医師の小松秀樹さんが報道のあり方も分析した「医療崩壊」と「慈恵医大青戸病院事件」

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   産婦人科医や小児科医だけでなく病院から勤務医が次々と去って行く。こうした医療現場の厳しい実態は「医療崩壊」と呼ばれ、関心が高まっている。激務で休みが取れない、といった問題だけでなく、医療ミスを巡っての「マスコミの魔女狩報道」が原因のひとつだ、という指摘も出てきた。マスコミの報道姿勢を問う本が出版され、医師の専用のブログはマスコミを呪う発言で満ち溢れている。

 「感情的論理に基づく報道だった」

「(医師逮捕の)報道は論理的でなく悪意に満ちている」

   虎の門病院泌尿器科の小松秀樹部長(57)は2006年春に出版した「医療崩壊」の中でこう指摘している。厚い本ながら3万6,000部以上も売れている。この本は様々な角度から医療の危機的状況を分析している。
   腹腔鏡下手術を受けた前立腺がん患者(当時60)が死亡したとして、03年9月に東京慈恵会医科大付属青戸病院の医師3人が逮捕された事件などを例に、医療ミスの際の報道を分析している。「細部にわたり事実かどうかを検証する誠実さがあったのか」と疑問を投げかけている。

    医療過誤を巡ってはその後、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が手術室で死亡した件で2006年2月、執刀医が業務上過失致死などの容疑で逮捕された。

   小松部長は、前著「慈恵医大青戸病院事件」でも詳しく青戸病院事件の報道の論理を分析している。J-CASTニュースの取材に対し、小松部長は「断片的な議論は誤解を招く恐れがある」と慎重な姿勢を示した上で、青戸病院の医師逮捕事件を中心とする報道問題について以下のように答えた。

――何をしたから罪になったのかの線引きがあいまいなまま、「大衆メディア道徳」とでもいうべき現場の実情とかけ離れた感情的論理に基づいて、結果が悪ければ医者がけしからんという報道だった印象だ。医療は本質的に不確実であり、ベテラン医師の手術でも患者が死に至ることはある。青戸病院では、準備にそれなりの努力がなされていた。普通に輸血が行われていれば患者が死亡することはなかった。患者への説明内容が文書として残されていなかったことも、説明不足として、医師側の「けしからん」点の柱の一つと報道されたが、逮捕は当然とでもいうような文脈で使って良かったのか。輸血が遅れたことは、確かに非難されるべきことだ。これについては、民事上訴えられても仕方ないと思う。しかし、輸血は執刀医の問題ではない。当時、青戸病院では輸血システムに明らかな問題があった。また、術中の輸血は麻酔医が管理すべきものである。執刀医が逮捕されて当然とはならないはずだ。民事に比べ刑事責任を追及されるのは、医師にとって格段に重みが違うのに、報道にその差を真剣に考える姿勢はないと感じた。
こうした報道の姿勢が医師たちを萎縮させ、危険を伴う治療を避け、難しい手術が回ってくる科や大規模病院を敬遠する「立ち去り型サボタージュ」と言える流れを加速させている。事件の件数は多くないが、衝撃の度合いは大きい。警察や検察、裁判所の考え方にも報道が影響を強く与えているとも感じている。

   ネット上で、小松部長の著書「医療崩壊」についてのいくつかの書評欄を見ると「たぶん勤務医の全員が納得の一冊です」という声も、「医者側の勝手な論理だ」という批判もある。小松部長は「賛成も反対も両方の意見を歓迎しています」。検察関係者らと意見交換する機会も多いが、好意的な意見が多いそうだ。

「たぶん勤務医の全員が納得の一冊です」

   マスコミ報道に対する批判は小松部長だけではない。
   「魔女狩報道のオンパレード」、「マスコミの取材能力を呪う」。こんな文句が並ぶのは、医師だけの会員による「ドクターズブログβ」。会員たちの様々なブログが紹介されている。青戸病院の医師逮捕問題を引き合いにだした「30代の内科医」は、マスコミ報道に対して2006年夏にこう書いている。「医者=悪、(手術ミスの)原因=経験不足、のようにわかってもいないのにそういう構図に当てはめるのはおかしいんじゃないか」

「手術のベテランも最初からベテランだった人はいません。(略)ちょっと無責任すぎませんかね 言ってる事が」

   医師が業務上過失致死罪に問われた裁判は、2007年6月の東京高裁だけで青戸病院関係を含め3事件の公判がある。医師や病院が損害賠償を求められる民事訴訟も、最高裁判所の資料で2003年度から最新数字の05年度まで毎年新たに約1,000件の訴訟が起こされている。医師を刑事事件で糾弾するのではなく、医療ミスの原因解明と予防を重視する枠組を作る取り組みや、医療事故被害者の救済を目指す制度などの研究が国レベルで始まっている。