橋下氏は「新潮45」記事の筆者を「俺の精神鑑定を8流雑誌で勝手にしやがった8流大学教授」と罵倒した

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大阪市の橋下徹市長を激しく批判する論客のひとりとして有名なのが精神科医の香山リカ氏だ。香山氏が橋下氏を診察もせずに「病気だと診断」したとして、橋下氏からツイッターで「サイババか!」と罵倒されたこともあった。

その橋下氏を非難する記事をめぐって、別の精神科医が訴訟を起こされて1審で敗訴した。香山氏との違いはどこにあるのだろうか。

橋下氏の高校時代の先生の証言を根拠に「診断」

橋下氏が問題視したのは、橋下氏の大阪府知事時代の11年10月に発売された「新潮45」11年11月号に、精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏が「大阪府知事は『病気』である」と題して寄稿した記事だ。この号では「『最も危険な政治家』橋下徹研究」と題した大特集が組まれており、野田氏の寄稿はその一部だ。記事は

「挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情――それらから導き出せるのはある精神疾患である」

というリード文で始まり、

「橋下青年の高校生の頃を最もよく知る先生」

が橋下氏の高校時代を

「嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束をはたせない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す。人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった」

などと解説。この発言を踏まえて、野田氏は橋下氏について

「これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者(C・K・シュナイダーの10分類のひとつ)に振り回されてはならない。WHOの分類(ICD10)を使えば、演技性人格性障害と言ってもいい」

と分析している。野田氏の記事中の説明によると、演技性人格性障害には(1)自己の劇化、演劇的傾向、感情の誇張された表出(2)他人に容易に影響を受ける被暗示性(3)浅薄で不安定な感情性(4)興奮、他人の評価、および自分が注目の的になるような行動を持続的に追い求めること(5)不適当に扇情的な外見や行動をとること(6)身体的魅力に必要以上に熱中すること、の6つの特徴がある。

野田氏は、橋下氏は「(2)をのぞいて5項目が当てはまる」と評価。これに前出の「嘘を言う、バレても恥じない、信用できない」という評価を加味した結果として

「彼の言葉をまともに受け止め対応していけば、常に彼の内容空虚性に突き当たるのである」

と結論づけた。

判決は「客観的な証拠なく真実と認められない」

この記事に対して、橋下氏は発行元の新潮社などに1100万円の損害賠償を求めて提訴。その判決が15年9月29日に大阪地裁(増森珠美裁判長)であった。判決では、客観的な証拠がなく真実と認められない上、真実と信じた相当の理由もないとして「橋下氏の社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容」だと評価。新潮社側に110万円の支払いを命じた。

「新潮45」の記事から約10か月後の12年8月、野田氏は橋下氏のツイートに1回だけ登場している。維新の会の政治塾に公務員が参加していることを問題視する論調に橋下氏が反論する中で、

「頼んでもいないのに俺の精神鑑定を8流雑誌で勝手にしやがった8流大学教授が勉強不足を露呈していた」
「この大学教授は光市母子殺害事件の加害者について、母体回帰説なる珍説を唱え、無罪の根拠とし、このことが最高裁で反省の欠如と断罪され死刑となった。母体回帰説なる珍説を唱えた責任など微塵にも感じない俺の最も嫌いな無責任学者だ。野田正彰氏。もう評論家になったのか」

と罵倒していた。この時点で、かなり腹に据えかねていたようだ。

香山氏は当時の連載で「病気だとは言っていない」

では、香山氏の場合はどうか。橋下氏は2012年1月、ツイッターで

「香山氏は、一回も面談もしたことがないのに僕のことを病気だと診断してたんですよ。そんな医者あるんですかね。患者と一度も接触せずに病名が分かるなんて。サイババか!」

などと非難。これに対して香山氏は直後にダイヤモンド・オンラインの連載で、

「私は、橋下さん個人が病気だとは言っていません。確かに、大阪市長選挙の際は反対陣営の平松さんを応援する中で、これまでマスコミで報じられている橋下さんの特徴を分析し、そこに見られる心理的傾向を類推する発言はしました。それでも、橋下さんご自身を病気だと『診断』したわけではありません」

と反論している。

橋下氏は、香山氏のどの発言が「診断」にあたるかは明示していない。ただ、香山氏は11年9月17日に開かれた橋下氏を批判するシンポジウムで「病理」という言葉を使っている。香山氏の発言は薬師院仁志氏、山口二郎氏との鼎談(ていだん)の中で出た。この鼎談を収録している2011年11月発行の「橋下主義(ハシズム)を許すな!」(ビジネス社)によると、香山氏は「丁か半か」といった二項対立の構図に持ち込む橋下氏の手法を指摘しながら、

「そういうやり方に対して、迷ったすえにやっぱりそっちが正しいんじゃないか、みたいなためらいを含んだ曖昧さではなく、バトルの構図の中でどっちを取るのかと迫ってくる方が、魅力的に見える。そういうふるまい方というのは、私たち精神科医からすると、ある種の危機や不安を抱いている病理のひとつの証拠だと思えてしまいます」
「つまり黒か白かという判断しかできない人たちを見ると、私たちは、ああこの人自身が今かなり不安に心を占拠されてるんだなと。精神医学的な病理を感じてしまいます」

と述べている。「病理」という言葉は、橋下氏の人格そのものではなく、橋下氏をめぐる社会的状況のことを指しているようにも読める。この点が野田氏との大きな違いだと言えそうだ。