史上最大の電波ジャックとして今も語り継がれる「マックス・ヘッドルーム事件」とは?
テレビにおける電波ジャックで最も有名なのは、アメリカ・シカゴで起こった「マックス・ヘッドルーム事件」です。誰が何のためにテレビ放送をハッキングしたのか現在も謎であるこの事件は、四半世紀を過ぎてもなお多くの人の関心を集めています。
The Mystery of the Creepiest Television Hack | Motherboard
http://motherboard.vice.com/blog/headroom-hacker
1987年11月22日午後9時16分、シカゴのWGN-TVが放送する「The Nine O'Clock News」で突如として映像が途切れ、サングラスをかけたマスクの男が不気味に笑いかける映像が流されました。
この不気味なマスクのキャラクターは、イギリス「チャンネル4」が製作したCGキャラ「マックス・ヘッドルーム」であり、突然現れた不思議な映像に、テレビを視聴していたシカゴ市民だけでなく、番組関係者も戸惑うばかり。この時の混乱ぶりは、番組コメンテーターのダン・ローン氏の「何が起こったかと思ったでしょう?私もです」というコメントと苦笑いから伺うことができます。
この奇妙な放送事故からちょうど2時間後の午後11時15分、WTTWが放送中のドラマ「ドクター・フー」に再びマックス・ヘッドルームが現れます。
WTTW Chicago - The Max Headroom Pirating Incident (1987) - Original Upload - YouTube
ドラマの途中でマックス・ヘッドルームが登場。
初登場時と異なり今回は音声もあり。ただし、しゃべっている内容の半分くらいは意味不明。
アニメ「Clutch Cargo」のテーマソングを口ずさみ……
首を振りまくってノリノリです。
「俺の兄弟は違うのをはめてるんだけどね」と言いつつ、汚いグローブを取り出します。
画面が切り替わるとマスクを外すマックス。画面右には蝿叩きのようなものを手にする女性の姿。
お尻を出したマックスを女性がパチパチたたくというなんともシュールな光景。
マックスによる2度目の電波ジャックは、1分22秒という長時間におよび、放送局では視聴者からの電話が鳴り止まなかったといいます。この放送事故(マックス・ヘッドルーム事件)は、翌日の全米各局のニュース番組にこぞって取り上げられ、「VIDEO PIRATE」と名付けられた謎のマスク男は世間の注目を一身に集めることに。
アメリカの放送電波規制に責任を持つ連邦通信委員会(FCC)と連邦捜査局(FBI)はただちに捜査を開始し、マックス・ヘッドルームによる電波ジャックは、放送に対する専門的知識を持つ者による犯行であることが判明します。放送局は、映像を広い範囲に送信するために、スタジオのある高層ビルから各地にある送信機に信号を送り届けるスタジオ送信機リンク(STL)というシステムを構築していたところ、ハイジャック犯は、STLのマイクロ波を圧倒する高出力の周波数を持った信号を浴びせることで、放送局ビルの送信機を混乱させ自身の信号を送信させることに成功していたとことが明らかになりました。
FBIは、「犯人は技術に精通した人物、おそらくは放送技術者である」と断定したものの確たる証拠をつかむことはできませんでした。マックス・ヘッドルーム事件のFBI捜査報告書をまとめたマイケル・マルコス氏は当時を振り返り、「マックス・ヘッドルーム事件は、人が死んだわけではなく損害らしい損害もなかったため危険性は高く評価されず、捜査のリソースが少なすぎました」と悔やんでいます。
結局、犯人が見つかることはなく、史上最大の放送事故として語り継がれる「マックス・ヘッドルーム事件」は、四半世紀を過ぎた現在においても謎の事件とされており、インターネットではその犯人捜しが今でも盛んに行われています。
クラシック・シカゴテレビ・ミュージアムの創立者であるリック・クライン氏は、マックス・ヘッドルーム事件について映画ウォー・ゲーム以来の衝撃的なものであったと話します。事件当時13歳だった彼は、事件を録画したビデオテープをワクワクしながら何度も再生したと言います。クライン氏は、マックス・ヘッドルーム事件のムービーをYouTubeにアップロードしたところ、現在までに200万回以上再生されているそうで、いまだに事件に対する関心が大きいことが明らかになっています。クライン氏は、マックス・ヘッドルーム事件の犯人捜しを現在も行っているとのことです。
インターネット上では犯人に関する真偽不明のさまざなま情報があふれかえっています。最近話題になった情報源は、redditに書き込まれたボウイ・J・ポーグと言うハンドルネームのプログラマーの奇妙な体験談です。現代で言う「オタク少年」であったポーグ氏は、マックス・ヘッドルーム事件が起きた当時、よく地元シカゴのハッカーの集いに参加していて、そこでJとKと名乗る兄弟と出会ったことを印象的に覚えているそうです。電話会社で働いているという社交的な兄Kとは対照的に、内に閉じこもるタイプの弟Jは、色眼鏡をかけた異様な姿で話し方も個性的でしたが、非常に知的で電波や電子工学に対する膨大な知識を有していました。
マックス・ヘッドルーム事件が起こった1987年11月22日、ポーグ少年は、K・J兄弟のアパートで開催されたオタク集会に参加したところ、Jの周りに人が集まり盛り上がっている様子でしたが、話題には入ることができませんでした。散会してからKにその話題について尋ねると、「今夜遅くまで11チャンネルを見ておくんだよ」とだけ告げられたそうです。11チャンネルに現れたマックス・ヘッドルームを見たときに、ポーグ少年はそれがJの仕業であるとすぐに分かったと言います。
クライン氏は、ポーグ氏の投稿は何も事実を証明するものがないことから取るに足らない情報だとしつつも、このような犯人に関する情報を大歓迎しているとのこと。それは、一つの情報に刺激を受けた誰かがより有用な情報を出すかもしれないからです。クライン氏は、恐らく犯人はテレビ関係者であるとしつつ、「事件当時は、うかつなことを話せば職を失いかねないという危機感から秘密が漏れてこなかったとしても不思議ではありません。私はこのミステリーが解決できると信じています」と話しています。