池田・名西宥人のノーヒットノーランで2年連続秋季四国大会へ! 

4番主将・森祐大(海部)

 まず、池田について触れる前に大いに賞賛すべきは、正規部員9人に中学時代の軟式経験者2名の臨時部員を加えて、徳島北・阿南高専・徳島商を破り、2004年4月に海南・日和佐・宍食商が再編統合されて以来、初の秋季大会ベスト4まで勝ち上がってきた海部の健闘である。

 しかも、彼らは満身創痍でこの一戦に臨んでいた。9月30日・小松島との準決勝でヘッドスライディングをした際に9番・二塁手の高畠庸平(2年)が左手親指を骨折。その症状も小磯博之監督いわく「一時は棄権も考えた」全治3ヶ月の重症と診断されてしまったからだ。

 この日は応急手当を受けてフル出場し、影響を感じさせないプレーを見せた高須であったが、今年のドラフト候補にも上がっている三菱自動車倉敷オーシャンズのエース・森 唯斗(海部高卒4年目)の弟・森祐大捕手(2年・主将・右投右打・170センチ80キロ・海陽中出身)も「力負けでした」と認めたように、120%の力でようやく互角に闘える相手に100%の力が出せないのでは、苦戦は試合前から必定。たとえ序盤に2度盗塁を刺した主将の鉄砲肩と丁寧なリードをもってしても、日和佐高OBである小磯監督の現役時代以来、前身高時代含め36年ぶり6度目の秋季四国大会出場を逃してしまったのは致し方ないといえよう。

 

 

ノーヒットノーランを達成した名西宥人(池田)

 ただ、そんな海部の状態を差し引いても今大会初先発でノーヒットノーランの快挙を達成した池田・名西 宥人(2年・右投右打・170センチ64キロ・三好中出身)の出来は「ここ最近は連打を食らうこともなく、制球力もついてきた」岡田康志監督の信頼に応えるに十分なものだった。

 この日の投球について本人は「前半はフォームが安定しなかったが、後半になって徐々にいいボールが出てきた」と淡々と語り、投手担当の谷川信吾コーチも「(5回先頭打者と6回二死から出した)四球の内容が悪い」と合格点は与えず。ただ、130キロ前半のストレートは手元でよく伸び、スライダーを中心とした変化球の切れ味は抜群。事実、三振12(うち空振り6個)内野ゴロ12が物語るように、海部打線が芯で捉えた打球は1つもなかったのである。

 また、この1週間はロングティーに多く取り組んできた打線もこの試合では10安打6得点。主砲・岡本昌也三塁手(2年・174センチ76キロ・三加茂中出身)が8回裏、バットの先をうまく振り抜いて高校通算第9号を左翼席に運ぶなど、「足」とは違ったチームカラーが彼らには備わりつつある。

 かくして昨年と同じく3位で2年連続17回目の秋季四国大会出場を決めた池田。ベスト4に進んだ1987(昭和62)年・第59回大会以来、27年ぶり8度目のセンバツ出場。夏を含めれば1992(平成4)年以来24年ぶりの聖地帰還を狙う名門は、これ以上ない推進力を手に決戦の舞台・坊っちゃんスタジアムへと乗り込んでいく。

(文=寺下 友徳)