福原美穂(撮影:野原誠治)
 今年2月、デビュー前にして日本人として初めて米・ロサンゼルスの黒人教会にてパフォーマンスを披露し、黒人教会220年の歴史を変える“奇跡の子”と称された福原美穂。今月5日には現在、au「LISMO」CMソングとして大量オンエア中のサードシングル「優しい赤」を発売。「愛しているよ だから捨てる」と始める同曲は、自身を育んだ故郷・北海道に対する感謝と愛情を感じながらも、捨てる決意をもたなければ単身東京に旅立てなかった当時を描いた本人作詞による楽曲となっている。

――福原さんが故郷の北海道から東京に出てこられてから、どれくらい経ちましたか?

福原美穂(以降、福原):まだ、一年経ってないですね。

――東京で暮らし始めて、北海道のことを思い出すのはどんな時ですか?

福原:東京の空を見て、北海道の夕日を思い出したり、空とか自然から受けて北海道のことを思い出すことはすごく多いですね。

――「優しい赤」の歌詞を見ていても、福原さんにとって家族はとても大切な存在なのだと感じますが、福原さんを育ててくれてたご両親はどんな方ですか?

福原:お母さんもお父さんも含めて、やっぱりいい思いだけでは全くなくて。笑って過ごしていたわけでも全然なくて、泣いたことの方がすごく多かったし。でも、怒るのも全部含めて、それが両親の愛情だったな、ってすごく感じていて。変な話、ご飯を毎日ちゃんと作ってくれたというか、そこに手を抜くことは無かったですね。自分が一人暮らしをしてみて初めて、毎日自分の食べるものを作ることとか、生活の中でこんなにも大変だったんだ!?と感じることを、お母さんとお父さんは毎日やっていたんだって尊敬したり、両親の愛情を感じましたね。

――ご両親の血を、自分が受け継いでいるなって感じる部分はありますか?

福原:お父さんは音楽が大好きで、昔ちょっと歌っていたので、そこは絶対に父の血を引いてるなって。お母さんはとにかく仕事をする人で、父よりも働いているイメージがあって、そういう強さは今から似ていったらいいなと思う部分です。でも、やっぱり父の方に似ていると思いますね。何かあった時は全部お母さんにいくんですけど、最近はお父さんとの方がコミュニケーションを上手く取れるようになってきたのは感じますね。

――家族以外の人からは、自分のことをどんなタイプの人だと言われますか?

福原:「人の話を聞いていない」というのは重症だと思うんですけど、言われます(笑)。あと、次々と目に入ってくるものに衝動的に動いて、話がすごく飛ぶので、一緒に遊んだりする友達とかには「本当に話が飛ぶよね」って言われますね。

――「優しい赤」の歌詞に「行かなきゃ 描いた未来へ」という部分がありますが、歌手を目指した時に、こういう歌手になりたいといった、将来の理想のイメージはありましたか?

福原:好きなアーティストとかいっぱいいるんですけど、私が好きなアーティストは人間力と言うか、生きているパワーをすごく感じるんです。イメージですけど、アレサ・フランクリンみたいな何事も笑いに変えていける、寛大な感じというか。シンガーとしてはもちろん、女性としてもすごく尊敬する人ですね。

――その時代の音楽をルーツとして聴いていたんですか?

福原: 70年代後半はあんまり聴かなかったんですけど、60年代から70年代前半の15年ぐらいは大フィーバーな感じですね。