パリにある銭湯はさまざまな人生が交差する場所だった

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フランス人は風呂が好きでない国民として有名だ。気候が乾燥していて、日本ほどベタつかないということもあるが、日本人のような感覚で風呂に入ることはない。かつて太陽王とたたえられたルイ14世も、風呂嫌いでほとんど体を洗ったことがなかったという逸話もある。そのようなお国柄なので、日本の銭湯に代表されるような、公衆浴場の類いはないだろうと勝手に思い込んでいた。
ところがパリ市内には、市営シャワー室が至るところにあるという。風呂好きでもないフランスに公共シャワーがあり、しかも無料で使えるとは! 一体どんなところなのか、バスタオル片手に一風呂浴びてきた。

パリ市内に市営浴場は17カ所ある。今回は市内サンルイ島にある浴場を訪れた。サンルイ島といえば、ノートルダム大聖堂が鎮座するシテ島の隣にあり、ブルジョワな人々が住む地区として有名だ。このような場所にも市営浴場があったのか……。建物へ入ると、見慣れない姿のアジア人が来たので、受付のおばさんは少し戸惑ったが、すぐに「シャワーかい?」と聞かれたので「ウイ」と返事をし、シャワー室へ続く階段を上がった。

シャワー室は男女別に別れていた。各シャワーも更衣室と一体になった1つのキャビンになっているので、プライベートも完全に確保されている。シャワーはプールなどに見られるヘッドが上方に固定されているタイプだ。お湯も豊富に出て、勢いも強い。石けんやシャンプー、タオルは備わっていない。パリは給湯設備が貧弱な家も多いので、市営浴場を使った方がマシな場合もあるかもしれない。使用時間は1人20分。訪れる前は、不特定多数の人が使うので汚いかもと身構えていたが、清掃員が頻繁に行き来しているため、そのようなこともあまりなかった。

無料はシャワーに限らない。共用スペースの洗面台の近くにはドライヤーも備わっている。ただし、よく見かける銃型ではなく、トイレにある手の温風乾燥機のようなもの。それが高い位置に取り付けられていて、ボタンを押すと一定時間、温風が吹き出る仕組みだ。これで冬に髪をぬらしたまま帰宅し、風邪を引いてしまうことも防げる。

無料の割に充実した市営浴場だが、パリではいつから、このような設備が整えられたのだろうか。

調べてみると、市営浴場が造られたのは19世紀後半で、パリ市民の衛生を補うためだったそうだ。そして、特に1930年代にその数を増やしていった。しかし、第二次世界大戦後、市民の住環境の向上に伴い利用客は次第に減っていく。1990年代の終わりには、利用者は30万人まで下降した。ところが2000年3月に転機が訪れた。パリ市は、それまでは有料だった入浴料を、市民の衛生面の不足を改善するため無料にすると決めたのだ。

結果、利用者数は回復していき、現在では100万人を超えている。利用者は、昔はホームレスの人が多かったが、近年は退職者や学生、季節労働者、亡命外国人など、以前と比べてさまざまな人が訪れるようになった。仏リベラシオン紙も市営浴場に来る人々の人間模様を紹介した記事を載せている。

利用者の1人、アンリさん(48)は週3回、市営浴場に通っているそうだ。郊外にある彼の家はお湯が出ない。なぜならお湯を使うと料金が高いからだ。しかしここでは十分なお湯と水圧で体を洗え、ひげをそれる。「礼拝や教会へ通うようなもので、ここは私を助けてくれる。そして(ここに集まる)人も好きなんだ!」と語る。

リヨンに住むダナナ(36)さんは、今回初めて市営浴場を使った。半年間の契約で地方からパリへ働きに来たものの、急な決定だったため車で寝泊まりしており、シャワーを浴びに市営浴場を訪れたのだ。

「アラーのお導きがあれば、いつか家にシャワーを持ちたい」と語るアリマさんは、11年間、市営浴場に通っている。1970年代、フランスは毎年10万人の移民を受け入れた。彼はそんな移民の1人だ。

市営浴場は海外の政情とも密接に関係する。以前はアラブの春により、利用者はチュニジア人が多かったが、今はマリ人が増えたという。「フランス語を学びたい」と話すウマルさん(20)は、そのマリからフランスへやって来た。彼は正しく流ちょうなイタリア語を操れるが、母国の政情不安で勉学を途中であきらめざるをえなかった。今は郊外の不法入居した家で、80人のマリ人と電気も水道もなく暮らしている。

市営浴場は汚れを落とすだけでなく、さまざまな人生が交差する場所だ。彼らは公衆浴場でシャワーを浴び、気持ちを新たにして、再び現実の社会へ戻っていく。ここは彼らにつかの間の憩いを無料で与える、よりどころの1つになっているのだ。
(加藤亨延)