくる、などという図式も、ここでは成立していない。
須賀敦子がこの文章で父を遇するやりかたは、父のことを「わかる」「わからない」ではない。

持ち上げるでもなく貶めるでもなく、反射的な感情を超えたところで(あるいはその手前で)、
「あの人はそうなんだな」
と、ひとりの他者として認める、そこでとどまる、余計な意味づけはしない、ということなのだ。

野暮ったくなるけれど、あえてこの感じをパラフレーズすれば、
「この人(父であれ、夫であれ、知人であれ)の存在は私にとって意味があるが、その意味を私が無理に知ろうとしなくても大丈夫」
という感じだろうか?

だから須賀敦子を読んでいるとこっちまで、そもそも「生きる」ということ自体を、
「意味がある。自分ではわからなくてもそこには意味がある」
という信頼感でとらえてしまいそうになる。

他者をそのまま認めるということ


思えばこのような描きかたは、ヨーロッパの生活に重心を置いた『コルシア書店の仲間たち』にも見られるものだった。
周囲の優しい人や感じのいい人の好もしさに固執せず、変な人や迷惑な人を感情的に批難せず、それぞれをそのままに記述する。

周囲に救われたり振り回されたりした過去の自分自身をまた、ひとりの(でももちろん、とくべつな)他者として遇している。
その当時の自分自身の、孤独や苛立ちといった感情的・反射的な泡立ちをも、書くまでに経過した20年から50年という時間によって濾過された形で提示しているのだ。

こう書くとなにか情感を失ったような感じがするが、じっさいには逆だ。

また、本巻に抄録された『ユルスナールの靴』は、20世紀フランス文学を代表する小説家のひとりユルスナールの自伝的作品や伝記を読み解きつつ、須賀敦子自身の回想(周囲の人びとについてのもの)がそこに喰いこんでくるという特異な構成を持っている。
ここではまるで、異国の小説家、その恋人たち、作者須賀敦子自身、その周囲の人たちがすべて、遠い、高い、天上の一点から、眺め降ろされているかのようなのだ。


このような態度を、面識のない外国の作家にたいしてとることよりも、またたんに周囲の知人にたいしてとることよりも、家族(たとえ死んでいたとしても)にたいして取ることのほうが難しいだろう。人は、近ければ近いほど、相手に要求することが多くなってしまいがちなのだから。

だから、『ユルスナールの靴』もすごいが、そういう意味では『ヴェネツィアの宿』はほんとうにすごい作品だったのだ。
きょう会う人、ネットで見た人、自分の家族、そして自分自身を、遠い、高い、天上の一点から、眺め降ろすように遇することが、僕にもできるだろうか?

この巻の収録作はこちら。
・『コルシア書店の仲間たち』(1992→白水Uブックス/文春文庫/河出文庫『須賀敦子全集』第1巻所収)
・『ミラノ 霧の風景』(1990→同全集第1巻所収)より「遠い霧の匂い」「ガッティの背中」「きらめく海のトリエステ」「さくらんぼと運河とブリアンツァ」
・『旅のあいまに』(1996→同全集第1巻所収)より「マリ・ルイーズ」「ヴァレリー」「インセン」「L夫人」「ある日、会って……」
・『ヴェネツィアの宿』(1993→白水Uブックス/文春文庫/同全集第2巻所収)より「カティアが歩いた道」「オリエント・エクスプレス」
・『トリエステの坂道』(1995→白水Uブックス/新潮文庫/同全集第2巻所収)より「トリエステの坂道」「雨のなかを走る男たち」「ふるえる手」
・『時のかけらたち』(1998→同全集第3巻所収)より「スパッカ・ナポリ」「ガールの水道橋」
・『ユルスナールの靴』(1996→白水Uブックス/河出文庫/Kindle/同全集第3巻所収)より「フランドルの海」「砂漠を行くものたち」「木立のなかの神殿」
・「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」(1990→『霧のむこうに住みたい』[河出文庫/Kindle/同全集第2巻所収)
・ギンズブルグ『ある家族の会話』(1963)訳者あとがき(1992)/同『マンゾーニ家の人々』(1983→上巻/下巻)訳者あとがき(1988)/同『モンテ・フェルモの丘の家』(1984)訳者あとがき(1991)(以上、河出文庫『須賀敦子全集』第6巻所収)
・『イタリアの詩人たち』(1979完結→同全集第5巻所収)より「ウンベルト・サバ」
・『どんぐりのたわごと』(同全集第7巻所収)より【翻訳】ウンベルト・サバ「詩人とはなにか」(1953/翻訳1961)


次回は第18回(第2期第6回)配本、第25巻『松尾芭蕉 与謝蕪村 小林一茶 とくとく歌仙』で会いましょう。


(千野帽子)