海上自衛隊クルーが語るYS-11
引退した海上自衛隊のYS-11M/M-A。運用する側として身近に接してきたクルーにとって、どのような飛行機だったのでしょうか。第61航空隊の皆さんに、下総航空基地でお話をうかがいました。
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■パイロット:前屋3佐
第1航空隊(鹿児島県・鹿屋航空基地)で哨戒機P-3Cのパイロット、そして今はなき第205教育航空隊(千葉県・下総航空基地)のYS-11パイロットなどを経て、現在の第61航空隊に在籍している前屋3佐。YS-11の特徴として、操縦系統に油圧などの補助がなく、昔ながらの操縦索(ワイヤー)で直接昇降舵(上下方向を操る)や方向舵(左右の向きを操る)、補助翼(左右の傾きを操る)を動かす「人力操縦」する最大級の機体というのがあります。民間航空会社のパイロット達も「舵が重い」と評していますが、印象はどうなのでしょうか。
「やっぱり重いですね。全体的に重いので、気流が安定してまっすぐ飛んでる時はそうでもないんですけど、気流が乱れたところを抑えてやろうとするともう、腕がパンパンになりますね。着陸の時も、風に流されるのを止めようとすると、相当な力を入れないと曲がってくれないので……。エルロン(補助翼)が一番キツいですね」
静安定性が強く、普段はどっしりとまっすぐ飛んでくれるのですが、意図的に動かそうとすると力がいるのだとか。
「61航空隊のYSはオートパイロットがついているんですが、(以前あった)205教育航空隊のはオートパイロットがなく、常に人力操縦だったので、4時間の訓練飛行で、あまりに疲れるので30分ごとに操縦を交代するようにしていました」
展示飛行で小回りを利かせたりする時は「ワイヤーが切れるんじゃないかって心配になるくらい力を入れないと、曲がってくれない」とのことで、地上では想像できないような格闘がコクピットで繰り広げられてるんですね……。
「通常、航空機の舵の特性としては、低速ではスカスカに(軽く)なるようになってるんですが、YSは変わりませんね。いつでも重い(笑)」
また離着陸時、特に着陸時にも特徴が。
「上昇もしないんですけど、降りるのも降りてくれない(笑)。第61航空隊のYS-11Mは与圧がついてるので、突っ込む(機首を下げて降下する)ことができるんですが、205教育航空隊で使ってたYS-11Tは与圧がついてないので、それをすると急激な気圧の変化で耳がついていかないため、人間の面でも『降ろせない』飛行機でしたね。……多分、主翼が長いので、グライダー的な性能が高いんじゃないかと思うんですよ。長年日本の空を飛んでて、急激に動けないとかYSの特徴を判ってくれてるんで、管制官も察して丁重に扱ってくれます。早めに降下指示を出してくれますし、なかなか上昇していかないのも、向こうも判ってくれてるみたいで急かしたりしません」
通常、管制官とのコミュニケーションというのは簡潔に行われているものですが、交信の言葉にはのらない部分での配慮や、温かみというのがあるようです。
■機上整備員(FE:フライトエンジニア):濱田1曹
エンジンや機械、電気系統など、飛行中における操縦以外の部分を担当している濱田1曹。始めからYS-11のFEを希望し、教育期間終了後はずっと第61航空隊でYS-11と過ごしてきた、YSのオーソリティーです。一般に「YSはパワー不足に泣かされた」という話が定着していますが、実際に運用している中ではどう感じているのでしょうか。
「まあ、古い機体ですから、製造当初に較べればパフォーマンスも低下していると思うんですよ。でも、そこがYSの味で、いい機体だなって思うんですよね」
始めからYS-11を希望しただけあって、愛着も深いようです。
「素晴らしい機体だと思います。やっぱり日本人が作って、全般的にアナログ……デジタルでない所が好きですね(笑)。計器もそうですし、(操縦が)人力っていうのもそうですし」
■機体整備員:鬼木士長
鬼木士長は第205教育航空隊から第61航空隊と、YS-11一筋に過ごしてきました。自分の年齢より遥かに年上の機体の整備についてうかがいます。
「(整備を学ぶ)術科学校ではP-3Cをベースにして学ぶんですけど、P-3Cで学んだことががYSに通用するかっていうと全然違う。整備の参考にする図書(取扱説明書)にしても、P-3Cは全国の部隊が運用していることもあって、取扱説明書がちゃんとしてるんですよね。YSの場合はウチしか保有していない機体なんで、調子の悪い箇所があった時、取扱説明書を見てみると、載っていても見づらかったり、説明書と同じもの(部品)がついてるかというと違う、パーツナンバーも違う……ってことが多いですね」
飛行に関しての取扱説明書は、民間航空会社と同じく製造メーカーの日本航空機製造(NAMC)が作成したものを使用しているそうですが、整備に関する取扱説明書は海上自衛隊で独自に作成したものだそうです。使用する部隊が少なかったため、改訂が進まなかったのかもしれません。
「だから逆に、図書(取扱説明書)に書いてあることよりも、ベテランの人達がいっぱいいるんで、その人達の知識の方が図書よりも分厚いですね」
機体の特徴はどうでしょうか。開発過程の機体疲労試験で、機体より先に試験設備が壊れたという伝説を持つほど、頑丈さには定評のあるYS-11ですが、特に注意している点についてうかがいます。
「基本的に夏と冬、冷暖房が必要な時期には空調関係が悪くなることが多いので、それには注意しています。それ以外には特に……頻繁に脚(タイヤ)交換をするぐらいで、大きな不具合はありません。頑丈ですね」
■機上通信員:中2曹
1997(平成9)年に機上通信員となった中2曹。具体的にどのような職種なのでしょうか。
「機上通信のうち、管制官とのやり取り以外、現在位置の通報や気象の実況を確認したり……というのが主になります。それ以外に、周囲にメッセージを発する必要がある場合は、それを担当します。また、隊内で飛んでいる他のYS-11(隊内で飛んでいる別の機体)の交信も聞いていて、どのような状態(目的地に無事到着した等)であるかを確認したりもしています」
かつてはテレタイプや暗号通信など、パイロットが操縦と同時に行うことが困難なものが多かった為、専門に取り扱う職種として機上通信員が誕生したのですが、現在では通信機器の発達により多くのものが自動化され、パイロットが全ての機上通信を担当できるようになりました。最後まで乗務を必要としていたYSが引退すると、この職種もなくなってしまい、他の機種へと転換を余儀なくされます。
「YSが無くなるので、次の飛行機に乗るための勉強を一からしなければなりません。でも、それは楽しみでもあります。知らない職種になれるっていうのは、キツいんでしょうけども楽しみな面でもありますね。自分の現役の間は(航空機)搭乗員でいたいと思っていますので、そう(搭乗員で)ありたいな、と思っています」
■帰還不能点を超えて――小笠原へのフライト
第61航空隊の輸送任務で良く知られているのが、硫黄島を経由して日本最東端の南鳥島へと向かう「小笠原定期」です。厚木から硫黄島まで約1200km。南鳥島はそこからさらに約1300km。
通常、飛行機が飛ぶ時は、天候やその他の理由で目的地の飛行場に着陸できない場合に備え、代替着陸地(オルタネート)を用意し、また用意しない(できない)場合は出発地に戻ることを義務付けられます。しかし、硫黄島や南鳥島の周辺1000km近くの範囲には飛行場が存在しません。このため、着陸不能ならば出発地に戻ることになるのですが、YS-11の航続距離(空荷で最大2200km)では、往復するには少々足りません。途中で引き返せるポイント(帰還不能点)を超えた飛行になるのです。
「運行に関しては、きっちり基準の数値を決めています。厚木離陸時の硫黄島の天候と到着時の天気予報、両方がクリアでないと出発しません。真ん中(離陸2時間後)で意思決定をする時も同じなんですが、今の天候と到着予定時の天候がクリアでないと引き返します。行けるか行けないか、1かゼロかの世界なので、あまり悩みはしませんね。逆に帰ってくる時には、厚木がダメでも色々な飛行場が(周囲に)あるので、あまり心配しないで飛ぶことができます(パイロット:前屋3佐)」
また、定住者のいない無人島なので、食料や飲料水等、生活に必要なものは全て輸送する必要があります。国際宇宙ステーションや、南極の越冬基地と同じですね。このため、輸送する貨物量も通常より多くなります。
「座席を取っ払います。通常は40席あるんですが、これを半分の20席に減らします。人もあまり乗らないので、座席の分の重さを軽くし、燃料をその分いっぱい積むのと、食料品等をまとめて運ぶ必要があるので、貨物室を広げるのと、2つの理由からですね(パイロット:前屋3佐)」
後継となるC-130Rは航続距離にも余裕があり、十分に往復が可能なため、この帰還不能点を超えるフライトはなくなります。
インタビューを終えた後、部屋にあったYS-11Mのダイキャストモデル(全日空商事が企画・制作した200分の1シリーズのひとつ。絶版)を手に、皆さん色々と話が弾みます。YS-11M/M-Aは、納入時期の関係でベースとなった型等に違いがあり、それぞれ微妙に仕様が異なるそうで、モデルは41号機となっていますが「ここは42号機のになってるね」など、細かな相違点を見つけていたのが印象的でした。いつも実機に接している人ならではの、思い入れの強さを感じさせる光景でした。
(取材・文責:咲村珠樹/取材サポート:伊藤真広)