中国「新幹線軌道」を走る謎の通勤電車の正体
珠海駅で発車待ちの高速通勤車両「CRH6」
最高時速は200km、立ち客を含めた乗客定員は1500人--。にわかに信じがたい話だが、そんな通勤電車が中国の珠江デルタで市民の都市間移動に貢献している。はたして通勤高速電車はどんな使われ方をしているのか。現地でその様子を垣間見た。
中国南部の珠江デルタは広東省の一部だ。広東省南部の省都・広州を三角形の頂点とし、南東側先端は香港、南西側先端がマカオとなる。この3点を結ぶエリアを一般的に「珠江デルタ」と呼んでいる。もともと珠江沿岸もしくはその支流沿いに多くの街があるが、これら各自治体は1990年代前半に始まった経済開放の波に乗り、積極的に外資の導入を図り、各国から工場を誘致した。日本からも多くの企業が進出、当時は「世界の工場」ともてはやされた。
そんな背景もあり、人の出入りが他の中国の地方に比べ極めて頻繁で、かつ、香港やマカオをゲートウェーに外国人や華僑・華人のビジネス需要も多く、1997年の香港返還の前から、交通インフラを先進国並みに近づけるための整備が急務とされてきた。
編成は8両、普通車のみ
珠江デルタの西岸に、「広珠城際軌道交通」という広州と珠海を結ぶ路線がある。ここに投入されている車両は「CRH6A」と呼ばれるものだ。最高営業速度は時速200km、8両編成で普通車のみ。中国側の資料によると着席定員は554人で、立ち客も含めると最大1500人ほどが乗れるという。計算上では1両当たりの着席客数は69人で、立ち客は118人。1平方メートル当たり立ち客4人というのが中国側の前提だが、この程度では1両に100人以上の立ち客など乗せることはできない。要するに通路上に客をぎゅうぎゅう詰めで立たせているわけだ。この状態を中国では「定員」と称している。
リクライニングシートはなく、座席の方向は固定式で、向かい合わせの座席にテーブルがあり、一見すると、欧州の列車のレイアウトに似ている。しかしインテリアの水準としては日本の私鉄特急よりも程度が低く、優等車両という雰囲気とは程遠い。あくまで珠江デルタ内の1時間程度の利用を前提としているため、むしろ筆者は旧国鉄が東海道本線に普通列車にも急行・特急にも使えるように投入した185系のような位置づけという印象を持っている。
日本の鉄道チケットのシステムは。乗車券+特急券という仕組みで販売されているが、中国では発券の際に列車が指定されることもあり、高速料金を含めた包括料金で設定されている。これに列車の種別、等級、区間運賃がすべて含まれることになっている。ちなみに、広珠城際軌道交通の広州南―珠海間は全線で70元(約1400円)となっている。ルート上の駅を各駅もしくは交互に止まる列車があり、全線116kmある区間を70〜80分かけて走る。中間駅を無停車なら40分で走破するとされるが、いまのところ同区間の無停車列車は存在しない。
CRH6はすべて普通車のモノクラス。座席の方向転換もできない
CRH6が走る広珠城際軌道交通が敷かれている地域の交通インフラの歴史について簡単に述べてみよう。なお、「城際」とは欧州などで都市間優等列車を指すインターシティ(IC)から借りたもので、中国側が発表している同線の英語名称もGuangzhou Zhuhai Intercity Railwayとなっている。
珠江デルタ地区の鉄道網は、広州―深圳―香港・九龍半島間をつなぐ東岸ルートは、第1次世界大戦開戦前の1910年開通と長い歴史がある。これは、当時、香港を植民地とし、広州に租界を持っていた英国の政策によるところが大きい。
鉄道には懐疑的だった
一方、西岸ルート(広州―中山―珠海―マカオ)は今世紀に至るまで鉄道とは無縁だった。なぜなら、西岸側は珠江の支流が毛細血管のように流れており、地盤も緩く、とても鉄道を敷くような地形ではない。そのため、香港から西岸側にある主要都市に行くのに、高速船で行き来するという状況が長年にわたって続いた。
高速道路も西岸側で整備されたのは東岸より5年以上後だった。そんな背景もあり、珠海をはじめ珠江デルタ西岸の住人は都市間交通インフラについて長年悩みを抱えていた。
そんな背景もあり「いよいよ珠海に鉄道が来る」ということが決まっても、地元メディアをはじめ、市民たちは「鉄道が敷かれても、そんな大層なものができるはずはない」と懐疑的な意見が多かった。
珠海の人々は鉄道が来るにあたり、「広州との間をライトレール(LRT)で結ばれる」と思っていたという。これは、メディアの鉄道そのものに対する知識が大きく欠けていたという事情がある。
中国では、1990年代前半に都市郊外を走る軌道系交通機関として大連にライトレール(軽軌)が初お目見えした。当時の中国は、乗客が利用する鉄道といえば客車列車しかなく、気動車も電車も存在しなかった。そのため、都市部や近郊を走る日本でいう電車のような乗り物を軽軌と呼んでしまう奇怪な現象が起きた。いまだに上海人の中には、地下鉄を軽軌と呼ぶ人も少なくない。
こういった誤解のもと、珠海の官製メディアは「広州との間を“軽軌”がわが町とつながる」と熱烈に報じた。その結果、広州―珠海間に入るのはフル規格の列車なのか、それともライトレールなのか、ワケがわからなくなってしまった。
時速200km規格の高速鉄道ができたものの…
完成したのは紛れもなく、時速200kmでの営業運転が可能な高規格の高速鉄道だ。珠海西部の住宅街には堂々とした高架があり、そこをCRH6が数分ごとに走っている。
途中駅には待避線がないため、ホームドアも付けられている
それでもなお珠海では、今も「わが町を軽軌が走っている」と誤解している市民が少なくないという。当初「大間違い」をしたメディアの失敗が遠因であることは疑いないが、市内を走るCRH6は大きなカーブが多いこともあり時速70〜80kmしか出ていないという事情もある。素人目には高速鉄道のパフォーマンスとは程遠いのだ。
珠江デルタ西岸の人々は、日本でいう在来線電車の通勤を飛び越え、いきなり「新幹線通勤」を実現してしまった。中国では大都市圏への人口集中が進み、周辺の衛星都市を巻き込んだ「都市生活圏の膨張」が進んでいるが、はたして中国全土でこうした新幹線通勤の動きが続くのだろうか。中国は時速200km以上の列車が走る高速ネットワークが世界最大であることを誇示しているが、数字だけを鵜呑みにせず、実情を知ることが重要だ。