気晴らしが仕事になり、そして「神様」と称される。黄金期の広島カープを支えた名スカウトの人生。

写真拡大

2013年のプロ野球ドラフト会議で、ちょっとした(当該チームのファンなら号泣モノだが)感動が巻き起こった。

1位で九州共立大学(当時)の大瀬良大地を指名したのは広島、阪神、ヤクルトの3球団。そのとき、普通なら監督や球団幹部が抽選のくじを引くものだが、広島からは田村恵スカウトが前に並んだ。

そして田村スカウトは見事当たりを引き当てた。そのときの「自分が一番見続けていた」というコメントに嘘はないだろう。そして大瀬良は翌年、先発投手としてローテーションを守り、新人王を獲得した。

このエピソードから見ても、広島はスカウトを特に大事にしているという印象が伝わってくるだろう。

■広島黄金期を支えた名スカウトの存在。

広島は「育成」を大事にする球団として知られる。それは1970年代から80年代の黄金期の主力メンバーたちを見ても分かる。山本浩二、衣笠祥雄、達川光男、高橋慶彦、長嶋清幸、大野豊、津田恒実、北別府学、川口和久…名をあげればキリがない。

その原石を探し当ててくるスカウトの存在は大きい。
そして、黄金期を迎えていた広島には名スカウトと呼ばれる男がいた。

木庭教だ。

『スカウト』(後藤正冶著、講談社刊)は、1998年に出版されたプロ野球ファンならば必読の名著である(文庫版は2001年発行)。40年にわたり、プロ野球を陰で支えてきたスカウトの物語がつづられている。

■球歴は高校の野球部の「球拾い」のみ。

木庭は、1926年、現在の広島市西区観音町で生まれる。1939年、中等学校野球の名門である広島商業学校(旧制)に進学。野球部に入部するが、ほとんど「球拾い」の部員と過ごし、これが唯一の球歴となっている。

時代は太平洋戦争に突入し、もはや野球どころではなくなってしまう。広商を繰り上げ卒業して、東京の日本大学専門部に入学するが、学校に出たのはわずかだった。

木庭は徴用による工場勤務が割り当てられ、長崎、川崎の工場で働いた。川崎の工場が空襲で焼け、木庭はいったん広島に戻り、9月から兵庫・加古川の連隊に入隊することが決まる。

しかし、1945年8月6日、友人宅を訪ねに行く途中で被爆。

終戦後は、父の郷里であった岡山県に身を寄せる。農業の手伝いや証券会社に勤めた時期もあったが、前途に希望はなく、ただ生活に明け暮れる日々を送っていたという。

■気晴らしで見ていた高校野球の知識が転機をもたらす。

そんな木庭の気晴らしは高校野球の観戦だった。それが彼に大きな転機をもたらすことになる。

1954年、岡山でプロ野球のオープン戦を見た帰り道、木庭は偶然、広商時代の恩師であった久森忠男と会う。久森は当時、結成されたばかりの広島カープのマネージャー(のち事務局長)として資金繰りに奔走していた。この出会いが、木庭をカープに引き寄せることになる。スカウトというよりは趣味感覚で、木庭は有望な選手を手紙で久森に教えるようになるのだ。

やがて久森に誘われ、広島に出向いた木庭は、当時工事中だった旧広島市民球場の前でこう口説かれる。

「来年、ここにナイター球場ができるんじゃ。そうなりゃお客さんも大勢入ってくれる。これでひと安心じゃ。安月給じゃが、遅配などということはまずないと思う。ひとつ選手を見つけ出す仕事を専門にやってくれんか」(文庫版48P〜49Pより引用)

スカウト・木庭の誕生だった。1957年、30歳のときのことである。

■スカウトの神様が持っていたもう一つの「眼」。

木庭はそれから30年間カープに在籍し、黄金時代を演出する。そして、横浜大洋ホエールズ、オリックス・ブルーウェーブ、日本ハムファイターズと渡り歩き、1998年にスカウト業を引退した。

あまりスポットが当たることがない裏方であるスカウトという職業。

しかし、木庭という存在がなかったら、広島黄金時代も1998年の横浜ベイスターズ優勝も、もしかしたらなかったかもしれない。また、スカウトの現場にスピードガンを初めて持ち込んだのも木庭だ。

そんな彼はいつしか「スカウトの神様」と呼ばれるようになっていた。

木庭と3年間、同行取材を重ねて本書を書いた後藤正冶氏は、木庭についてこう語っている。

====(文庫版29P〜30Pより引用)
スカウトに必要な眼力は、この選手がプロの世界で役立つ素材であるかどうかを見極めることである。(中略)スカウトの職能はこの一点にかかっている。と同時に、木庭からはもうひとつの眼を感じるときがあった。いわばそれは、人間としての選手を見詰める眼である。(中略)そういう複眼の視線をもつことが、あるいはこのスカウトを第一級の仕事人にしたものではないかと思う日もあった。
====

木庭が離れたあとも、広島は生え抜きの名打者、名投手たちを次々と育ててきた。つい先日2000本安打を達成した新井貴浩も、FAで阪神に移籍した経歴を持つが、もともとは広島の「生え抜き」である。

才能ある荒削りの選手を獲得し、磨き上げ、そして活躍してもらう。これが広島だ。だからこそ、スカウトの眼力は特に重要になる。

「スカウトの神様」木庭教は、40年もの長い間、プロ野球、多くの選手の何を見てきたのか。また、1人の名スカウトの物語と共に、プロ野球とはどうあるべきか、ということも考えさせられる一冊だ。

(T・N/新刊JP編集部)