昨年Jクラブからオファーを受け、ほぼプロ入りが決まりかけていた高校生が「もうサッカーはいいよ」とスパイクを脱いだ。高校生活3年間に及ぶ理不尽な練習の連続と、チーム内での苛めが原因で、心身ともに疲弊してしまったそうだ。

似たような事例は、次々と耳に入ってくる。Jクラブのジュニアユースから近隣の強豪高校へ進んだ選手が、2年連続して途中で退部してしまった。相変わらず選手権になれば、痛み止めを打ってピッチに立つ選手が後を絶たず、それが当たり前の美談として伝えられる。
 
理不尽が選手を伸ばす。それが多くの強豪高校の“名将”たちの考え方だ。確かに今から半世紀近く前の東京五輪の頃には、根性が美徳とされ、極限を超えるかのような無茶なトレーニングが流行し、地の利も手伝って一定の成果は得た。

だがそれから半世紀の間に、スポーツのトレーニングには科学も心理学も栄養学も導入され、もはや根性だけでは国際競争を勝ち抜けないことなど自明の理だ。

1979年に日本開催のワールドユース選手権(現U19ワールドカップ)で代表チームを率いた松本育夫監督は、やはり常識を超えた練習量で鍛え抜いたが、大会後に欧州で研修を積み深く反省したという。もっと合理的な練習で、戦術的に突き詰めることが出来れば、好成績を残せたのに、と悔やんだそうだ。

サッカーは、地球上で最も競争率の高いスポーツである。世界中のクラブが競って、効率的な戦術、メニュー、体作り、心理的サポート等を追求しているのだ。吐いても倒れても睡眠不足でも走らせるようなしごきで、太刀打ち出来るはずがない。

もちろん高校の中にも、日々研究を怠らず、なんとか世界の潮流に即した指導を心がけている熱心な監督、コーチもいる。だが概して名将の下で大量部員を抱え込み寮生活を送らせる強豪校では、50年近くも時計が止まっている。

確かにエリートはJクラブのユースに流れている。しかし高校にもタレントがいることは、日本代表メンバーが立証している。そのタレントが次々に潰されてしまう危機に晒されている。

一方で多くのサッカー少年は高校で現役を退くことになるが、最終段階で旧態依然とした理不尽な練習ばかりが続けば、彼らはサッカーに辟易して背を向けてしまうだろう。そして彼らが自分の子供たちにサッカーの楽しさを伝えていかなければ、裾野は広がっていかない。つまり高体連の実情は、強化、普及の両面から見ても、日本サッカー発展の大きな足かせになっている。

もちろん日本協会も、そんなことは重々承知しているはずだ。だがそれでいて具体的なアクションが見えて来ない。こうした状況を踏まえると、やはり日本の育成改革を主導できるのは、利害なく発言できる外国人なのかもしれない。日本の未来を思えば、それは代表監督以上に重要な役割という考え方も出来る。