寅さんや縁日の屋台はヤクザ? テキヤの歴史
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」
ご存じ寅さんの口上である。じつはこれ、「メンツウ」や「仁義」といわれる、テキヤの世界の挨拶なのだ。ヤクザには大きく3つの分類があり、そのひとつが「テキヤ」だという。ならば、寅さんや、縁日の屋台はヤクザなのか。終戦後の闇市「新宿マーケット」で当時働き、現在は吉祥寺ハモニカ横丁を取りまとめる水野秀吉氏に聞いた。
テキヤとヤクザが近しいことはたしかだ。親分子分制のうえに一家や組を形成し、代紋意識もあり、「侠商(任侠道に生きる商人)」とも呼ばれる。現役のテキヤ・西村太吉氏も取材に応じてくれた。西村氏は東京街商協同組合の前事業部長で、松坂屋一家五代目。子供のころは空中ブランコに乗っていた、根っからの興行師だ。
「あたしらの稼業には『興行』と『ジンバイ』ってのがあって、興行ってのはお化け屋敷とか見世物小屋とか、人を集めて金をもらう商売。ジンバイってのは、人が集まる興行の軒先に、『ちょっと店を出させてください』と頼んで焼きそばを売ったりすること。当然ゴミ代や電気代、場所代を負担するんだけど、通りの向こうで“だんまり”でやって、金も払わないのがいる」
それを「コロビ」という。コロビはかつて、ヤクザと近い存在だった。しかし「今はジンバイもコロビも一緒になってやりましょうとなっている」。その理由はテキヤに対する逆風だ。商売がやりにくくなったと西村氏。
「弘前なんて、今から60年前にだよ、花見の十数日間で100万円の金が取れたんだ。今は4年か、5年にいっぺんしか割り当てがねえんだよ。昔はね、『ぜひ出店してください』といろんなところが頼みに来たんだ。ところが今は『いかがわしい』って(手を払いのけるしぐさ)これだから。で今度は見世物小屋で大蛇とか、動物を使った芸をやるだろう。すると、なんだか知んねえけど、いろんなヘンな動物愛護団体とか出てきて、それは虐待だとか言う。だから、大蛇も使えない。あたし、言ったの。じゃあね、まむし料理屋行ってみろって」
今、日本で興行師は実質4、5団体。そして’11年に全都道府県で施行された「暴力団排除条例」によって、テキヤは存亡の危機に立たされている。西村氏も「うちの“若い衆”も70近い。もってあと5年だろう」とつぶやく。
ヤクザ取材の第一人者、猪野健治氏は次のように語る。
「いまのテキヤのほとんどが三代目で、大半が大卒。しかしかつては、どんな前歴を持つ人間でも差別なく受け入れ、一人前に育て上げる包容力のある業界だった。それに、露店は庶民に愛された合法的な商売です。再起してほしい」
猪野氏によると、暴力団に指定されているテキヤは1団体だけだという。
(週刊FLASH11月10・17日号)