今週末に高校サッカー選手権は決勝戦を迎える。そんな折に、気になるニュースが飛び込んできた。大阪のバスケットボールの強豪校において、顧問の先生の体罰により、キャプテンが自殺してしまったというものだ。非常に痛ましい事件だね。自ら命を絶つ決断をした、あるいは命を絶つまで追い詰められた少年の気持ち、遺族の気持ちを思うと本当にやりきれない。
 
今回、被害生徒の自殺ということで白日の下にさらされることになったわけだけど、こうした体罰自体はもう何年も続いてきたものだろう。今いきなり起こった事件ではなくて、もうずっとそこにあった問題である。同窓会になれば、OBたちが懐かしくその指導を語ったりもするのだろうし、実際先生を擁護する声もあると聞く。
 
自殺して初めて調べるのではなく、今すぐにすべての学校を調べたら、同じような事例は枚挙に暇がないだろうね。人によっては耐える、人によっては耐えられない。それが現実だね。
  
「体罰」は、日本の教育の中で常に論じられてきた問題だ。精神と体の修練という目的で生まれた日本の体育スポーツの中では、熱血指導と体罰は紙一重で、それを美化する人もいる。特にかつての日本ではそうした文化が当たり前だった。僕もかつて少年サッカーの指導で各地を回ったけど、実際に目撃したこともあるし、今回の先生も、自分が学生の頃にそうした指導をされてきたのかもしれない。
 
現在はかつてと比べて社会が変容し、子どもたちの精神構造も大きく変わってきた。『巨人の星』や『スクールウォーズ』に代表されるような、鬼監督というあり方が、なかなか受け入れられなくなってきている。先生たちだけが昔のままで、社会や子どもたちが変わっていっていると言うこともできる。この先生が正しいとは思わないけれど、赴任した当時、18年前だったらまた違う結果になっていたのかもしれないとも思う。とにかく悲しい事件だよ。
 
坊主にして、整列する。走れと言われれば倒れるまで走って、水を飲むなと言われれば飲まない。こうした従わせる教育というのは、国際的にはなかなか理解されない文化だ。ブラジルで同じことがあったら、先生と生徒が殴り合いになるだろう。
 
時代が変容し、最近では先生もおちおち手をあげられないという話をよく聞くけど、今回の一件は、まだまだ氷山の一角だと思う。今行われている高校サッカーの現場でも、まだ根強く残っているよ。
 
すべてが悪いわけではない。けれど、学校単位でスポーツをする、体育の延長線上としての部活動という形も、もしかしたら変革のときを迎えているのかもしれないね。そうすれば、僕が口を酸っぱくして言っている補欠という無駄も解消できるかもしれない。いろいろな角度から、少年少女たちの指導現場というものを見直さなければならないね。