中国共産党系のニュースサイト、人民網は27日付で、日本維新の会の石原慎太郎代表の「優秀な武器を作ってどんどんシナに売ればいい。技術が全然違うんだから」、「一番大きな抑止力になる」との発言に猛反発する記事を掲載した。(写真は「CNSPHOTO」提供。靖国神社に参拝する石原慎太郎氏。2012年8月15日撮影)

写真拡大

 中国共産党系のニュースサイト、人民網は27日付で、日本維新の会の石原慎太郎代表の「優秀な武器を作ってどんどんシナに売ればいい。技術が全然違うんだから」、「一番大きな抑止力になる」との発言に猛反発する記事を掲載した。(写真は「CNSPHOTO」提供。靖国神社に参拝する石原慎太郎氏。2012年8月15日撮影)

■「靖国参拝問題」写真特集

 石原代表は、故・三木武夫元首相の武器輸出三原則について「ナンセンス」と批判。「優秀な武器を作ってどんどんシナに売ればいい。技術が全然違うんだから」、「一番大きな抑止力になる」などと発言した。

 人民網は石原代表を「狂妄石原」と罵倒(ばとう)。中国への武器輸出発言については「失神発言」と酷評した。中国を「シナ」と呼んだことにも「蔑称(べっしょう)を使った」として反発した。

**********

◆解説◆ 日本人が「支那(シナ)」の呼称を使い出したのは江戸時代から。中国は王朝により国号が変わることもあり、通時代的な呼称として、それまでは「唐土(とうど)」、「もろこし」などと呼んでいた。

 新井白石(1657−1725)らが日本に漂着した西洋人を取り調べ、国際的には中国が「チーナ」などと呼ばれていると知った。英語の「Chaina(チャイナ)」も「チーナ」系の呼称だ。白石らは「チーナ」の語源を調べ、漢訳仏典にあった「支那」と知った。

 日本では「中国」を「支那」と呼ぶことが徐々に広まった。明治時代以降に日本に留学した「清国留学生」も、自国を「支那」と呼ぶことが珍しくなかった。孫文も早い時期には自国を「支那」と呼んだ。

 辛亥(しんがい)革命により成立した「中華民国」は日本に対して、自国を「中華民国」、「中国」と呼んでほしいと要請したが、日本側は無視した。戦後になり、改めて中華民国の要請にもとづき、「支那」の呼称は日本の公式文書から消え、民間でもあまり使わないようになった。

 中国人が「支那」の呼称を嫌うのは、過去の歴史の関係で「蔑称」とのイメージがあることが大きな原因だ。また、「支」と「那」の文字の意味が悪いことも反発する理由という。

 「支那」の語源は「秦」との説が有力。「秦」などとしなかったのは、仏典を漢訳したのは「秦」よりもかなり後の時代なので、「チーナ」が自国を指すとは気づかず、当て字を使った可能性がある。中国は歴史的に周辺国や周辺民族の名称を漢訳する際、自分たちより劣っている国や民族として、「よくない文字」を使うことが多かった。(編集担当:如月隼人)