忌野清志郎命日5月2日。7年後のゆかりの地・国立に行ってきた
忌野清志郎は1951年東京都中野区生まれ、国分寺育ち。
78年ごろ(RCサクセション初期)まで実家や国立のアパートで暮らす。そういったわけで「国立」に関する曲もあり、清志郎ゆかりの地となっている。
清志郎命日の5月2日、国立を訪ねた。
RCサクセションのファーストアルバム『初期のRCサクセション』(1972年2月)に収録。
ファーストアルバムのタイトルが『初期のRCサクセション』。アコースティックサウンドからこの後ロック/ソウルサウンドにバンドが変化していくのを予見しているかのようで不思議。
『国立市中区3―1(返事をおくれよ)』。
曲名が住所だから探すのは簡単と思いきや、国立市に「区」の住所はない。
区、を抜いて「国立市中3―1」でグーグルマップで調べてみると桐朋学園高等学校が出てきた。
桐朋学園高等学校は清志郎の盟友・仲井戸麗市(CHABO)の母校だ。
仲井戸麗市(CHABO)がRCサクセションに正式加入したのは79年だが、この曲が出来た72年ごろすでにライブハウスで共演したりと親交があった。
(このタイトルがただの出まかせや偶然とは思えない。仲井戸麗市の反応を見ていたんじゃないだろうか…というのは勘ぐりすぎだろうか。)
RCサクセション2ndアルバム『楽しい夕べに』(1972年12月)に収録。
『高校生でレコード・デビューし、すぐにアルバム2枚を発表したRCだったが、その後、ライブの数も激減し、活動は低迷期を迎えることになった。』
『不安や苛立ち、驕りといった混乱を醒めたユーモアと逆ぎれテンションという真逆のベクトルで描いているので、青臭いを通り越して痛々しい。(中略)初期RCの閉塞感を写し取ったドキュメントのようでまた最高だ。』
『忌野清志郎〜永遠のバンド・マン』より
『ぼくの自転車のうしろにのりなよ』の歌詞には『国立』を始め、『坂を下って』『南口』『一つ橋』『大学通り』…と、国立にまつわるワードが散りばめられている。
『坂を下って』→国分寺から国立に向かうには坂を下る地形。「たまらん坂」のことかもしれない。
『南口』→国立駅南口にはかつて国立のシンボルだった三角屋根の木造駅舎があった。
『一つ橋』→一橋大学。
『大学通り』→国立駅南口を出てまっすぐに伸びる通り。桜の名所。
RCサクセション5thアルバム『BLUE』(1981年11月)に収録。
この曲が発表されたのはロックバンドとしてブレイク後の1981年。しかし作られたのは「わりと昔」だそうだ。
RCサクセションは不遇の時代を経て1979年に再デビュー、ライブパフォーマンスが評判を呼び大人気バンドに。1980年にリリースしたライブアルバム『ラプソディー』(代表曲『雨上がりの夜空に』収録)は半年以上のロングランヒット。
これは具体的にはどういう体験に基づく歌なんですか
(清志郎)「いや、住んでたんです(笑)。「多摩蘭坂」のところに家を借りて」
「20代半ばぐらいですかねえ。あの『シングル・マン』のちょっとあとぐらいだと思うんだよね」
(※「シングル・マン」1976年4月 - 3rdアルバム)
これも古い歌のわりにはときどき唄いますよね。やっぱりお好きなんですか。
(清志郎)「うん。あ、好きです。でも、これは自分の中で珍しい作りになってますよね。こう囁くように唄い出して、徐々に坂を登っていくように盛り上がってですね、途中のサビでもう大張り上げ大会んなって、最後に下っていくという。あたかも坂のようなこう(笑)」
忌野清志郎1951ー2009 ROCKIN’ON JAPAN特別号』より 1995年のインタビュー
国立駅南口を背にして左側に延びる旭通りをずずずいーっと歩いた先にあるたまらん坂。国立と国分寺の境目にある。
戦前は勾配だったそうで、人々が「たまらん、たまらん」と言って登ったことが名前の由来(諸説あり)。
現在のたまらん坂はゆるやかで簡単に登ることができた。
坂の途中に標柱があり、「BLUE」のレコードジャケットや花などが飾られていた。
ちなみに『多摩蘭坂』というのは清志郎の当て字であるが、京王電鉄バス停の名前はこの漢字表記が採用されている。
●ぼくの好きなKING OF ROCK、忌野清志郎
忌野清志郎が亡くなったのは 2009年5月2日。
7年経った今もRCサクセションの『よォーこそ』のメロディを思い浮かべて「聴きたい歌がたくさんある!」と思うし、清志郎を知らない人に聴かせたい歌もたくさんある。5月14日公開の映画『殿、利息でござる!』の主題歌になったRCサクセション「上を向いて歩こう」も大好きな歌のひとつだ。
(小西りえこ)
78年ごろ(RCサクセション初期)まで実家や国立のアパートで暮らす。そういったわけで「国立」に関する曲もあり、清志郎ゆかりの地となっている。
清志郎命日の5月2日、国立を訪ねた。
国立市中区3―1(返事をおくれよ)
RCサクセションのファーストアルバム『初期のRCサクセション』(1972年2月)に収録。
ファーストアルバムのタイトルが『初期のRCサクセション』。アコースティックサウンドからこの後ロック/ソウルサウンドにバンドが変化していくのを予見しているかのようで不思議。
曲名が住所だから探すのは簡単と思いきや、国立市に「区」の住所はない。
区、を抜いて「国立市中3―1」でグーグルマップで調べてみると桐朋学園高等学校が出てきた。
桐朋学園高等学校は清志郎の盟友・仲井戸麗市(CHABO)の母校だ。
仲井戸麗市(CHABO)がRCサクセションに正式加入したのは79年だが、この曲が出来た72年ごろすでにライブハウスで共演したりと親交があった。
(このタイトルがただの出まかせや偶然とは思えない。仲井戸麗市の反応を見ていたんじゃないだろうか…というのは勘ぐりすぎだろうか。)
ぼくの自転車のうしろにのりなよ
RCサクセション2ndアルバム『楽しい夕べに』(1972年12月)に収録。
『高校生でレコード・デビューし、すぐにアルバム2枚を発表したRCだったが、その後、ライブの数も激減し、活動は低迷期を迎えることになった。』
『不安や苛立ち、驕りといった混乱を醒めたユーモアと逆ぎれテンションという真逆のベクトルで描いているので、青臭いを通り越して痛々しい。(中略)初期RCの閉塞感を写し取ったドキュメントのようでまた最高だ。』
『忌野清志郎〜永遠のバンド・マン』より
『ぼくの自転車のうしろにのりなよ』の歌詞には『国立』を始め、『坂を下って』『南口』『一つ橋』『大学通り』…と、国立にまつわるワードが散りばめられている。
『坂を下って』→国分寺から国立に向かうには坂を下る地形。「たまらん坂」のことかもしれない。
『南口』→国立駅南口にはかつて国立のシンボルだった三角屋根の木造駅舎があった。
『一つ橋』→一橋大学。
『大学通り』→国立駅南口を出てまっすぐに伸びる通り。桜の名所。
多摩蘭坂(たまらんざか)
RCサクセション5thアルバム『BLUE』(1981年11月)に収録。
この曲が発表されたのはロックバンドとしてブレイク後の1981年。しかし作られたのは「わりと昔」だそうだ。
RCサクセションは不遇の時代を経て1979年に再デビュー、ライブパフォーマンスが評判を呼び大人気バンドに。1980年にリリースしたライブアルバム『ラプソディー』(代表曲『雨上がりの夜空に』収録)は半年以上のロングランヒット。
これは具体的にはどういう体験に基づく歌なんですか
(清志郎)「いや、住んでたんです(笑)。「多摩蘭坂」のところに家を借りて」
「20代半ばぐらいですかねえ。あの『シングル・マン』のちょっとあとぐらいだと思うんだよね」
(※「シングル・マン」1976年4月 - 3rdアルバム)
これも古い歌のわりにはときどき唄いますよね。やっぱりお好きなんですか。
(清志郎)「うん。あ、好きです。でも、これは自分の中で珍しい作りになってますよね。こう囁くように唄い出して、徐々に坂を登っていくように盛り上がってですね、途中のサビでもう大張り上げ大会んなって、最後に下っていくという。あたかも坂のようなこう(笑)」
忌野清志郎1951ー2009 ROCKIN’ON JAPAN特別号』より 1995年のインタビュー
国立駅南口を背にして左側に延びる旭通りをずずずいーっと歩いた先にあるたまらん坂。国立と国分寺の境目にある。
戦前は勾配だったそうで、人々が「たまらん、たまらん」と言って登ったことが名前の由来(諸説あり)。
現在のたまらん坂はゆるやかで簡単に登ることができた。
坂の途中に標柱があり、「BLUE」のレコードジャケットや花などが飾られていた。
ちなみに『多摩蘭坂』というのは清志郎の当て字であるが、京王電鉄バス停の名前はこの漢字表記が採用されている。
●ぼくの好きなKING OF ROCK、忌野清志郎
忌野清志郎が亡くなったのは 2009年5月2日。
7年経った今もRCサクセションの『よォーこそ』のメロディを思い浮かべて「聴きたい歌がたくさんある!」と思うし、清志郎を知らない人に聴かせたい歌もたくさんある。5月14日公開の映画『殿、利息でござる!』の主題歌になったRCサクセション「上を向いて歩こう」も大好きな歌のひとつだ。
(小西りえこ)